”有楽町で逢いましょう” | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。




元記事に出た広告:
拙ブログの🏠で提示されるマンガ2つ:
…ということは、老婦人も若そうな女性も哲学的忍耐力の鍛え方が足りない「こじらせ女子」型PTSDということです。

メリーさんのご家族のように治しましょう。
S先生も
翠雨先生も
PTSD治癒のプロセスは同じです。

S先生の仰る「キュア」については、
にコメントしました。

日本人ならPTSD予防&予防医学そして平穏死

https://blog.goo.ne.jp/franoma

『そもそも宗教は対立点になり得ない。』

https://ameblo.jp/aya-quae/entry-11937453035.html

富良野まりえ (@franoma)

”子どもの #発達障害 ・ #精神障害 を0から考える勉強会~それって本当に #病気 ?
#治療」という言葉でいい?” 


責任という虚構責任という虚構
3,780円
Amazon

富良野まりえ (@franoma)


小坂井敏晶『責任という虚構』(2008年、東大出版会)p. 247
「近代の超克を説くのでもなければ、宗教へ誘うのでもない。規範的思考で人間の世界を割り切ろうとする浅はかさを批判…「神々を生み出す装置」(machine à faire des dieux)というベルクソンの美しい表現…むろんそれは社会に他ならない。
富良野まりえ (@franoma)

(続き)デュルケムは言う。「無私無欲あるいは献身の心が生まれなければ道徳は始まらない。しかし我々が従う主体が我々個人より高い価値を体現しなければ、無私無欲の気持ちは意味をなさない。ところで現実の世界において我々以上に豊かで複雑な道徳的実在性を持つ主体…(後は省略)」その先は…
富良野まりえ (@franoma)

人類社会と神のどちらに無私無欲=献身の心を抱くか?…それは、どちらでも良い…「何故なら、社会が象徴的に把握され、変貌したものが神に他ならないからだ。
 神の死によって成立した近代でも、社会秩序を根拠づける〈外部〉は生み出され続ける。虚構のない世界に人間は生きられない」(引用終)

この本とセットになっているのが

レヴィナス(著)内田樹(訳)

観念に到来する神について』

(1997年、国文社)


本書に収録されたテクストは、

『神』という語を意味のある語として悟性的に了解することの可能性——ないしは悟性的に了解するという事実そのもの——について考察したもの」です。


人類社会において世界人権宣言の精神を共有し、人類の福祉のために生きましょう。

お返事ありがとうございます。

⒈ 「解離する特権は誰にもない」ことを互いに認め合うこと
=世界人権宣言の精神を共有すること
…これが「鎖国」になるのですか?

「解離する特権は誰にもない」ことを互いに認め合うこと=世界人権宣言の精神を共有することですから鎖国は無関係です。

お返事ありがとうございます。

⒈ 「解離する特権は誰にもない」ことを互いに認め合うこと
=世界人権宣言の精神を共有すること
…これさえ共有できれば、末田耕一医師に保護室の使い方を習って、西洋白人ヒエラルキー強化を図って我々日本人への不当な介入を行なってきた連中=大学人&「専門家」たちをブロックできます。WISCなど敷衍してきた創価大学の存在が創価学会の非人道性を露呈しています。創価大学だけでなくカネだけ大学=慶應義塾の六本木派(?)が
https://bit.ly/DSMfaction
で「黄色いサルには何をしても良い」ことにしたことが大惨事を招いています。大野裕医師は、人道上の罪とは何か理解できていないからこそ、DSM日本版の監修を任されたわけで、こうした心理戦の展開が偶然のもののハズがありません。
ハーバード・ブランド詐欺も、もちろん偶然ではないでしょう。

全世界に、良心を解離する特権を行使してきた心理職や精神科医はじめ「専門家」が跋扈していますよね。なので、
⒈ 「解離する特権は誰にもない」ことを互いに認め合うこと
=世界人権宣言の精神を共有すること
…これさえ共有できれば、末田耕一医師に保護室の使い方を習って、西洋白人ヒエラルキーの強化を図って我々日本人への不当な介入を行なってきた連中=大学人&「専門家」たちをブロックし、解離する特権を行使する不良外国人は本国へ強制送還して「鎖国」は必要ありませんし、
⒉〜⒌は、日本原住民が自ら行なっていくことです。

なお、解離する特権を行使したくない人は、
https://bit.ly/inDieKur2nehmen
で治せば良いので、日本で暮らすこともできるでしょう。

スコーンさまと私の間には、対立はないと言えますので、共生の作法で良い隣人になれるでしょう。

補足です。

西洋白人ヒエラルキーを強化しようという心理戦は、人類史レベルで結構、露骨ですよ。
そのことを考えて地球人=太陽系第三惑星人として生きることは、攘夷論ではないわけです。反キリスト教で誰かに踏み絵を踏ませることでもありません。

参考:
アヘン戦争」に潜む欧米侵略主義の“野蛮さ”(植民地資本主義の限界、正体)の核心が当時の欧米民主主義思想の裏面(欠点)であることを見抜き、自生の「普遍」観念の必要性を警告していた。これは単純な攘夷論に非ず!
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/touch/20180307




皆さまも、お大事に。