たかが24,5年生きたくらいで世間の辛い風に当たることもなく、なんとなく日々を過ごしていた私は、人を疑うなんてことしなかった。
でも、私だけじゃなくそういう人はいくらでもいるはず。
とにかく地に足をつけて歩いていればこういう目にあうこともなかったのかな~といまさら過去を彼との出会いを悔いてもしょうがないのだけれど。
普通に結婚して生きていこうなんて考えは微塵ももっていなかった私に不意に訪れた国際結婚?という大舞台。
期待だってあったよ。
だからもともと地道に歩いてきたことのない私はここぞとばかりジャンプした。
で、どこについたと思う?
こんなに広い世界の小さな穴ぼこ。あたりは緑の草原なのに走り回ることだってかなう広い台地なのに、よりにもよって着地をした穴ぼこは沼地だったってこと。じっとしてればまだ気が付かないうちに徐々に足をとられ身動きがとれなくなるというものを、あわてちゃったから、さー大変。恐ろしさのあまり逃げ出そうとどんどんどんどん地団駄を踏んだら、よけいに身動き取れなくなっちゃう底がどこにあるのかもわからない底なし沼だったんだから。



一度訪れただけでは誤解をしてしまうかもしれない。

貪欲に輝く目はキラキラに輝いているように見えるかもしれない。
しつこさを親しみやすさと勘違いしてしまうかもしれない。
ずうずうしさは愛情の深さであると。
不自由な生活を素朴で質素だと。
でも同国人でも騙しあう彼らだから、異国の日本人が騙されるのは当たり前。騙されたのは悪くはない。不幸ではあるけれど・・・。

想像してみて、
窓辺に座り、街をさまようやせこけたゴミを食べる牛を見て、”牛はいいな~。外を自由に出歩けて”と感じてしまう生活。
幸せのかけらは見当たりますか?



ずっとずっとひとりごとを話してきた。
家の中のことを人に話すなと口止めされてきた。
ここ3,4年のことかな?苦しいことを苦しい と いやなことはいやだと・・・夫に直接ではなくてお友達に話せるようになったのは。
つまり、10年以上も私の言葉は私の胸のうちにだけ秘められて、ピンポンのように行ったり来たり。
苦しいと感じることに罪悪感を持ち、いやだと思う私が間違っている。
そう思ってきた。いいえ、思わされてきた。思えればラクだったかもしれない。でも、できなかった。
子どもを夫の国へ連れて行かれたことがある。
1年ほど離れたことが数回も。
教育のためだとか宗教のためだとか語学のためだとか理由をつけて。
だから、拒むのがいけないことだと思い、自分の気持ちを飲み込んだ。
”連れて行かないで”の一言が私の口から出なかった。

ひとりごとを繰り返さないで。思いは言葉にしたほうがいい。相手は誰でもいいから。
私のひとりごとは恨みにかわりそうだから。

出会ったときは、とても頼りなく思えるかもしれない。でも彼らは計算高い人たちだと思ってください。平和で争いのない国で育った私たちはあまりにも無防備です。何もない彼らを見て錯覚します。地位や学歴や金銭やビザ何もない人を好きになるのは純愛であると。そこを履き違えないでください。結婚とボランティアは違うものです。そしてこのボランティアは生半可なものではないということ。
彼との交際を止めようとするとこう言われるでしょう。”僕が日本人でなくて○○人だから?同じ人間なのに差別するの”
まるで”泥棒が自分は泥棒じゃない”と言うような調子で”僕はビザのために君と結婚をしたいんじゃない”

一緒に暮らせばすぐにわかります。彼ら自身が日本人をさげすんで、喉から手が出るほどビザがほしいことを。

そして、気がつくでしょう。私は国際結婚をしたのではなく○○人の嫁になっただけだと。

今、自分のおかれている状況を認識するのが辛いです。ボロボロになった私にもプライドのかけらはまだ残っているということです。今まで1人で耐えてきたことを後悔すらしています。何でこんなに我慢してしまったんだろう。最近ではごく身近なお友達に話をすることができるようになりましたが、一番身近であるはずの両親、兄弟、子どもたちにはそれを隠しとおしてきましたから、彼らの前では涙を流すことが出来ません。だから、ひとりの時に泣いています

だから、あなたが外国人の彼と結婚したいと思うのは勝手だけれど、彼の背後には彼の家族、親戚大勢の人がてぐすね引いて待っていることを覚悟してください。あなたは彼らの重さに耐え切れず、自分が利用されていることに気がついたとき愕然とするでしょう。
2人の間に子どもが生まれなければ、彼はもう1人奥さんをもらうとあなたを脅し、子どもが生まれてもその子どもを取り上げるとあなたを脅かし、外国にあなたと子どもを送るのか、あるいは、日本で住まわせてやっているのだからと彼の態度はますます尊大になります。
長期滞在のビザを取るまでの間は、彼はおとなしくしているかもしれません。けれど忘れないでください。彼らの心の根っこには”女はどうにでもなる”という思想があることを。