閉じられた集団と一匹狼の俺 | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

またコメダに来た。

3日ぶりだ。

 

今日は雨でテニスがないので、ゆっくりできる。

以前は、毎日テニスかカラオケ喫茶か、何か集団の中に行きたかったが今頃はそうでも無く、雨が降りテニスの集まりが無くなるとほっとする。

 

カラオケでも、カラオケ喫茶に週2.3回は言っていたが、今は週一くらいで、それも彼女の地域のカラオケ喫茶に行くくらいだ。

俺の町のカラオケ喫茶もやっているが、それほど行く気にならない。

コロナもあるが、それでも以前は行っていた。

やはり俺の中の集団への渇望が解消して来ているのだろう。

そして孤独感も減って来ており、寂しさもそれほど感じなくなり、家に1人まったりといることが多くなった。 

 

そしてテニスで言えば、いろいろ問題のある人が多く、週3回あるシニアテニス関係の集まりには、行きたくなくなっている。

今までは、精神的に彼らに負けないよう頑張って来たが、今では彼らも、俺だけは支配できなくなってきている。

しかし、やはりそういう中では人間関係が中心で、テニス自体は二の次で楽しくなく、テニス自体も弱いので楽しくない。

それより、入って5ヶ月になる夜の若い人とのテニスが楽しく、また週一あるテニス教室のテニスが楽しい。

やはりそこではテニスが第一で、シニアテニスのように、テニスは二の次で、個人の偏った欲望で集団を牛耳ろうとする人がいないのがいい。

 

また先おととい、おとといには、俺が一人で球出し機で練習しているテニスコートのある公共施設の改修工事に、長期で東京から来ている俺と同年代の人と知り合い、その人を通じて彼と一緒に来ている若い人2人の、4人でテニスをしたが、実力的には俺がちょっとだけ上だったが、それでもシニアテニスなどとは比べようもなく楽しく、今後も楽しみだ。

 

俺はどこへ行っても一匹狼だから、若い人でも、地元のグループで同じ仲間と長年やっている人とは顔見知りでも、あまり縁が無く、こうしたよそものの人と結構縁がある。

 

例えば今頃、市の大会でダブルスで一緒に出ている60才の人も、大阪から仕事で移住?して来ているし、2年前まで2年間、同じく大会に一緒に出て、練習もよくした50代の人も、やはり東京方面からのUターン者だった。

まあ残念ながら、彼は再度東京方面へ帰って行った。

まあいづれにせよ、類は類を呼ぶということか。

まあ彼らに共通しているのは、俺よりは強いということで、俺にはありがたい存在だ(だった)。

シニアテニスのように、強い人は敬遠し、弱い人を入れたがるリーダーとは違うのだ。

 

またついでに思いついたが、カラオケでも俺は、俺の町のカラオケ喫茶やその客とはあまり親しくなっていない。

彼らはたぶん、長年の同じぼんやりとしたグループの中で存在しているので、そこに強いて入ろうとしない俺は、いつになってもよそ者なのだろう。

そして俺は、俺の彼女自体、俺の住んでいる地域の人ではなく、県の違う離れた地域の人だし、彼女自身もまた他の地方から来たよそ者だ。

 

そしてカラオケ喫茶も、彼女の地域のカラオケ喫茶では、俺ももう少し顔が効き、そこからもうちょっと先にあるカラオケ喫茶でも顔が効く。

 

この2つのカラオケ喫茶は、他所からの人も比較的多く、人間関係が閉鎖的ではなく、開かれている感じがする。

そこが俺には合っているのだろう。

自由に振る舞い、周りを乱す奴とは闘い、結果的に周りを楽しくリードするので、それを周りの人も認めてくれているのだろう。

残念ながら、遠い方はコロナが心配で今は行っていない。

 

とまれ、今日はあまり俺の中で吐き出したいものが大きくなく、何を書こうかと思っていたが、今となっては、今の俺と集団との関係、集団の中でも人と群れず一匹狼で、集団に流されず自由で自分のままでいたいという、俺の在り方を再認識したということか。

 

また要するに、俺は小さな限られたグループ内の、中だけに通じる人間関係や話題には入りたくなく、それを否定し開かれた場所にしようとする俺は、その閉鎖的な人間関係の中で周りを支配し、その中心になりたい自称?リーダー達にとっては俺は脅威であり、自分の存在が危うくなるので俺を排除しようとする。

排除されることが苦手で、幼少期からのトラウマである俺は、必死になってそれと闘って来て、結果的にトラウマを解消してきた。

 

もう一度要するに、今日の結論は、俺の長年闘っているシニアテニスのグループは、閉じられた人間関係の中で、権力的で支配的な人達が中心になりたい欲求が強いので、それに反発し、自由に振る舞い発言し、なおかつテニスがその中では一番強いという一匹狼の俺は疎まれ、そうではなく、閉じられた集団を持たないよそ者の人達には、自由で開かれた俺は好まれる、ということのようだ。