みや隊長、国際協力ドタバタ日記 -3ページ目

みや隊長、国際協力ドタバタ日記

公衆衛生修士を目指し、大学院留学をもくろみながら(行先決定済)、世界を知るため、途上国で働いています(帰国済)。その後、政府外郭団体にて、毎日ドタバタ・アクセク働いている (退職済)、ちょっと風来坊な私の毎日(不定期)をご紹介します。

おっひさしぶりです。
生物統計、またの名をBIOSTATISTIC,
RESEARCH DESIGN AND DATA COLLECTIONまたの名を、特になし、
PUBLIC HEALTH ASPECTS IN REPRODUCTIVE HEALTH またの名を、訳すのめんどくさい、
EPIDEMIOLOGYまたの名を、疫学
以上、殺人的な課題に振り回されております。
今週は感謝祭またの名を、THANKSGIVINGということで、学校はお休みになります。木曜日から日曜まで。私はとりたてて、感謝する気もないので、FINAL EXAMに向けて、ちょっと、ご学友より先んずれば、なんとやらで、がんばってみます。
下の写真は、私がいつも、つるんでる?というのかわからないが、共に、同じ、学習室なる部屋を予約し、毎日朝から夜中まで、缶詰になってるご学友達です。
下、左からJanet, Miranda, Kate, Brodwyn, sneha
上、左からPema, Mien, そして小生です。

では。
みや隊長、国際協力ドタバタ日記-ご学友
セミナー初日は、自己紹介と事務手続きから。
自己紹介は、、、みんな、悪いが、アクセント強すぎて、何言ってるのかわからんかった。
というか、興味がもてなかった。文学、気象学、エンジニアリング、国際政策と分野は多彩だが、
隊長には関係ない。そして、隊長の分野も彼らには興味がないだろう。

そこで、自堕落な隊長は、面倒くさくなって、自己紹介の順番が回ってきたとたん、
「悪いんだけど、座ったまま話すね。立つの嫌いだから。メジャーは公衆衛生、行き先はコロンビア、NY、J○C○で経験を積んで、マスターとらないと話になんないから、留学決めたの。F奨学金は、今でもなんで合格したのかよくわかんない。3週間、よろしく」ってな感じ。。。

コーディネーターも先生達も、他のフェローも、唖然。
みんな、前に出て、立って、感動的に話してたのに、隊長だけ、なんだか、うんざりして、座って話すから。

でもさ、ここには3週間しかいないんだよ。
それに、ここでコネクションもなにもなくない?
気象学と文学の人がどうやって、隊長のキャリアにかかわってくるわけ?WHOでも入れてくれんの?

それで、いよいよアカデミッククラスとやらが始まったわけ。
先生は、U Penn のPh.D(ドクターコース)の4年生くらいかな、ジェイミーっていうかわいらしい人。
まだ、生徒だから、先生の立場から物を言わないし、どうやって、修士/博士課程を生き抜くかなど、サバイバル法を教えてくれる(そんなに、大変らしい)。
で、3週間を通しての課題はね、
「トーマス クーンの科学革命におけるパラダイムシフトは自分の分野に適用できるか、否か」
論文(ドラフト2回提出)、口頭プレゼン、パワポ作成
らしい。

は?????????????????????
すみません、隊長、8月27日までに、公衆衛生の論文100pくらい読む宿題と、オンラインで数学のテスト受けるようにいわれてるんですけど。。。
そんな時間、ないです。
そもそも、トーマスクーンの科学革命って、所詮、理論ですよ?!
反して、公衆衛生って、もっとプラクティカルなわけですよ。
理論は所詮理論、そして、セオリーは所詮セオリー
つまり、実社会の問題にあてはめるのは、無理があるというのが隊長に意見です。

くだらねえ。(どうやって、MACで、えを小さくするの?tomoさん)

それだけならまだしも、やれ、フィラデルフィア観光だ、DC観光だ、大学内見学だ、ホームステイだ、
授業以外に時間もみっちり埋められてるわけ。
もちろん、DCとホームステイはスキップしました、コロンビアの手続きでちょっと問題があって、NYに戻る必要があったから。
そしたら、ちょっとコーディネーターは気に食わなかったらしくて、「隊長、フルブライトに報告しますよ、あなたは、たまたまフィラデルフィアとNYで近いから、行き来ができるけど、他の人のことも考えて」っていうから、
隊長、着火しました。
「どうぞ。というか、すでに、日本の支部には報告済みです。私は、この大学に通う訳ではありませんし、コロンビアから至急コンタクトしてくれと言われれば、それを優先します。コロンビアが私の所属先ですから。日本の担当者は理解してくれましたけど、どうします?」って。

その返事は、
「あ、ありがとう。自己報告してくれて。でも、なるべく行事には参加してね」だそうです。

つくづく、くだらねえ。

論文の模様は、また今度。

今からアパート決めにいかなきゃいけないからね。バイバイ
前のNudityから読んでね。
NYからフィラデルフィアまでは、バスです。
NYのPennステーション前から、MegaBusというのが、主要都市との間を発着してます。
価格は、驚くべきことに数ヶ月前に予約すれば、片道1ドルで予約できます。
直前になるほど、高くなりますけど、それでもマックス15から17ドルです。

バスは、、、快適ではないですけど、中国系バス(格安、汚い)よりは、
きれいですし、席はせまいですけど、ま、2時間なら普通の人は耐えられると思います。

フィラデルフィアの30thステーションにつきますと、そこからは、スーツケースもありましたので、
近いながらもタクシーで、ベンジャミン フランクリンさんが設立したIVYリーグの一校であるUniversity of Pennsilvania へ。セミナーのコーディネーターから、さんざん、「レシートをもらってね、タクシー代あとで、払ってもらえるから」といわれてたのに、かなり疲れてる私は、忘れた。
たかが、10ドル、ここまできたら、どうでもいい。

滞在先は、大学内の寮。
世界でも最も名誉のある奨学金の一つであるFなのに、なぜに、寮?
(けちくさいぜ)(いろいろしてもらってるのに、ぜいたくをいうな隊長)
10代、20代前半の小娘なら、寮も、またそのばかばかしさも楽しいだろう....
しかし、隊長は三十路である。
頼むから、ホテルにしてくれよーーーー。(こころの叫び)

寮の部屋は個室です。バス。トイレは、隣の部屋の同じ奨学生FROMコートジボワールと共同。
ま、仕方ないね。

セミナーなんて、しょせん形式、異文化交流、そんなとこだよねー、フ、フーンとたかをくくっていた
隊長。


次の日から、地獄を見ることになる隊長でした。

おひさしぶりです。
こちらに来て、早3週間が経ったようでございます。
フィラデルフィアとNYの往復は非常に、ひじょーに、三十路の私には堪えました。

初日、
成田空港までは、隊長父の運転で。。。
途中、事故渋滞にはまり、隊長父の機嫌、MAX悪化でございまして。
これは、隊長母がかわいそうと、なんとか、チェックインをすませ、
最後の晩餐を、空港の適当な味の適当な店でしたわけでございます。

そんな晩餐も、なぜか、隊長父の機嫌を直すことができず、あっさりと「じゃーね」と駐車場へ向かうエレベーターを降りていく父と「気をつけてね」とちょっと悲しそうな母をなぜか、、、私が見送り、
大急ぎで、入国審査へ。
なるべく、飛行機内のトイレに行きたくない私、そろそろ搭乗30分前にもかかわらず、
トイレへ。
しっかりと手を洗っているとアナウンスが聞こえてきます。『ユナイテッド000便にご搭乗の隊長様、
ゲート14番にお急ぎください」
おーっと、通常あまり遅れない、私が、なんたる失態。
動く歩道をダッシュです。ちなみに走るのは大嫌い。。。
結局、搭乗していなかったのは、私だけでございまして、他の乗客の方々のしらーっとした視線をさけつつ、着席。
到着は、シカゴ空港。ここで、NY行きに乗り換え、間は2時間あるざんす。
余裕ざんすよ。と、走ることなく、進んで、ゲート到着、出発10分前、なぜかゲートはしまってます。
「もう締め切ったの?」
「YES, (なんでおくれたの、あんたは?!)」
「入国審査でね、すっごい行列だったんだよ~(悲しそうに)」(あくまでも、空港側のせいにしないと、チケット代払わされます)
「じゃ、次の便に乗りな、わかったね?」
「はい、、、、」
そして、遅れること1時間、次の便に乗って、NYへ。
乗るはずだった便は、1時間前、荷物はその便ではこばれてるはずだと思うじゃないっすか。
バゲッジクレームに荷物なし。。。。
カウンターにいるねいちゃんに、
「荷物ないみたい。。。探してくれる?」
「(しょうがねーなー)番号は?」
調べる音
「あー、あんたの荷物、まだシカゴだよ」
私「(なぜなのーーーーー!!!)そうですか、で、どうしましょうか?」(ここは冷静に。。。というか疲れすぎて、戦えない)
「23時までここで待っててくれれば、渡せるけど。」
「今、20時なので、ちょっと疲れましたので、できましたら、お届けくださいませんか?」
「いいよ」(あんたたちの失態なのに、何故に私が低姿勢?)

荷物(洋服、下着)なしのまま、ホテルへ。

その夜の私には、下着もパジャマも買う気力はなく、、、、
素っ裸で寝ました。

荷物は翌日の昼頃届きまして、フィラデルフィアにF財団の研修のため、翌日、
バスで出発することになるのでございます。

つづく

すみません、絵文字使う気力ないんで、あしからず