コメダに来たい理由~集団との新しい関係 | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

またコメダにいる。

最近はここに来るのが楽しみだ。

テニス以外、何はなくてもここに来たい。

なぜか、それはやはり、それぞれバラバラ個々の集りの中で、特定の大きな力を持った集団が無く、一時的だが緊張感を持って心理的距離をとりつつ、それぞれ独立して存在できる集団だからか。

何はともあれ、ここは居心地がいい。

 

さて俺であるが、最近取り組んでいるのは、一言で言えば世間との距離感だろう。

 

今までは、簡略化して言えば、個々の特定の男や女に焦点を当ててトラウマを溶かしイメージを作って、その特定の個人に対する自分の態度を変化させて来たが、今は集団全体に対した時の自己イメージの変化に、多少変わって来たように思う。さ

 

いや、やっていることは同じか。

ただ、今は集団全体に意識を向けて、俺の心の中の集団の圧力に負けず、集団全体と対等な関係のイメージ、態度作りをやっているということか。

 

まあこれらも俺が意識的に方向付けをしているのでは無く、俺の心理的進化の中で、自然に向かっているものてはある。

 

そうだ、今日俺が書きたかったことを思い出した。

 

俺は最近自己催眠でやっているのは、やはり俺が幼少期世話になった、おじさんおばさんの家のことと、その頃の俺を取り巻く

地域のおじさんおばさん達との関係だ。

 

俺はこの10年くらい田舎の俺のふるさとに帰っていないが、今でも俺のふるさとには家と土地、多くの山々が残っている。

 

1年ちょっと前に母親が死んだので、長男である俺はこれらを相続し、処分しなければならない。

おまけに、父母がふるさとを離れ都市部に家を建てて住んでいたので、この都市部の家土地もある。

 

これらを処分しなければならないが、田舎の方は俺が中学校まで育ち、それ以後も再々帰って来たところで、そこの世間、俺を育てた、周りのおじさんおばさんに対する態度を変えなければ、財産の処分も堂々と対等にできないのだ。

 

俺の家は地域では代々有力な家だったので、その取り巻きも多く、まだ存命のおじさんおばさんもいるだろうし、いなくても俺の体と心にしみ込んだその地域に対するイメージと態度、幼児的な依存的で愛情欲求的な態度とイメージがあるので、不自由で、なかなか帰って処分する気になれないのだ。

 

俺は幼少期、それらのおじさんやおばさんに、たぶん俺の家が有力だったこと、俺が可愛いかったこと、頭が良く勉強ができたこと、運動ができたこと、同級生の中でリーダーだったこと等のため注目され、かわいがられ評価されてきた。

親の愛情の無い俺は、これらの愛情が欲しくて、これらに依存して生きていたと思う。

そして頭が上がらなくなつた、というところか。

 

今の俺は、こうした幼少期の世間との関係は、あまりそういう関係のない今の俺の地域や集団に対しても、イメージや態度としても残って不自由なので、幼少期のこのトラウマを解消進化することで、今の集団に対するイメージと態度を変えていこうとしているということだろう。

 

こうして、俺としては、新しい集団との自由な関係を経験し楽しむために、今コメダにいるのだろう。