受け入れてくれる集団に行きたいという強い衝動 | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

一昨日は午前中第二グループのテニスに行った。

ここにはかわいい気の強い女性が来ており、俺は「捨てる」で淡々と対応し、彼女のプレーが練習ではかなりいいが、試合になるとガチガチになることなどを話し合ったりしたが、彼女に執着はしなかった。

午後は疲れが出てたので少し家で休んでから、最近行き出したカラオケ喫茶に行った。

ここでは、ここの常連のわずかに面識のある女性と、顔だけは知っている女性2人がいたが、俺が行くと2人とも帰り出した。

俺が「捨てる」の気持ちで「あなたらがいたので入ったのに、帰るの?」と言ったら、少し面識のある女性が、「私はもう少し歌う」と言って、残ってくれた。

俺もやるようになったものだ。

そして交互に4曲くらい歌い、彼女は先に帰って行った。

その間俺は彼女に「すごいね」とか「いい声だね」とか声をかけ、彼女もそれなりに返してくれた。

その後図書館に行き新聞の連載小説を読んでから外に出たが、先週と同じく飲みに行きたいという衝動が湧いてきた。

今までは俺は、この衝動に負けてすぐ飲みに行っていたが、今回はちょっと待てと思い車の中で考えた。

一昨日は土曜日であったが、俺には一週間の集団活動の終わりの日であり、翌日曜日、月曜日は何もない日であった。

なので当分俺は行き場の当てがない状態だった。

もちろん家は俺が心安らぎ、気持ちが通じる場所ではない。

こういう状態の時、俺は孤独感と虚無感がみたいなものが出て来て、飲みに行きたくなるのだ。

そしてこれは幼少期、自分の家では家族の心の繋がりがなく、満たされなかった心の渇きを、親戚の家で満たしたく、周りに隠れて飛んで行ったものであると分かった。

そして車の中で1時間ほどトラウマ解放したら、飲みに行きたいという衝動が薄まり、どうでも行きたいというほどではなくなった。

しかし俺はこの思いを持って行くのも勉強だと思い、飲みに行った。

一軒めは、わりと後になって知った店で、久しぶりに行く店だった。

ここはだいたい客がおらず、同年代のママと一対一で話せ、孤独感から逃れられそうなとこだった。

初めは調子よく話し合っていたが、途中から酔ったのかママが俺を悪く言い出したので早めに出た。

どうも客がほとんど来ないようなのは、ここのママの性格の悪さが原因のようだ。

こういう時、欲求不満で今までの俺はさらに飲んでごまかしていたが、今回は冷静にママはそういう人かと、相手が分かるようになったのだ。

しかし俺は、この嫌われたという気分悪さを解消したく、いつものスナックへ行った。

ここではママや他の 知らない客とフォークソングを歌ったり、終わり頃は女性について語り合った。

最後に午前零時の終了を告げられるまで話していたが、その時俺はやはり、この長居もトラウマだとすぐ感じた。


昨日は午前中休んでいると、テニスなどの集団に行かないと落ち着かない気持ちがあったが、これを「突き放す」という言葉とイメージが急に出て来て、この強い衝動から解放され、集団と距離が取れた。

この集団に早く行きたいという衝動は、子供の頃の学校に早く行きたいという衝動だ。

俺は小学校後半ごろからは、親戚の家には表面的にも拒否されて行かれなくなり、学校が自分の居所となり、先生や友達から好かれるように行動することで、自分を確認していたのだ。

昨日は昼から畑仕事に行った。

この自分を受け入れてくれる集団に行きたいという、強い衝動から解放されて、俺は今までに無くゆったりと畑仕事に集中できた。