今昔百鬼拾遺 月 | aya風呂

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ちょっとまた書いてみようかな(´u`)

『今昔百鬼拾遺 鬼』『今昔百鬼拾遺 河童』『今昔百鬼拾遺 天狗』の合本。
京極堂の妹敦子、森博嗣Vシリーズ瀬在丸紅子みたいな知的で勇敢なお嬢様、背が高く溌剌とした敦子以上に敦子な女子高生、いずれも百鬼夜行シリーズで印象的だった人物が主人公となった。

鬼「迚も怖い」河童「品がない」天狗「傲慢」をキーワードに、そういう人たちが暗躍する。
河童って下品なのね
下品やら老害やらを「美由紀ちゃんの啖呵」などでバッタバッタ切っていくのはチャンバラみたいだけど、原理力マグロで失業した男、厩(うまや)廻しと差別など、ちょこっとひっかけてくるテーマひとつひとつが重く、巻末参考文献は硬派。
「森脇メモ・造船疑獄事件、隠退蔵物資」挿話で出てくるキーワードで昭和の暗さを知ることもできた。
多いなぁ、日本の解明しない大きな事件

 勝敗は、単に面白さを担保するために考え出されたお約束に過ぎませんのよ。他のスポーツだって同じね。勝敗は飽くまでゲームとしての体裁を整えるためにある約束ごとに過ぎないの。スポーツ競技は勝つためにやるものではない筈。やること自体に意味が見いだされるべきものでしょう?

でも、負けてもいいと思ったら面白くないのでは?
 勿論勝ちたいと思って努力練習するのはいいのです。そうでなければ面白くなりませんし、そうしなければ面白くありませんもの。けれど、勝たなきゃ駄目、負けるのは駄目なんて、そんな莫迦なお話はないと思いますわ。面白くするためのお約束が面白くなくなってしまうなんて本末転倒よ。スポーツは愉しくあるべきです。練習も試合も含めて愉しくなければ嘘ですし、勝っても負けても面白いと云うのが本来の在り方だったのではなくて。スポーツと云うのは、負けても愉しくあるべきものだとわたくしは考えます。

でもでも、負けて悔しいとか勝って嬉しいとか思うじゃないですか?
 それはそうでしょうけれど、悔しいと思うことと駄目と思うこととは違うでしょう。悔しいと云うのは、次があってこそ。もって練習してもっと愉しもうと云う気持ちじゃないのかしら。
負けたら終わり、それまでの努力も水の泡――なんておかしいでしょう。何かを習得する過程、熟練して行く過程こそが愉しいのですわ。それこそが人生の糧。勝敗と云うのはただ一度のゲームの結果に過ぎないのであって、人生の結果ではありませんわね。


負けたら終わりというのは大昔の武士の真剣勝負ぐらいのもの、負け=死だからホントに終わる。
勝ち負けの呪縛、家系や婚姻制度などなど、武家作法の残滓は根深い。
自分の中にも

『今昔百鬼拾遺 月』