”精神医学界の植松聖・福島原発男のkyupinが再びWindows10記事” | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。



元記事:
http://ameblo.jp/phantom-nightmare/entry-12185438230.html

「犯行後に『ビューティフル日本』とツィッターで流したのも
直感的に安倍晋三がPTSD否認の元締めであることを
正確に理解していた植松聖。

まさに植松聖は子無しのkyupinと安倍晋三の実の子供なのです」



参考:
『ゴジラ(広島原爆PTSD研究)と
MUTOムートー(児童虐待トラウマPTSDの植松聖)』
http://ameblo.jp/phantom-nightmare/entry-12185388997.html
「映画「ゴジラ」をテレビでやってる。
破壊の限りを尽くすMUTOムートー(遅発性児童虐待トラウマPTSDの植松聖)。
この怪物を制御するには「PTSDの原点」(毎日新聞・香山リカ、朝日新聞)である
「広島原爆PTSD」を知るしかない」

少し前、私が
「エンタメとしてダメ」と書いたマンガ、
白泉社の『MELODY』に1999年より連載開始されているロングセラー・コミック、
『秘密 ―トップ・シークレット―』/清水玲子
映画化されるんですね。
http://books.rakuten.co.jp/event/e-book/feed/index-sp.html?fid=20160808-001001-13810-000&d=20160808_17
「ある末期がんの患者が、 60年前の信昭ちゃん誘拐失踪事件 の犯人であることを告白。
彼の供述通り、土の中から小さな遺体が発見された。
残された老いた母親の希望で、第九は信昭ちゃんの最後の脳の記憶を彼女に見せる。
愛息子の死ぬ直前に見た夢の中では、若かりしころの母親と子どもの幸せな姿が映っていた」

お子さまの名が「信昭ちゃん」なのが嫌味ですね。
believe に
昭和の「昭」
そして「昭」は「日」プラス「召」ですから、
「«日+召»を確信する」ように命名されている子が被害者。

それにしても、個体=死者の脳を解析して記憶を再現できるようになるというのは、加藤忠史さんらの展開しつつある「妄想」と同じなので、気持ち悪い話です。私も、以前は、加藤忠史らの進める研究に死んだあと、脳をあげてもいいかな(リチウム単剤で躁鬱病がコントロール可能という点から脳神経内科的なアプローチにプラスになるかも?…と)思っていたのですが、「リチウム単剤で躁鬱病がコントロール可能」だというケースは極めて稀であり、ほとんどの精神科ユーザーは薬物治療の転帰が極めて悪い。私の脳も役に立たないでしょう、なぜなら、私は自己糾明が進んでいるから治ったのであり、内因性の精神病でもなければ、アスペでもなく、精神機能は飛鳥井さんより正常です。「殺人鬼に愛着しないのは、精神機能が正常に働いているからであり、それを『愛着障害』と言い募る飛鳥井さんはマジキチ精神科医」だから気にしないでいいと、息子にも言ってあります。

どうも、すみません。

人類レベルでPTSD現象の観察を進めた結果、加藤忠史らの進める研究は科学的な仮説とは言えない妄想だと気付きました。
http://now.ameba.jp/aya-quae/2013858974/
RN: 「誰のおかげでこんな本出せたんだろう?
ここまでわかった! 脳とこころ |日本評論社 https://www.nippyo.co.jp/shop/book/7173.html 」…
ここでいう「こころ」とは、
被験者の[人格]を認めた通常の意味での[こころ]ではありませんね。
と「なう」あ*quae [7/12 11:14]を書きました。

なぜ、こうした妄想が「科学的な仮説」として出てきてしまうかというと、シモンドンが批判する西洋学問史の素朴実在論的な側面に引きずられているからだと考えられます。
要するに、
「記憶」という「こと」と
一対一対応している「もの」が
あるに違いないという思い込みがあるから
その「もの」=「脳」に違いないと当たりをつけてしまう=勘違いしてしまうのです。

これでは、
空想科学マンガではなく、
妄想科学マンガですので気色悪いばかりです。
歴史的心身を構成しているのは何かを考えれば、
「T4作戦」で脳を集めたドイツ精神医学のパロディをやっている
加藤忠史さんらは、終わっていると理解できますね。全然、科学的とは言えませんので
「妄想科学」とでも呼びましょうか。


以下のような記事もありました。
『人間の野性と、言葉』
http://ameblo.jp/youhakudes/entry-12185070771.html
「人間は言葉を獲得する事により進歩したとも言われてますが、
もう一方で、言葉を話す事により野性が失われて退歩したのかもしれませんね」
というのは勘違いです。失われたのは「野性」ではなく「人間性」だからです。

例えば胎児期、言葉の届かない時代です。
その深い記憶が無意識に埋め込まれている、
別の言い方をすると、
言葉の届かない時代も歴史的心身を構成しているということです。
そうした言葉の届かない深い記憶が存在していることを
無視する石原慎太郎のような人たちは、
「人間性」を失っていると言えます。

つまり、言葉達者に攻撃して言い負かせば勝ち…ということで
共生の作法(©井上達夫)など顧慮しない人たちが失っているのは、
「野性」ではなく「人間性」にほかなりません。



アホ〜なことを言っていないで、
人類レベルでPTSD現象を観察しつつ
個々人のPTSD予防学習&克服を進めましょう。


現在、米国の
「日本人オーバーキル」路線に呼応して
日本で
「PTSD否認」路線を実施している元締めが
安倍晋三総理です。


皆さまも、お大事に。