子供の頃からずっと笑顔が特技だと信じていました
卒業アルバムの寄せ書きに「笑顔が印象的でした」と書いてもらえたことが嬉しかったし
百貨店のインフォメーション時代は「あなたの笑顔、とってもいいわ」とお客様に褒められたりしました
えびさわです
嫌なことがあってもいつもニコニコしていたような気がします
だけど本当に辛くて辛くて
毎日私なんていなくなってしまえばいいんだと思っていた日々が長らく続いた20代
それでも笑顔でいることが大切だと信じて笑っていました
「笑う門には福来たる」っていうもんねって言い聞かせて奮い立たせていました
その反動でひとり暗い部屋の中でどよーーーーーーんとするっていうね…
自分がこんなにもダークサイド側の人間なのかと驚きました
だからなのか
「笑顔が嘘くさい」
「目が笑っていない」
「本当のところ何を考えているのかわからない」
そう言われることがありました
必死に装っては無理しているのが
周りから見たら痛い人だったのでしょうね
その指摘が更に辛い日々を辛いものにさせていました
だって他に鼓舞するものなんて何もない
愛されていない
キャリアもない
お金もない
だけど生きていかなきゃいけない
娘がいるもの
大げさでもなんでもなくて生きるための最後の砦が
私にとっては「笑顔」だったのです
*
いつもお世話になっている網野麻理さん発のコミュニティ、「プラスの連鎖の場を作ろう」内のzoomミーティングで
エッセンシャルマネジメントスクール学長の大久保寛司さんとお話をするという、なかなかない機会に恵まれました
昨今のメディアに左右されない方法を伺うという流れから
前向きだったり感謝したりすることがナチュラルキラー細胞の活性化に繋がり、免疫力が上がると教えていただきました
そしてとにかく笑うことが大切です、と
その言葉で
密かに引け目を感じていた私はとても救われた気持ちになったのです
生きるために
得意な方法で
最善の方法で
生き延びたのだ、と
大丈夫だった
頑張った
ひとりで耐えた
心で泣いていても口角を上げていた
それで良かったのだ、と
だけど
私にはもうひとつしなければいけないことがあったのですよね
悲しい、寂しい、辛い
そんな感情もちゃんと大切にすること
自分と向き合うことを恐れないこと
渦中にいた私は、そんな風に感じる自分は良くない
そして向き合うのがとても怖い
だから必死にかき消してきました
だけどなかなかうまくいかなかったんですよね
その感情は見つけて欲しくてそこにずっと漂っているから
それはまるで自分自身の生き霊のよう
「負のオーラ」というやつですね
見て見ぬふりをし続けた私はついに
当時生後4ヶ月の娘と二人きりの家の中で意識を失って倒れたのです
今考えると相当大げさですが、いっぱいいっぱいの私は24歳にして死がよぎりました
旦那はちっとも連絡が取れないので、挨拶を交わす程度の仲だったお隣さんに勇気を出して娘を預けてひとりで病院に向かいました
感情が湧き上がった時に向き合っていたら
こんなにずっと苦しまずにいられたのかなと思っています
そして寛司さんがおっしゃっていたこと
作り笑いをしてしまうくらいの時は、
紙にネガティブな感情を書きまくってそれを燃やすのが良い
私にとってブログとは、感情を「燃やす」場所
燃やして還っていく
そしてそれをまた土壌にして新しいことに向き合っていく
実際、燃やしてはいないけれど
だから何年も経って、やっとやっと
ひとりぼっちで怖くて怖くてたまらなかった感情が昇華できたのです
私は、人生に絶望しつつも必死に生きていた頃の私自身に向けて書いています
味方なんて誰もいないと思っていたあの時の私に寄り添えるのは今の私しかいないから
ずっと私が私に「大丈夫だよ」って言い続けているんです
不思議な感覚ですが
だからこそあの時の私は乗り越えられたのかもしれないですよね
そして、私を知って一歩踏み出した人たちがいます
自分のためだけに始めたブログでしたが
発信すると誰かの勇気になる
そう確信できました
影響力もないし微力だけれど
いろんな出来事があるにせよ、私は私らしく生きているよってことを見せ続けていたら
誰かの希望になるから
たくさん笑いながら
思いっきり全ての感情に向き合っています
今それができているのがとても嬉しくて幸せ
そんなことを感じた春分の日を迎えた連休でした♡
というわけで
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