豪州在住氏と記事掲載氏は同級時代、仲が良く、別々の国で大学へ進んでからも豪州在住氏が日本滞在時には記事掲載氏のご自宅に泊めて頂いたらしい事が判明したのは以前、記事に記載しました。

その後、連絡が途絶え、連絡手段を失ったとの事。


まず私の喪失感についての話を訥々と数日間に渡って、する流れになり

故人との関係性、経緯、生ける屍状態での生活など。


連絡再開から、3週間くらい

経った頃お互いが抱える

話をした頃だったと記憶。


メッセージでの

やりとりなので

数日間にわたっているのだけれども

喪失感の話はやはり

人に話すにはまだ心が辛くなり

上手く説明ができたとも思えない。


(私の本名)、そんな辛い思いをして過ごしているとは思わなかった。何か無神経な事を連絡再開時から言ってしまっていたら本当に申し訳ない。そして、さらに無神経な事を言うかもしれないけれど、グリーフ・プロセス(喪失感に対する心の整理)がいつまで掛かっても自分の気持ちが昇華するまで大切に持ち続けるというのはものすごく痛みも伴う決断だと思う。そしてその決断も尊重したい。自分の心に準備が整った頃に、不思議と何かが変わり始めるものなんだ。偉そうかもしれないけれど、自分事で言うと今の仕事外の活動なんかもそうで、心が整い始めたら、前に進めるようになる。焦る必要はない。自分のペースでいいと思う。ただ覚えておいて。あなたは生きている。今ここに生きているからこそ人生を全うするように生きていいんだ。人生は誰にとっても1回しかないから。(原文英語/意訳)


正直、このメッセージの

最後の部分には響くものがあった。

テンションが妙に

高かった豪州在住氏が

発するこの言葉のギャップ。

この言葉が私の中の

何か壁のような盾が自然と少しずつ

剥がれ落ちていく

きっかけにもなったのだと思う。


通話ならば30分もあれば終わる話だっただろう。

数日前に私が突発性難聴により左耳失聴、右で音を拾うもかなり静かな場所でないとマスクをつけたりした中での会話は非常に困難だからと言う事を打ち明けていたからというのもあるけれど、豪州在住氏は昔からどこかあがり症で本人も「メッセージのやり取りがスムーズだからって顔を突き合わせて話せばボロしか出ないから。余計な事を言って怒らせるかもしれないし。だからメッセージのやりとりがいいと思う。怒らせてしまう自信ならあるから。」と言うメッセージのやりとりがベースにあるのかもしれない。1カ月近くオンオフしながら続くメッセージのやりとりの方がテンションや温度の違いに戸惑いつつもコミュニケーションブレイクダウンという状況に陥る事なく出来ているからこの方法が良いのかもしれない。


なんとなくそう思った。