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Ayanosuke

中学の歴史の授業でキリスト教に興味を持ち始め、オーストラリアの日本語教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。
そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。

アメリカ人の牧師先生が話してくれたことです。

日本人は英語の勉強のためアメリカに来る。

その時、ホームスティ先がクリスチャンファミリーで、あたたかい、愛があると感じます。

また、教会へ行って同じように感じます。

そして神を受け入れ、洗礼を受けます。

それ自体は悪いことじゃない。

しかし、悔い改めが必要。

 

「悔い改める」とは過去の過ちを反省して、心を入れかえる、という意味です。

英語では turn away from sin と言います。

罪から方向転換して、はじめの愛(キリストの愛)に戻って来る事は、何度罪を犯したか、ということとは関係なく神との正しい関係に戻って来る事なのです。

 

日本人には馴染みの薄い「悔い改め」の概念。

日本的信仰の場合、明確な教義や経典がなくても、教祖が存在しなくても信仰は成り立ちます。自然を敬い、先祖を尊ぶことで、それらと結びつくのです。教えよりも儀礼の中に、経典よりも習慣の中に、教祖よりも先祖への思いの上に成り立っています。それは自然宗教とも民俗宗教とも呼ばれ、自然にできた宗教です。そこには善悪も明確でなく、超越者もいない、よって悔い改めも、回心もいらない宗教です。

 

参考文献 日本人はなぜキリスト教を避けるのか 勝本正實


ノンクリスチャンの友だちからこのような質問をされました。

 

その方の恋人が韓国人で、交際はしているけれど、日本人に対しての恨みが根底にはあり、それが垣間見えることがある。クリスチャンが多いのになぜだろう。と話してくれました。

 

韓国人のクリスチャン人口は約27%ですが、日本人を許せないという感情を持ち続ける人は多いようです。

これには、韓国の文化的背景が関係しているようです。

 

竹田恒泰氏の解説が分かりやすかったです。

嫌われる事で残った国!韓半島の恨(ハン)の歴史

 

日本人は人と接するときに友好的な雰囲気で接しようとします。

特に商売人であれば、「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉は、あいさつのように口にします。

その言葉を口にすることによって、損をするどころか、むしろ円滑にことが進むと考えるからです。

しかし韓国はまったく違う文化を持っていたのです。

イエスは言われます。『「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」マタイ18:21』

 

7×70=490です。具体的な数字で表すことが出来ますが、これは決して490回赦すという意味ではありません。

神が人を赦すことに際限はないことを意味しています。

 

私は、人をゆるすのは意外に勇気のいることで、なかなか出来ることではないと思っています。

それは同時に、私たち人間が完全ではないことを示しています。

しかし神は完璧なので、人間が悔い改めれば、何度でも何度でも神との正しい関係を取り戻すことができるとこの箇所は語っています。

私はお金に困ったことがありません。

「だから言えるのだ!」と言われるかもしれません。

 

「お金は私を幸せにはしない、けれど私を不幸にもする。」

お金に困った経験のある友だちから言われました。

そして、「お金で買えないものは少ない。」とも言われました。

 

本当の幸せは、衣・食・住です。

みんなが貧しければ、それが手に入るだけで幸せを感じられると思います。

しかし、今の日本社会に生きる人々の心を動かしているの価値は、経済的な豊かさであり、それをもたらしてくれる能力・才能です。

「先に先に進もうとすること、成功することだけが人生ではない。じっくりと休んだ方がよい。その方がずっと価値がある。」と確信をもって言える人は、今の日本社会にどれほどいるでしょうか。

また、「お金がなくてもいい、貧しくてもいい、自分の思うように生きてみなさい。」と腹の底から本気になって子どもたちに言うことのできる親がどれくらい、いるでしょうか。

 

お金がわたしたちに与えてくれる幸せには限界があります。

お金の力でできることは、たかだか生活環境をよくし、快適な状況を整えるくらいです。

わたしたちの心の中までは満たしてくれません。

お金に依存しない幸せを見出す必要があります。

 

『乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。ピリピ4:11ー12』

私は神を受け入れ、心が満たされることを知りました。

そして信仰生活に必要なものは、すべて神が用意して下さっていることを知っています。

もちろんそれにはお金が必要なこともあります。

私はそのお金も神からの贈り物であると確信しています。

 

参考文献 キリスト教入門Q & A 森 一弘