シニアの嫌いな高圧的な女性も必要な有難い存在だった | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

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60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

昨日は午前中ゴロゴロしていたが、今の俺は昼間は家の中でテレビもゆっくり見る気持ちの余裕はなく、テニスかカラオケ喫茶か、はたまた一人カラオケかに行きたくなる。

昼からは待ち構えて、シニアテニス男子部に行ったが、ここが一番レベルが高いようで、充実した練習試合となった。

ようやく涼しくなり、この点からも十分練習できる。

夜の風呂でのトラウマ解消では、また思わぬ展開があった。

当初親戚のおばさんやその娘を想定していたが、いつの間にかシニアグループの高圧的な女性に変わり、トラウマは急に溶け出した。

彼女はシニアテニスで、コートの支配をするので、以前から俺と裏でやり合ってきた。

この前も誰も練習試合をやるものがいないので、俺がコートに出ようとした時に止めて来て、俺は連続でやっていたので納得して変わったが、シニア男子の3人とこの前飲んだ時に若干不満が出たように、まだ越えられない、支配され押さえられる感じが残っていたのだ。

俺はその飲み会で、男女別々にやるように変えようと言う二人に、俺がなんとかするからと言ってとりなしたものの、酔いが覚めると彼女の嫌さ高圧さはどうしようもなく、やはり男女別々にやるしかないと思っていた。

そういう思いから、トラウマ解消時に思わず彼女が出てきて、トラウマが溶けてきたのだ。

そしてそのトラウマは、親戚の家の娘からのものではあったが、遠い記憶からではなかなかトラウマは溶けず、右往左往しているうちに、高圧的で支配的な、まさに俺の幼少期の一回り上の親戚の娘が、今現実に出てきたようなシニアの女性が現れ、深いトラウマは劇的に溶け出したのだ。

シニアの女性は嫌いな女性ではあったが、幼少期の親戚の娘のような存在はそうざらにはおらず、俺のトラウマを溶かすためには必要な有難い存在であったのだ。