話題が多岐にわたってしまったのは、豪州在住氏は大学で日本語を選択科目で履修した事、私は大学で豪州在住氏の母国語を専攻した事、お互いがお互いの母国語で会話をしたり、他同窓生の話や今の日常の事など、そして、やはり抱えていたお互いの「喪失感」の話。


25年以上会っていない同窓生だけれど

昔同級生だった頃より、コミュニケーションができたのは「文章」だったから。

自称コミュ障で「対面で話したら言葉は出てこないし、無神経な事を言うしドン引きするからメッセのやり取りが有り難いよ。」(原文英語/意訳)の豪州在住氏は昔から目立つ人でもなければ、一緒に卒業したと思っていたら転校という形で一足先に豪州へ旅立っていたとの事実に驚くくらい影も薄かった。


確か他のSNSでも

友人関係相互フォローを

していた記憶があり

SNSを開いてみた。

同窓生という事で

相互フォローなんだろうな

程度の形跡しかなく。

私の中でそんなに影が

薄い存在だったんだっけ?

プログラミングで同じクラスだった以外何も思い出せる事ないっけ?と自問自答し、

記事掲載氏の記事転送するにあたり豪州在住氏がパッと頭に浮かんできたのは何かの気のせいかと思っていたけれども


SNSメッセンジャーで2012年に

豪州在住氏から私に、記事掲載氏に関し消息確認の連絡が入って1往復半やりとりをしていた形跡をみつけた。


「え?こんなやりとりあったっけ?」

正直、その頃の記憶が全くないほどに多忙な時期だった事を言い訳のように思い出す。


2012年 某月29

「こんにちは、あやむ。お久しぶり、元気?自分の事覚えているかどうかもわからないけれど…()

当時の同窓生で「xxx(掲載記事氏の本名)ってわかるかな?(覚えていないはずないと思うけれど)(掲載記事氏)と連絡を取っていたりする?」(原文日本語+英語/意訳)


2012年 某月30

「おー!豪州在住氏、お久しぶり!もちろん、覚えてるよ。プログラミングのクラスで一緒だったね。しかし記事掲載氏の連絡先については分からない。ごめんなさい、多分、東京在住者さんなら分かるかもしれない。聞いてみてくれる?こちらでも何か情報掴んだらアップデートするね!連絡ありがとう。」(原文英語/意訳)


2012年 某月1

「返信ありがとう。東京在住者さんに連絡したよ、何かわかったら連絡してくれるとの事。プログラミングのクラス、懐かしいな。いい時代だったよね。」(原文英語/意訳)


ここで、私は完全にいつ読んだのかもわからないこのメッセージのやりとりをここで完全に止めてしまっていたようだ。

10年間の既読スルー。

いや、何か返す内容でも

ない気もしたんだろうと思う。


しかし、10年後の2022年に

また同じ人である記事掲載氏の記事を見つけ、2012年のやりとりをすっかり忘れていた私が、この人に「まるで2012年のやりとり」を完全に忘れ記事転送するとは

私から豪州在住氏への返信。


「久しぶり。元気そうでよかった。

急な連絡に乗ってくれてありがとう。

元気そうで何より。」

(英文/意訳)


どこから見ても

この後連絡が続くような

内容とは思えなかったのだけれども


絵文字多用の

時々挟む日本語

俺通信らしき

職場周辺のカフェや公園、自然やかなり自宅らしき所でリモートワークのカフェラテなど正直、困惑。

ただ同窓生と言うだけで

無碍に出来ない何か。


いや、私も大学時代その地で

勉強していたので

「久々その地を思い出したよ」以外のコメントも思いつかず、それより何よりまだまだグリーフ(喪失感)を引きずっている私には温度差が厳しい。しかしどこかこの人の寂しさを察知し、この人に何が過去あったのだろうと少しばかり興味だけは芽生えていたのは事実だ。


数回ほど、既読スルー

するしかなかった。

テンションの違いに

そうする他、私にはカードがなかった。


どうやら、高校卒業より前に豪州の高校へ転校していた豪州在住氏は私が同じ地の同じ都市で違う大学に進学した事を知らなかったようで俺通信系から少し話題が逸れていった。(ホッとした)


実は記憶は薄いが

その土地で在学中

豪州在住氏を街中で

見かけた事があったのだけれど

当時あちらも誰か他に人といて

こちらも他の友人たちといて

挨拶するには至らなかった。


この頃にはメッセージのやり取りの話題が3種程度に膨らんで同時進行していてよくこんがらがらなかったなと思う。


豪州在住氏の輝かしい今を

見せつけられているようで

どこか辛かった。

それは自分が過ごした地

ある意味逃げ出した地で

輝かしい今を送っている氏。

嫉妬でもあったのは

間違いないと思う。

そして時々メッセージや

返信スピードなどから感じる

隠された豪州在住氏の

寂しさのようなものの

正体は何なんだ…

超絶ご無沙汰連絡は
テンプレを作って、名前部分挿入部を変えるだけで送れるような味気も素っ気もなければ「要約はしたけれど、記事全文は翻訳機で各自よろしく」的な塩を少し盛ったくらいのものだった。


早々に返信が次々と届く。


「連絡ありがとう。あー 彼ね、覚えてる!彼SNSでみつからないからどうしているかと思っていた」(原文英語/意訳)
ジャカルタ在住氏


「連絡ありがとう。そちらは元気ですか? それにしても、(記事掲載の同窓生)ってそうだったの!?そんな偉い人になってるとは!彼と連絡を取る方法はSNSにはないの?」(原文英語+アジア言語/意訳)
東京在住さん


「遅い時間にごめんね。
◯◯◯◯◯の後継ぎだったとは驚きでしたそれに同い年だったことも忘れて歳上かと思ってました。
みんな活躍してるんだね〜。
お手紙だいぶ時間空いちゃったけど近々お返事送るので待っててね。」
(ほぼ原文まま)
大阪在住さん


「現在の写真と、昔の面影が一致しないなあ。」
(原文英語/意訳)
バンクーバー在住さん



などなど当たり障りのない元同窓生らしいやり取りの中…


一瞬、こちらが
完全に困惑するくらいに
連絡に喜んでくれた
その人は
私の記憶では同い年か
1歳年上の豪州在住氏。
11年生レベルのプログラミングのクラス、サイエンス、アートの教科で同じクラスだった(サイエンスは記憶が怪しい)。特に私が記憶しているのはプログラミングのクラスで元々5〜6人しかいないクラスだけれど、彼と私は、授業だけでは課題と理解が追いつかず「残され組」だったという事。この印象ばかりが強い。放課後に指導の先生が来る前に、コンピュータ室で2人、しーんと会話もなく、画面に向かって進めていた記憶が鮮明に残っている。それくらい静かな落ち着いた印象のある人で、授業で話す以外の記憶が全く無い(笑)


そんな静かな人がしてきた
返信のギャップ。
なかなかにテンション高めの返信。
しかし結構プライベートも公開しているSNSで知る限りこのテンションがどこから来るのか想像もつかなかったし
いい年の男性ですが
何分、日本人ではないという事で全てに目を瞑り、とりあえず当たり障りのない返信をする事にした。

正直、この掲載記事氏(元同窓生)のネット記事を元同窓生達に
送ったところで何になるのか。

人の喜びに何か手伝える事。
普通の状態ならば、即行動して
元同窓生達と連絡を取り合える事に感謝もしただろうと思う。

自分の置かれた今の場所からは
眩しすぎて、辛い。
しかし非常に喜ばしい。
葛藤が1日1日行動に移す事を遅らせる。

連絡をするだけの話なのにも関わらず
意を結するのに2週間掛かったのが
本当のところだった。

それだけ
眩しすぎた。
それだけ
自分の置かれた状況に
悲観していたというのが
本当のところでした。

結局、おそらく
よく記事掲載氏と
当時仲が良かった人は
記憶違いでなければ
これくらいか…と
絞ってみた。


東京在住さん
大阪在住さん
ジャカルタ在住氏
シンガポール在住氏
バンクーバー在住さん
豪州在住氏
トロント在住さん
などなど…
他数名も日本語は
分からない人々ではあるけれども
ピックアップしてみた。

記事を転送するのに
これだけ迷うほどに
ネガティブ沼に棲息していたという証拠と言えるでしょう。



季節がいくつも変わり

やはりどうにもならない

一生会う事ができなくなる別れがあり

筆舌尽くせぬ思いで

しばらく生きていました。


日常生活と仕事以外の事に

興味も何も持てない日々が

続いていた中

その別れに対しては

悲しみを

悲しみ抜こうと決め

生きようとだけ。


寂しさや辛さから逃げるのではなく

何かに頼るのではなく

こればかりは一生ものの別れで

自分ひとりで悲しみ抜くしかないと。


この辛さがその人が最後に

遺してくれた試練で、

悲しみや辛さ、そこに

立ち止まっていても

何にもならないと人に

言われようと、自分のペースで、

自分で光を感じるその時まで。


仕事と生活とそんな中

20年前に一瞬で断念した

とある言語との偶然の再会。

「他言語恐怖に対する

根底にある恐怖感」とは

一体どういう事なのだろうか

という謎解きを始め

その言語ともう一度向き合う事に

してみた最中のウクライナ情勢。


私自身、様々な事から

逃げ続けていたツケが

回っていたのが2019年。


コロナ禍で状況が

様々変わったのは

社会、人、世界、習慣。

ありとあらゆる大事なものが

目まぐるしく変化を続ける

新しい様式に

慣れなければ

ならなくなりました。

このブログももはや

開設しただけの放置状態で

閉鎖しようかどうか

悩んだ時期もありました。


この状況下だから

出来る事、出来る可能性が

ある事を人に説かれても

意見を聞き入れ

視点を向けていく

余力もない時期でもありました。


そんな中

同窓生がとあるネット記事に

掲載されているのを目にした時は

非常に嬉しかったものの

現在の自分の立ち位置との差を

まじまじ認識せざるを得ない状況で

1週間は更に脱力感が

増したけれど

おそらく、その記事が

手がかりでその同窓生が

他の同窓生たちと

連絡が再開する機会に

なるかもしれない。

そこで余力を振り絞って

彼らの間で連絡構築が

結果できなくても

とにかくやってみよう。

皆、同窓生がその人の事を

ある意味探していたのですが

海外から探すのは

なかなか難しいのが現状です。


この事から

生きる屍状態だった私に

光がわずかに見えるきっかけに

なるとはその時には

思ってもいませんでした。


長くなりました。

また自己都合の良い時に

書き綴らせていただきます。


寒暖差が身に沁みる季節ですが

どうぞご自愛の上、お過ごしくださいますよう。