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Ayanosuke

中学の歴史の授業でキリスト教に興味を持ち始め、オーストラリアの日本語教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。
そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。

ミッションスクールでは、新入生全員が聖書を購入しなければなりません。

(大学は分かりませんが、少なくとも高校までは購入しなければ授業に参加できないと思います。)

少なからず聖書に興味があった私が、これが学べるのかとワクワクしていました。

しかし、本は分厚く、辞書のような紙の薄さが私の読む気を削いだことは言うまでもありません。

宗教の授業は旧約聖書の創世記から始まりました。

カタカナの名前が多く、登場人物も多く、あまり先生の話を聞いていませんでした。

そして聖書をパラパラとめくっていたら、衝撃的な内容が書かれていました。

高校受験を経て、ミッションスクールの高校に入学しました。

そこでは、修道女の先生が何人かいました。

宗教の時間があって、修道女が聖書を教えてくれました。

その中で修道女は、修道着を指して、

「アダムとイブが知恵の実を食べたから、こんなものを着なくちゃいけなくなってのよ。」

と言っていました。

私は、多感な時期ということもあり、嫌なら修道女をやめればいいじゃない。

そうしたら修道着を着なくていいのではないか、と思っていました。

私がキリスト教に興味を持ち始めたけっかけは、中学の歴史の授業だったと思います。

豊臣秀吉の伴天連追放令に始まり徳川家光の島原の乱までのキリスト教弾圧の歴史を学んだときです。

当時の私は、迫害されるほど、魅力的な教えなのかな。くらいに考えていました。

その時までの私の中のキリスト教の印象は、クリスマスや教会のステンドグラスぐらいでした。

そんな私がミイラ取りからミイラになり、ミイラになり切れなかったことを感じた記録です。