恩師との出会い:
ボストンバレエ団に入って間もなく、
【バレリーナへの道】に載りました。
そして団員と、
ピッツバーグバレエ団に移籍後、
古い写真です。。(笑)
また見付けましたら載せますね。
前回の続き、
ピッツバーグバレエを経て、バレエとは違うジャンルを求めて私はNYへ行きました。
NYでは、かつてボストンで踊る上で助けになった、ピラティスのインストラクターの免許を取り、
ダンスの留学生が来るスタジオでバレエを教え、
コンテンポラリーカンパニーで踊り、
満足して帰国しました。結局、アメリカには16年住みました。
帰国し、またバレエ講師、コンテンポラリー講師として活動し、また舞台にも立ち、結婚、出産もしました。
出産後、一年後にバレエ講師として復帰するために、また恩師の元でレッスンを再開しました。
長い間、先生のレッスンを受けていない内に、先生のバレエの知識が更に進化されている事に驚きました。
私が子供の頃に教わった事よりも更に。
先生は今でも多分、、週に5日はでレッスンに行き、常に基礎の勉強をされています。
先生は常々、“教えるのを辞める時は自分がレッスン出来なくなる時” と仰います。
そしてその教えは本当に貴重で、このような事は滅多に習えない、と私は思っています。
今更ながら、、
この知識が踊っている時にあれば、もっと、もっと色々な事が出来たかも知れないと思うのです。
先生は、
身体を使う以上、解剖学的な身体の機能は知っているべき。
だと仰います。だから、
教えられる時も、身体の機能の説明を交えながら教えて下さる。
またまた、長くなってしまいました。。
また次回へ続きます。