母性的な愛を熱望するトラウマ | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

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60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

昨日は午前中、洗濯、金属類のゴミ出しなどしてから、本の送付、ギターのピック買い、そして散髪と外に出た。

昼からはYグループのテニスに行った。

ここでは30分練習し、30分試合をしていたら雨が降って来たので中止し、8人のみんなで休憩所で雨宿りしながら、ダベリを楽しんだ。

一方俺は、前ほどテニスに執着せず、帰りにカラオケ喫茶に行くことも考えていた。

このグルーも長くやっており、飲み会なども何回もやっているがそれほど話題もなく、多少場を持つことも意識した。

テニスのグループだからテニスの話をすればいいと思うが、皆がそれほどテニスに熱意があるわけではなく、また優劣がはっきりするので、返ってテニスの話題はタブーみたいなところもあるのだ。

話題が切れたところで俺から主導して散会して帰途につき、カラオケ喫茶に寄った。

カラオケ喫茶には当初、たまにしか見ない女性を含めて6人くらいの常連がいたが、後からこれも常連の夫婦ふた組が来た。

俺は「遠くで汽笛を聞きながら」「チャンピオン」を歌い、最後に「天城越え」を歌った。

「チャンピオン」くらいから俺は注目度が高くなり、「天城越え」では皆静まり返り傾聴していた。

いつものように、話し出して俺の歌を邪魔したがっていた女性客もいたが、たまに来る相手の女性が、それを2曲ともさえぎっているのがステージから分かり、俺は嬉しかった。

それはそれとして、俺は後から来た常連の夫婦の奥さんに、強く気を引かれた。

その人には前から気を引かれ、このブログにも包容力のある女性と書いたことがあるが、年は60代後半くらいか、昨日は化粧もしており美しく若く見え、スタイルも良く色っぽくもあり、優しさや母性をにじませていた。

俺は時々席にいる彼女の方を盗み見たり、彼女が歌う時は遠くから凝視した。

しかし歌うチケットが切れたので、先に返った。

俺は長居するたちだったが、最近はそうでも無くなっているのだ。

夜風呂でトラウマ解消していたら、親しくしていた幼少期の近所のおばさんでトラウマが溶け出し、それがカラオケ喫茶の母性的な彼女に変わり、トラウマがどんどん溶け出した。

俺は、彼女が発する母性的な愛が欲しかったのだ。

俺は「いらない」でその愛を求める気持ちを否定し、トラウマをドンドン溶かした。

幼少期、親の愛に恵まれなかった俺は、母性的な愛を熱望しているのだが、これはトラウマだということが分かって来た。