「他人事だ」で集団から独立した人間関係の完成か? | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

昨日は午前中食物の買い出しに行った。

以前は夕食だけは妻が作ったのを別々に食べていたが、基本的に妻は俺には物を食べさせたくなく、お金だけは異常に俺から取りたいたちなので、俺から言い出し、今は食事は全く別々にして、食費も食物も別々にしているから、食物を買いに行かないといけないのだ。

昼からYグループのテニスに行った。

ここは以前は第二グループと言っていたが、第一と第三はシニアに入ってからやめたので、シニア関係以外のグループはここだけになった。

ここもシニア男子と重なるのでいったんは行かなかったが、シニア男子は日曜日もあるし、練習は第二グループの方ができるし、親しくなっている若い女性もいるしということで、続けているのだ。

俺は今シニアグループを離れようかどうか考え中である。

気の強いわがままな2、3人の女性に引きづられた、いびつな雰囲気の中でやりたくはないが、俺を好いてくれている人もいるので多少は未練もあるし、教室と合わせて週6日テニスしていたのが、女子と一緒の日をやめると週4日になり、その日が暇で困るのだ。

だから今は、俺はその日をどうしようか考えているところでもある。

夜はナイター教室に行った。

ここで俺も少しは知っている男が、第二グループの若い女性に馴れ馴れしくしているのに、少し動揺した。

俺はとっさに、「出てる」という言葉とイメージに切り替え、自分を保った。

表面上知っている人らが、そばで馴れ馴れしくしていると、俺はその中に入りたくなり、彼らに合わせようとする無意識が働き、自分を失いそうになるのだ。

こういう心理はもう解決済みと思っていたが、まだ残っていたとは。

帰ってからも何か面白くなく落ち着かなかったが、風呂でのトラウマ解消で、「他人事だ」のイメージで、トラウマがよく溶けた。

これは知っている人の中にいると、その集団に一体化しようとする無意識で、「他人事だ」はこの一体化からの分離を促すもののようで、他の人間関係にもイメージしてみると、自他分離したハッキリとした関係がイメージできる。

これは集団の力学に縛られた人間関係から、集団のメンバーとであっても集団から独立した、もっと個人対個人の直接的な関係、主に集団内でしか生きない関係から集団の外でも生きる関係のようだ。