「その言葉はずっと覚えておく。ありがとう。心に響いた。」(要約/原文英語/意訳)
豪州在住氏のストーリー投稿が
また増える。
スポーツしている自分。
走っている自分。
友人達といる自分。
住んでいる所周辺のカフェの写真。
職場の入り口。
職場オフィスにある大きなクリスマスツリー。
職場までの道のり的動画。
街の様子。
お気に入りのカフェで
コーヒーを持つ自分。
自宅の自分。
夕焼け。
朝焼け。
昼間の公園。
自分、自分、自分、自分。
…俺通信の再来なのか。
何かがぞわぞわして来た。
違和感だ。
多少の違和感が
また芽生えて来た頃
なぜだか喪失感が
薄れてきているのを感じた。
私自身がグリーフ(喪失感)を手放せなかったというより、現実を受け入れられずに手放さなかった過去はもはや執着に近いものだったのかもしれず、見失っていたのは自分の方で、その姿を豪州在住氏という鏡を通して見せられているかのようで、どこか共通するような暗闇を見た気がしていたのと同時に、この状況だと自分がどんどん病んでいく事に気がついた。
何かが自分の中で
変わらないとと
思い始めている気がした。
そうか、この人の抱える闇のような
ものは喪失感から
自分で自分を
認められなくなっていて
自己喪失の上に自己肯定感も崩壊し
承認欲求で喪失している
自己を埋めたいのかも知れないと。
誰にでも大なり小なり
承認欲求というものはある。
しかし承認欲求というものは
自分で埋めるしかない。
自信と自己肯定感の低さが顕著で
それはもう本人次第で本人が気づけなければ変わりようもない事で
変わる必要があるかどうかさえ
本人が決める事。
それは私にも同じ事が言える。
そうか、私はこの気付きを得るために「無碍にできない何か」をパッと手放さず
今まで豪州在住氏の俺通信にもどこか耐えたのかもしれないとなんとなく思った。
しかし自己承認欲求と自己肯定感を得るのは自分でしかできない。
ただでさえ豪州と日本という
物理的距離があるのにも関わらず
更にうまく
SNSでの距離を取らなければ
と意識するようになった。
自分の醜さを見せられているのが
また何か辛くなってきた
感じがしたからだ。
私の喪失感の最終段階で話を聞いてくれたお礼になり得るのか、豪州在住氏に何か私が恩返しができるとしたら、掲載記事氏に手紙を書くか… ここでやっと進まなかった下書きを進める気持ちがかたまってきた。
記事掲載氏宛の私信を
ご本社に送るという事。
私信を送るというのは
秘書としてもやった事がない
事だったけれど
やっとここで
なるはやで書き終えようと
心に決めた。