大好きな祖母、ありがとう | ☆ayucciのALOHAな日々☆

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「エレガント」「ラグジュアリー」「自由」「癒し」「旅」が人生のテーマ♡
フラとハワイを愛する私が、都会での秘書生活を引退し、田舎暮らしをスタート。
田舎でも人生のテーマの詰まったライフスタイルの実現に向けて、日々の徒然を綴ります♪

こんにちは。

 

3月上旬に石垣島へ行っていたのですが、

最後の夜、夕飯を食べてホテルに戻り、パッキングも大方終えて少し仕事をしていたときに母から電話がありました。

 

茨城の祖母がお風呂で意識をなくしていたらしく、状況がわからないのでとりあえずこれから行ってくる、状況追って連絡する、って。

 

この時点で私、貧血か何かで倒れたのだろうと、とりあえずお風呂に入って連絡を待つことにしたのですが、出てきたら弟からLINEが来ていて、「おばちゃんね、亡くなったよ」と。。。

 

※地域的なものなのかもですが、我が家では親族みんな、祖父母を「おじちゃん」「おばちゃん」と呼びます。

 

不思議とこの時、自分でも驚くほど冷静で、と言うか、おそらく信じられない気持ちが大きくて、悲しいと言うより「え?嘘だよね?意味わかんない」って感じだったのだと思う。。。

 

とりあえず、「明日お昼の飛行機で15時頃に羽田に着くから、そのままおばちゃんち行くね」と返事して、なんか本当に、現実とは思えないような感覚の一晩を過ごして、食欲もなく朝食もパスして空港へ。。。

 

そのまま祖母の家に向かったのですが、葬儀社の時間の問題でその日は祖母に会えずでした。

なので、まだ実感が全然沸かない。

 

翌日、やっと霊安室で横たわる祖母を見ても、なぜか涙が出てこず、「遅くなってごめんね。おばちゃん、遅いって怒ってるでしょ??」って感じで声をかけて。

 

思えば、2/13に、大洗へ両親と行った帰りに祖母宅へ寄って、母がアンコウ鍋の材料を市場で買ってきたのを渡したのが、祖母に最後に会った日になってしまったな。翌日2/14に祖母から電話が来て「昨日もらったあんこう、鍋の味付けとか具材はどんな感じだった?」って聞かれて「味噌ベースだったよ。具材は、白菜とか白滝とかネギとかお豆腐とかキノコとか、普通のお鍋と同じような材料だったよ。美味しく食べてね!」って会話をしたのが最後・・・。それから1ヶ月もしない内に、亡くなっちゃうなんて。

 

お寺や火葬場の都合で告別式まで1週間くらいあったので、石垣旅行の荷物やら仕事が少し溜まっていたのを片付けに、その日はとりあえず群馬へ戻りました。

 

3日間群馬で過ごして、葬儀の2日前にまた茨城へ。

 

その3日間で、棺に入れる手紙を書いたり、写真を探したりしながら、祖母との思い出が蘇ってきて、急に泣けてきたり。

 

45歳で私のおばあちゃんになった祖母。若い頃の写真を見ると、めちゃ可愛くて、この辺りではマドンナ的存在だったらしく、だから私が子供の頃は、一緒に歩いてると若くてお母さんって思われてた。

 

手先が器用で、子供の頃は作ってもらったお気に入りのポシェットや手提げ鞄、大人になってからも、素敵なボストンバッグを作ってもらって、ヘビーユースしてたなぁ。。。使いすぎて、布地がボロボロになって、さすがにそれは捨ててしまったけれど。。。

 

そういえば、前にカード(ポイントカードとか診察券とか)がたくさんあったときに便利で使っていた、祖母お手製のカードケース、カードの断捨離したときに使わなくなって、どこかにしまってしまったけど、最近またカードが増えてきたから使いたいな、って最近ずっと思っていたんです。祖母が亡くなって、余計に「あのカードケースを探さなくちゃ!!」って焦って、思っていたら・・・

 

 

なんと、葬儀に行くとき用にいつもと違うバッグを使おうと、出してきたら、そのバッグの中からカードケースが出てきたんです。しかも、見た目カードケースってわからない形状をしているので、祖母が「これは私の作ったカード入れです」って手書きで書いたカード型のメッセージと一緒に。。。

 

 

あ〜〜、祖母が近くにいて、カードケースここにあるでしょ!遺品だから大切に使って欲しいって言ってるんだな〜〜って思って、めちゃ号泣しちゃった。

 

 

 

 

他にも、祖母の家の棚に飾ってあったハンドメイドの品をたくさんもらってきたよ。

 

 

貝殻のキーホルダーも、前にたくさんもらって、使いきれないのをどこかにしまっておいたのだけど、祖母の写真を探すためにアルバムの箱を出してきたら、その中から出てきたんです。ピエロのようなマスコットと一緒に。(これも、前にバッグにつけていたのだけど、そのバッグを処分したときに外して、仕舞い込んでいたやつ・・・結構お気に入りだったんです。)

 

 

こんなところにしまってあったんだ〜〜って、本当祖母からしまい場所を教えてもらったみたい。やっぱり近くにいるんだね。

 

祖母の家のお風呂で、「おばちゃん、もっとたくさん会いに来なくてごめんね。もっとたくさん旅行とか連れて行ってあげようと思っていたのに、少ししか行けなくてごめんね。後悔ばかりしてるよ。」って話しかけながら入っていて、泣きそうになっていたら、目線の先にぶら下げてあったボディタオルが揺れたの。

 

寒がりだから、換気扇も止めてあって無風のはず。ちょっとだけ揺れたなら、隙間風?って思うけど、本当に誰かが指でちょっと触れた感じくらいのはっきりした揺れ。。。

 

びっくりして、でも、祖母が「後悔なんてしなくていいんだよ」って言ってくれてるメッセージなのかな、って思えて、また涙が出てきた。。。

 

母から、人手がある内に、ちょっと祖母宅の掃除を手伝って!と言われて、台所を片付けていたら、食器棚の引き出しから、祖母のレシピノートが出てきたの。

 

読んだら、私の好きだった祖母の料理がたくさん書いてあって。

 

これ見て、みんなを喜ばせるために、一生懸命いろいろ作ってくれたんだなぁ。。。って。

 

子供の頃から大好きだった、祖母のいちごジュース。(親戚にいちご農家がいて、季節が終わる頃に大量に苺をもらうのですが、痛む前にジュースにしていたの。ミルクで割ると最高に美味しかった。)

 

ダンナが好きだった、祖母のゴーヤの佃煮やおこわ。

 

冷蔵庫に入っていた祖母が最後に作ってタッパーに入れてあった、生姜の佃煮。これが美味しくて美味しくて、タッパーいっぱいに入っていたのに、家族みんなで「美味しい」って言いながら毎食食べて、葬儀までの間で食べ切ってしまったよ(笑)

 

ノート見たら、生姜の佃煮のレシピも切り抜きが貼ってあったので、それ見ながら今度作ってみるよ。

 

棺の中に入れた祖母への手紙は、ありがとうと、大好きだよ、が何度書いても書いても足りなくて。葬儀の時も、姪っ子(祖母から見たらひ孫)も、棺の中の祖母に「ばあちゃん、大好きだよ」って言っていて、またもらい泣きして。

 

そうそう、甥っ子は、葬儀の前日に納棺の儀の最中に、勤め先の四国から駆けつけたのだけど、もう、駅に着くまえの電車の中から号泣してたらしく、扉を開けた瞬間、大泣きで入ってきた。

 

そこで、甥っ子が「ばあちゃん、おれ、結婚するんだよ」って報告して、また私も大泣き(笑)

結婚するのは、なくなる前に母が祖母に伝えてあったらしくて、祖母もひ孫が結婚なんて、うれしかったろうな。

 

あと数年長生きしてたら、玄孫が見れたかもしれないね。

 

 

 

取り止めもなく、祖母との思い出を書いてしまいましたが、読んでくださった方、ありがとうございました。

 

私にとって、生まれてから49年半、ずっとそばにいるのが当たり前で、いつも会おうと思えばいつでも会えた祖母が急にいなくなるなるなんて、ここまで近しい身内の不幸も初めてのことで免疫もできてないし、今はまだまだ本当に辛いけど、

 

きっと、時間が解決してくれて、いつか悲しみも薄れて、温かい気持ちだけで祖母のことを思い出せる日が来ると信じて、前を向かないとですね。

 

大好きなおばちゃん、本当に今までたくさんの愛情と思い出をありがとう。

また会おうね。それまで天国からみんなを見守っていてね。

毎日毎日、おばちゃんのこと思い出すからね。