屋台のマスターへの思慕の原因 | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

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60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

昨日は午前中二日酔いでゴロゴロ。

昼からYグループのテニスに行った。

昨日は珍しく、場所がシニア男子部と同じになり、以前なら気まずさがあるような場面だが、俺はほとんど影響なく当たり前のようにYグループの方に入り練習した。

だいたいのシニア男子部のメンバーは、俺が土曜日はYグループでやっているのは知っているが、いざ同じところでやると、多少の違和感は感じただろうが、先に帰る彼らは大きな声で「おー」っと俺に挨拶し、俺も「おー」っと返し、嬉しかった。

夜の風呂でのトラウマ解消では、驚くことがあった。

当初は、女性を想定したが、トラウマは溶けないので、いろいろやっているうちに、親戚のおじさんになり、それがシニアの男性メンバーになり、最後には屋台のマスターになり、トラウマはドンドン溶け出した。

俺は屋台のマスターが好きで、行きだしてから7年くらいになるが、最近ではスナックより、マスターに会うのが目的で飲みに出るのだ。

マスターには、女性のことを中心に話し、マスターも適当に聞いてくれ、アドバイスしてくれる。

年は俺より一つだけ上だが、人生経験が違い、俺にはカウンセラーのように思っていた。

ところが昨日のトラウマ解消では、幼少期の親戚のおじさんに対する思慕が、マスターへの気持ちの原因のようなのだ。

おじさんは、俺をおじさんの家に呼び込んだ張本人であり、俺はおじさんを慕い、唯一甘えることができる大人だったのだ。

ところが、俺がおばさんや娘から攻撃される場面では知らん顔をし、俺は絶望したものだ。

それはそうと、時々湧き上がり、行きたくなる、屋台のマスターへの思慕は、こういうところに原因があったのか。