悔い改めについて | Ayanosuke

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中学の歴史の授業でキリスト教に興味を持ち始め、オーストラリアの日本語教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。
そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。

アメリカ人の牧師先生が話してくれたことです。

日本人は英語の勉強のためアメリカに来る。

その時、ホームスティ先がクリスチャンファミリーで、あたたかい、愛があると感じます。

また、教会へ行って同じように感じます。

そして神を受け入れ、洗礼を受けます。

それ自体は悪いことじゃない。

しかし、悔い改めが必要。

 

「悔い改める」とは過去の過ちを反省して、心を入れかえる、という意味です。

英語では turn away from sin と言います。

罪から方向転換して、はじめの愛(キリストの愛)に戻って来る事は、何度罪を犯したか、ということとは関係なく神との正しい関係に戻って来る事なのです。

 

日本人には馴染みの薄い「悔い改め」の概念。

日本的信仰の場合、明確な教義や経典がなくても、教祖が存在しなくても信仰は成り立ちます。自然を敬い、先祖を尊ぶことで、それらと結びつくのです。教えよりも儀礼の中に、経典よりも習慣の中に、教祖よりも先祖への思いの上に成り立っています。それは自然宗教とも民俗宗教とも呼ばれ、自然にできた宗教です。そこには善悪も明確でなく、超越者もいない、よって悔い改めも、回心もいらない宗教です。

 

参考文献 日本人はなぜキリスト教を避けるのか 勝本正實