あやまれば全部ゆるされるのか?について | Ayanosuke

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中学の歴史の授業でキリスト教に興味を持ち始め、オーストラリアの日本語教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。
そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。

ノンクリスチャンの友だちからこのような質問をされました。

 

その方の恋人が韓国人で、交際はしているけれど、日本人に対しての恨みが根底にはあり、それが垣間見えることがある。クリスチャンが多いのになぜだろう。と話してくれました。

 

韓国人のクリスチャン人口は約27%ですが、日本人を許せないという感情を持ち続ける人は多いようです。

これには、韓国の文化的背景が関係しているようです。

 

竹田恒泰氏の解説が分かりやすかったです。

嫌われる事で残った国!韓半島の恨(ハン)の歴史

 

日本人は人と接するときに友好的な雰囲気で接しようとします。

特に商売人であれば、「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉は、あいさつのように口にします。

その言葉を口にすることによって、損をするどころか、むしろ円滑にことが進むと考えるからです。

しかし韓国はまったく違う文化を持っていたのです。

イエスは言われます。『「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」マタイ18:21』

 

7×70=490です。具体的な数字で表すことが出来ますが、これは決して490回赦すという意味ではありません。

神が人を赦すことに際限はないことを意味しています。

 

私は、人をゆるすのは意外に勇気のいることで、なかなか出来ることではないと思っています。

それは同時に、私たち人間が完全ではないことを示しています。

しかし神は完璧なので、人間が悔い改めれば、何度でも何度でも神との正しい関係を取り戻すことができるとこの箇所は語っています。