私のお弁当ルーツとガパオライス弁当 | ayuさんの日々の暮らしとおべんと記録

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旧mazaponの料理日記を改め、ブログを始めるきっかけとなった三女も社会人となり、未だお弁当持参の職場の自分弁当の記録と共に自分らしい生き方を模索していく日常の一コマ(+時々愛犬)を綴るブログです。


ゴールデンウィークも始まりますね。

今日は懐かしい 
私のお弁当記憶を一つ。
 

私の母は美容師でした。(今も親戚のおばちゃんやお友達のカットやパーマをしてあげてますけどね。)
 
いつも疲れた疲れた〜と言ってたので、肩もみとか足のマッサージとかをよくしてあげてました。
そんな中学時代のとある休みの日に部活の試合で早朝にうちを出なくてはならないのに、母が寝坊したことがありまして、大急ぎで準備はしたもののお弁当を作る時間はなく、とりあえず、後から届けるからアセアセアセアセと言われて出発しました。
 
で、普通ならお昼までに届ければいいのだからちゃんとしたお弁当が届くと思うじゃないですか。
当時(40年近く前)は、まだコンビニもなくて出かけに買い弁していくことは難しかったのでね。
その時の試合は、自分が出てた時なのか?まだ先輩たちを応援する立場だったかはよく覚えてないけど、昼前に母がわざわざ届けに来てくれました。


間に合った〜イエローハーツ

って思いながら受け取ったんだけど。
 

 蓋を開けてびっくり!
 
 
なんと、白ご飯と市販のチルド餃子を6~8個焼いて入れただけの餃子弁当だったんですよゲッソリ
 
母が来たってだけでも目立つから恥ずかしかったというのに、女子のお弁当が餃子弁当ってね滝汗
 
めちゃ隠しながら食べたってことは鮮明に記憶しています。
当時、共働きで立ち仕事の上、疲れている母には文句言えなかったなあ。
その後、高校生になっても、母の作ってくれるお弁当は地味弁でね。
夕飯の残りと、ソーセージに卵焼きが定番だったので、カラフルなピックだのフルーツが入ってる友達のお弁当が羨ましかった私は、当時出始めたお弁当の冷食とかクマ🐻の形をしたお弁当箱とか自分のお小遣いで買って自分で可愛く詰めて持って行くようになってました。
多分この辺が、私のお弁当箱とか、彩りとかに異常に執着するようになったルーツではないかと推測しています。

そうなると、半ば自分の欲求を満たすために作ってたかもしれない娘たちのお弁当のことがちょっと気がかりでね。
彼女たちはどんな気持ちで食べてくれてたのか?
改めて聞いてみたいなと思ってみたりもしています。


 では、最後に、その欲求を満たすために最近購入したわっぱの長手弁当箱で、昨日はガパオライスを詰めてきました。
 
 
 
 
 このお弁当ね。

この後、お昼に同じ職場の長女のお弁当が即席味噌汁と冷凍して置いたご飯をチンするだけというあまりの貧相さに驚いて、ガパオのひき肉を半分お裾分けすることになって
目玉焼きを避けてざっくりと掬って彼女のご飯の上に乗っけてあげました。

 
 




まだまだ、娘にお弁当への執着心は育ってないようです。

笑い泣き