再びトラウマの核 | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

今日は午前中、水曜コースのテニスが雨で流れたが、俺一人コートに行ったのでコーチに、雨天コートでやるという女性グループの3人の練習に連れて行ってもらった。

彼女らのグループは、俺ら初級者のSグループといつも同じ日に練習しており交流はないが、かなり上手くカッコイイので、俺らのあこがれで、俺の目標でもあったのだ。

昨日も隣のコートでコーチも一緒にやっていたので、コーチに声をかけたり、俺が彼女らとどれくらいやれるか、練習の合間によく見ていたところだったのだ。

俺は少し緊張をしながらも、まあまあの力は出せたが、イマイチ戦術的に稚拙だったので残念さも残った。

しかし彼女らのレベルにかなり近くにいることは実感した。

それはそれとして、俺は彼女らの中でやる時、嫌われるのではないか、邪魔なのではないかと、わずかに不安もかすめ、帰ってから風呂でトラウマ解消した。

その不安はやはり親戚の家でのことで、俺は10年以上前から自己催眠でのトラウマ解消の対象としていたことが原因のようだった。

それは5.6才のころずっと親戚の家で生活していたが、その家のおばさんの姉が遠く都会から帰って来ておばさんの家に泊まった時、俺を呼んでなんでこの家にいるのか、難詰したのだ。

おばさんもそれに合わせて突き放した口調で、おるんなら米を持って来いと言う。

優しかった時しか知らない俺は、おばさんの態度の豹変にビックリした。

おじさんを見ると、おじさんは何も言わず傍観していた。

これにも俺はビックリした。

いつも俺に来るようにし向けたのは、おじさんで、いつも俺を可愛がってくれていたのだ。

俺は驚愕し自分を失ったのだろう。

俺はその直後に実家に帰ったが、どう帰ったかは覚えていない。

帰った俺はグッタリとし、家のコタツに入り込んで黙ったままだった。

家のものも何があったか心配していた。

そのうちおじさんが来て、また来ていいようなことを言っていた。

俺はそれに乗って後日また親戚の家に行き出したが、それはそれまでの安心したものではなく、遠慮した屈折した複雑なものとなっていた。

これが最大のトラウマで、今までは何十回も自己催眠で思い出し、トラウマ解消してきたが、まだ解消しきっていなかったのだ。

このトラウマで俺は、女性や集団の中に行くと排除され、嫌われ、攻撃されるのではないかと不安になり、小さくなってきたのだ。


話を戻すが、今日午後はヨガ教室に行った。

ここはいつも言うように、メンバーの交流はほとんど無い。

これはヨガのトレーニングはかなり辛いものだが、これを続けようとする人は、それなりの目的があり、交流はそれ程求めていないのではないか。

交流を求めるなら、もっと楽で楽しい種目があるのだから。

ようやくその辺のことが分かってきたか。