こんにちは
あゆです。
今日は、私の学生時代のこと。
学生時代のこと
私は、小中高と時々いじめられたことがあります。
ずっとじゃなくて、時々。
順番にターゲットにされて回ってくるやつ。
それは小学校。
多分、ほとんどの人って、コレなったことあるんじゃないだろうか?
中学校は転校したので、アウェーなところに行って、1人になってしまった。
高校時代は、学校に行きたくなくて朝のバスに乗っても途中で降りて、サボったことも多々。
一番きつかった中学時代。
「行きたくない」って言っても、
母親に車で校門前まで送られて
ポイってされたこともある。
気持ち悪くて、行くのが大変だったこともあったなぁ。
でも、学校に行っちゃうと意外と大丈夫だったりするんだよね。
保健室に行くほどじゃなくなるの。
で、クラスに行ける。
そして放課後まで過ごせて、部活をやって帰ってくる。
部活でも馴染めなかったけど、
クラスでも馴染めなかったけど、
いつでもイラストのおかげで友達が出来た。
私はそれがあったから、
学校での友達付き合いがなんとか出来ていた。
学校はクソつまんなかったけど、
友達がいたから学校へ行っていた。
で、なんとか卒業して今に至る。
(娘には、「友達がいるから学校へ行けたって、マジで?」と言われた。
友達がいても、学校へ行くことは絶対嫌だった彼女らしい)
自分がそんなだったのもあり、
子どもらが「学校へ行きたくない」って言った時には
「無理して行かなくていい」と、ずっと言っている。
そして学校から連絡があれば、すぐに迎えに行くようにしている。
生きているだけで、いいんだよ。
学校なんて狭い世界で悩まなくていいよ。
一緒に話そうよ。
大事なんだよって思ってるのが、
子ども達に伝わってるといいなって思う。
父と私。
高校時代、三者面談の時にさすがに学校をサボってるのがバレた。
うちはいつも面談には父だったんだけど、
「はい、どうもすみません」
って担任に言ってくれた。
で、帰りの車の中で「お前、ほどほどにしとけよ〜」と一言。
そして、「俺もまぁやらかしたけどさ」って。
当時、それにすごく救われたんだよなぁ。
帰ってから母が私に何か言うわけでもなかったし。
父が面談のことを言ったのか、言わないのかは今もわからないけど。
父と私が、一緒に円形脱毛症になってしまった時期があって、
2人で洗面所の鏡の前に並んだこともあった。
そして、2人で「育毛剤って効くのかなぁ」って話したりしてた。
「なにも一緒にならなくってもねぇ〜」って苦笑いしながら話してたのを覚えてます。
母と私。
中高時代、特に高校時代は
とにかく母と話したくなくて。
小さい時から母はいつも怒っていたので、
一緒にいてもイライラされるのが鬱陶しくて、
家が出来て1人部屋が出来てからは籠るようになってしまいました。
父が帰って来てからしか、リビングに顔を出さなくなりました。
(夕飯はパッと食べて、すぐ部屋にこもってた)
中学時代は部活帰りに迎えによく来てくれていたようなのですが
なぜか記憶から消去されていて、
「たまにはあったよね〜」くらいに思ってはいたけど
「え?そんな頻繁に?」みたいな。
「あんた迎えに行くのに、弟のご飯用意して、迎えに行って大変だったんだから!!!」と
大人になってから聞いて「え?マジで?」って感じでした。
(母、ごめんよ)
中学のバスケ時代に「先生褒めてくれて〜」とか
「ポジションが〜」とか話しかけても、
「ふーん」
終わり。みたいな感じで会話が続かない。
で、話しかけても意味ないなって。
少女あゆみは、話さなくなって行ったのでした。
高校時代になんでか忘れたけど、駅前に2人で用事があって
昼食に母と2人でラーメン食べに行ったことがあるんだけど、
なにも会話しなかったのを覚えてます…。
なんか、超気まずかったんだよね…。
帰りの車も無言だったし…。
でも聞きたいCD持って行った時は、流させてくれたな。
今思うと、なんでそんなに?と思うけど
話せませんでした。
そんな私でしたので、母には自分のことは話さなくなりました。
代わりに父にはなんやかんやと話していたので、
面談も父でよかった〜って思った記憶です。
目指すは父のような関係。
私は、子ども達に、父みたいに接したいと思っています。
学校へ行かせてもらってたのに、サボっても怒られなかったいい思い出(?)
サボった日は、ゲーセンとかにいたり、
共働きなのをいいことに、こっそり家に帰って絵を描きまくってたり。
休みの日は友達の家に泊まりに行ったり
(旅館みたいなところで大勢で泊まっている)、
東京へ出かけたり、
仙台へ行ったり、
イベントに出かけたり、
いろんなバイトしたりしてました。
それはそれは、自由な高校時代を過ごしていたのです。
子ども達も、楽しいこと、たくさん見つけてくれるといいなぁ。
イラストという武器。
私は学校で辛くても
いつでもイラストが助けてくれました。
描いてれば、「描いて!!」って言ってくれた人が
小学校でも、中学校でも、高校でも、
いつもいたんです。
描く場所があって、
それを喜んでくれる人がいて、
それが私の存在していい条件になってました。
まさか、大人になってそれを仕事としてやるようになるとは
思いもしませんでしたが、
やっぱり基本は「喜んでもらえること」が原動力です。
なので、力の抜けた「描くぞ!!」って思ってないイラストの方が
喜ばれたりします
今のままの自分で、描き続けていこうと思います。
楽しいことを、続けていこう。
それをみた子ども達も、好きなことを見つけて、仕事にしていけたらいいなぁ!って思ってます。
頑張っていきます!!