巷説百物語&続巷説百物語 | aya風呂

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ちょっとまた書いてみようかな(´u`)

百鬼夜行シリーズでは事件がまるで妖怪のように見える=妖怪は犯人側にあった。
この巷説百物語シリーズでは事件解決に妖怪を使う=妖怪は主人公側にある。

果たせぬ想いや遣る瀬ない気持ち、怨みつらみ嫉み妬み、悲しいや憎悪まで、有りと有らゆる辛い現実が、凡て化け物の仕業となって円く収まってしまう――又市の仕事は概ねそうした仕掛けなのである。



短篇7作構成のシリーズ一作目を読んだとき、短いせいか淡泊な感じがした。
続いて短篇6作構成の二作目を読んだとき、やっぱり味わい深いと、はまった
一作目と二作目の事件は交互に発生しているが、二作目の中で登場人物たちの生い立ちや人となりがわかる。
さらに、三作目は一作目より前の話、つまり実質的には最初の物語となっている。
京極本は表装も面白いけど、プロモーションもだなあ

時代劇というと勧善懲悪と独特な口調を思い起こすが、勧善懲悪ではない。
善悪正悪という価値観を揺さぶるにかかる

武家は戦をするものや。では何故戦をするのか。己のためか、お家のためか、道のためか。違うやろう。それは皆、武家の理屈や。戦いうのは武家のためにあるものやない。闘うために闘う戦などない。戦は民のためにするものやろう。民に背かれては、する意味がないのとは違いますか

生きるための戦なら意味もあろうが、殺すための戦に我等は意味が見出せなんだ。だから我等の先祖は宿願とやらを棄てて、百姓になったのやと思う



「巷説百物語」 
「続巷説百物語」