いろいろな分野で問題とされる多様性。
大きくカテゴライズすれば3つあります。
1:人間集団の中での個性の多様性。
2:自然界の生物多様性
3:人間社会(国)の中の文化多様性
これらは概念が整理されずに誤用される事も多いので一つ一つ解説します。
1:人間集団の中での個性の多様性
これは一般企業で人事系のお仕事をされていると良く分かると思います。
集団や組織は全員が同じような個性の集まりである場合、全員が同じ過ちを犯してしまう危険性が常に伴います。
例えば「一回言ってできなければダメ」と言う考え方の人ばかりの組織であるとジックリ型の人が育ちません。
これでは特別に丁寧な仕事が要求されたら対応出来ない企業になります。
また速戦即決型の人ばかり優遇されて長期的な判断のできる人がいない組織になりかねません。
教育とは教育された人がその内容を人に教えられるようにすることです。
本来の意味での教育ができる組織ならば理解が速い人もゆっくりじっくり考える人も育ちます。
これなら戦術も戦略ももちろん戦闘も行える優秀な組織ができるでしょう。
もちろんどんな人もOKというのはちょっと違います。
世の中には良い事はみんな自分のお陰。悪い事は全部他人のせい。という人がいます。
それでも優秀なら場所を選んで使う事はできますが全ての組織がこういう云わば問題のある人を受け入れられるわけではありません。
本来ならこういう人は農業や漁業や林業などでは優秀な場合多いのです。組織で動くには向かない人です。
組織の調和や協調性を乱すからです。
もちろん盗撮が趣味とか人を怒るのが趣味というような人はどんな組織にも向きませんね。
2:自然界の生物多様性
人類の社会が発展するに伴って広く自然は破壊され多くの生物が滅んでしまいました。
なぜ生物多様性が重要なのかと言いますと失われた生物種の復元は事実上できないからです。
生物種はソメイヨシノのようなクローン体では無く個々の種の中に遺伝子の多様性を保持しています。
この遺伝子多様性は容易く破壊されてしまいます。絶滅危惧種になってから頑張って保存に務めても実は遺伝子の多様性は失われており、その種はすべて近親者というものになってしまう場合もあります。
それでは健全な遺伝子多様性を保ったままで種を保存したことにはなりません。
そして人間の知恵は未だに限定的で有限ですから自然界に存在する全ての生物の詳細について理解できていません。
なので実際にどの生物のどの部分が人類にとってどのように有益なのか全く分かっていないのです。
つまり何のどこがどのように有用なのか理解できるまで恐らく今後数千年は存在する全ての生物種を大切に保存するよう努める必要があります。
次にこの問題の複雑なことですがある地域に生物種が非常に多様に存在するとして、それが必ずしも良い事、素晴らしい事かと言えばそうでも無いという事があります。
多様な生物種が存在してもその全てあるいは殆どが外来種であったらどうでしょう?
それはつまりその土地に本来あった固有種が滅びるあるいは滅びの危機に瀕していることです。
つまり外来種の跳梁跋扈は地球全体での多様性を失わせる事になるのです。
だから外来種は増え過ぎたら駆除しなければなりません。
むしろ増えすぎなくても、少数であっても駆除しなければならない外来種もあるわけです。
ここは非常に重要なことです。
できるだけオリジナルな状態を保ちながらオリジナルな生物の多様性を保存するのが重要ということです。
3:人間社会(国)の中の文化多様性
さて国の中の文化多様性です。
文化は個人に依拠し文明は国家に依拠します。
当然およそ全ての国家の中には様々な文化と文化集団が存在します。
例えば日本の場合。
津軽にも
南部にも
出羽にも
会津にも
上毛にも
あるいは摂津にも
泉州にも
讃岐にも
長崎にも
佐賀にも
沖縄にも・・・・・
とおよそ100に喃々とする文化集団が存在します。
そのそれぞれの文化集団の中にまた様々な個人が存在し互いに相互作用を起こしながら発展してきたのが日本文明です。
つまりそもそも日本は多文化共生の国であり日本文明は多くの文化が共生して成立している文明です。
しかも一国1文明の世界にも稀有の文明です。
日本の天皇陛下がemperorと呼ばれるのは多くの文化集団をまとめた日本文明を代表する方だからエンペラーなのであり皇帝と呼ばれるに相応しいのです。
ローマ皇帝がローマ文明の代表者なのと同じでありどこの誰も否定しませんし異議も唱えません。
当たり前のことなのです。
また世界には日本文明の他に
キリスト教カソリックの文明
キリスト教プロテスタントの文明
ヒンドゥー教文明
イスラム文明
キリスト教ギリシア正教の文明
チベット仏教の文明
などが現存しています。
これらの文明はその内包する諸文化を守るためにも自分の文明を守るべきです。
なぜなら個々の諸文化はその依ってきたる文明の中でこそあるべき姿を保つことができるからです。
それは多様な生物種がその本来の環境の中でのみ、十全にその生物の独自性を発揮できるのと同じです。
もちろん人類には選択権がありますから、その文明を構成する人々が変化を選ぶのは自由です。
ですがその選択権を無視して異文化を移入したり、あるいは無理やり異文明の人々を入れたりするのは文化と文明の破壊です。
同じ文明の中での多様な文化は共存も共生もできますが、異文明は共生できません。
それは異なる環境の生物無理やり混在させれば多くの生物種が滅亡してしまうのと同じです。
生物種が形成するエコシステム(環境)も多様な文化集団で成り立っている文明もどちらも複雑系です。文明と言う環境中でのみ健全に文化という種が繁栄するのです。
無理やり混在させればどちらかが滅びてしまいます。
だからインドとパキスタン+バングラデシュは分裂したのです。
いくら包容力のあるヒンドゥー文明といえどもイスラム文明と共生はできないからです。
こんなことは文明を学べば常識ですが日本では一般には隠されています。
これと同様なことが昨今のヨーロッパで起こっており、日本でも起き始めています。
日本の移民政策は1970年代に何の見識も無い役人たちの発想から始まっています。
これは直ちに止めなければなりません。
日本は日本であることによって価値があります。
日本が日本で無くなったら誰も見向きもしませんし新しい可能性に満ちた文化も生まれないでしょう。
日本は価値ある日本。固有の日本であるべきです。