体育会系の発想 | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

このエントリは文献紹介のみです。

拝読ブログのアーカイブ
http://www.tatsuru.com/diary/2003/03.09.html
> 「忙しいときには忙しいやつに仕事を
> 頼め」という古諺があるが、これは他
> にも応用が効き、「はやく決裁したい
> 事案があるときは、決裁を急ぐ事案を
> 次々と提言する」というのも経験的に
> はなかなか有効である。
>
> そういうふうに喫緊の議題が目白押し
> となると、最初の方の案件についてぐ
> じぐじ議論することが何となくきぜわ
> しくなって、「じゃ、まあ、他に急ぎ
> の案件もあることですし、この件はあ
> れする、ということで・・」というわ
> けのわかんない「まとめ」が雰囲気的
> には可能になるのである。
>
> 「とりあえずあれして」とか「それは、
> なにしときますから」とか「ま、みな
> さんそれぞれに、よく揉んでもらうと
> いうことで」というのは、簡単には合
> 意形成のならない複雑な問題を「処
> 理」するときの便法である。
>
> 「あれして」おくと、その事案はしば
> らくぼんやり宙に浮いているうちに、
> なんとなく「風景」に同化し、いつの
> まにか「おでこのにきび」とか「めば
> ちこ」とか「インプラントの前歯」と
> か「もののはずみで同棲しちゃった相
> 手」などと同じように、「そういうも
> のがある」ということに私たち自身が
> しだいに慣れてきてしまうのである。
>
> 不思議なもので、最初のうちはかなり
> 違和感のある事案であっても、そうや
> って「あれして」おくうちに、「ま、
> あれも、なんだわな、そうそういつま
> でも、あれしておくままというのも、
> かっこつかんわな」というふうにシス
> テムにビルトインされてゆくのである。
>
> これはほんとうである。
>
> ウチダは「患部特定・病巣摘出」型の
> 問題解決を好まない。
>
> むしろ、システムの「免疫力の向上・
> 異物包摂機能の拡大」がいつのまにか
> 問題の「非問題化」をもたらしきたす、
> という解決を好むのである。
>
> これは社会理論としてもそれほど悪く
> ないと私は考えている。