突如現れた不安 | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

昨日は午前中、金曜テニス教室に行った。

帰りには、別グループのテニスが上手くスタイルのいい若い女性と久しぶりに会い、一言二言今度の試合のことで話した。

帰ってからその試合の組み合わせをネットで見て、俺は愕然とした。

オープンの市の大会ということで県内の超強い人達が多く来て、市内の人は思ったより少ないのだ。

その上俺らのグループの3組のうち、俺ら以外は2組ともかなり強い。

勝てるどころか、試合にならない恐れがあるのだ。

俺は動揺した。

それは勝てないからではなく、俺がそういう場合劣等感を感じて萎縮し、それを周りに見られるのが嫌なのだ。

俺は申し込む時、ほとんどそういうことを考えずに、ただ大会に出たいと調べずにいたのだ。

午後はそういうことで落ち着かないので、壁打ちに行った。

帰って夕方休んでいたら、以前良く練習し、朝の教室にも来ていたYから試合についての電話が有り、彼と話した。

彼も試合に出るのでそのことだったが、いろいろ俺の不安を話したが、彼は俺と同じレベルなのに平気なので、これは俺特有の問題かもしれないとふと思った。

夜は、その彼が主催し俺も以前は行っていた練習会が、今からあるというので、不安な俺はこの練習会に出ることにした。

若い知らない女性や以前親しく話していた女性らがいたが、俺は進歩したのだろう、以前ほどは惹かれなくなっていた。

そこの帰りに、若い女性が試合のことをYに聞いていたので、俺は誰に言うともなく大きな声で、「その話はしたくないわ」と言った。

その話題に萎縮する気持ちを、発散したのだ。

周りは多少驚いたかも知らないが、俺は平気で、彼女らも普通に挨拶をして別れた。

夜風呂でのトラウマ解消で、俺は試合の不安について考え、「自分を捨てる」で、トラウマが溶け出した。

この「自分を捨てる」は、劣等感や人にどう見られるかといった小さな自分を捨てるというイメージで、大きく俺を変える可能性のあるもので、この試合はそのために俺に用意されたものかもしれないとも思ってきた。