世代交代 | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

拝読ブログのエントリ
口腔内セネストパチー
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10208585044.html
> 僕は、口腔内セネストパチーは、老年
> 期のうつ病の人たちの、いわゆる「消
> 化管にまつわる荒唐無稽の異常感覚」
> の亜型だと考えている。だから抗うつ
> 剤なのである。うつ状態はないけどね。

なるほど~。「消化管にまつわる荒唐無稽の異常感覚」の亜型——興味深いことです。


今日は、午前中10時半頃に音楽系の無意識界を一部ながら共有している感じがしているブログにお邪魔してコメントを書きました。
http://ameblo.jp/viridi-phyll/entry-10592768098.html#c10827389113
> 1 ■古典
> これは素晴らしいと思います。こうい
> うのを、さらっと上げることがおでき
> になる点、追っても追いつくことはな
> い世代差を感じます。そういうわけで、
> 次世代は温故知新でそれぞれの道を行
> くわけですね。どうも、お邪魔しまし
> た。
あや* 2010-07-19 10:34:09

すると、拝読ブログのエントリ
抗精神病薬の多剤併用のテクニック(前半)
2010-07-19 10:33:10
と時間的にシンクロナイズしていました。こういうの、研究の現場では結構ある「オカルト現象」なんですよね。芸術的な無意識界を一部でも共有している複数の人間がシンクロナイズするというのは。こういうことを書くと「頭がおかしい」と言われがちなのですが、本当だってば。その際には、自分の無意識界から支援を受けるように、2010-33=1977(プリゴジンがノーベル化学賞を受賞した年)とか、自分の脳内秩序を働かせるトリガーをあれこれ活用します。こういうことを書くと、益々「頭がおかしい」と思われるのがオチなのですが、ちょっと前に書いたように、私は、

> 「楽しいポインタをいっぱい持ってる」
> つまり
> 「 C である」
>
> C = Crazy

なので、気になさらないでくださいね。

さて、そのあと外出してお昼に戻ると、音楽系の無意識界を一部ながら共有している感じがしているビリディフィル氏からコメレスを戴いていました。
> 2 ■Re:古典
> >あや*さん
>
> 私が主に洋楽を聴いていたのは80年
> 代以降ですので、これは私にとっても
> 古典なのです。
>
> ただ、そうはいっても年代が近いです
> から、まだ情報は多かったと思います。
> FMでも時々特集が組まれたりしてい
> ましたし。
>
> 今は、FMからプログレが流れるとい
> うことはほとんどないのではないでし
> ょうか。
ビリディフィル 2010-07-19 12:00:56

氏にとっても「古典」ではあるものの、年代が近くて、まだ情報が多かった由。なるほど——では、普通に薬物療法家といっても、アナフラニールの点滴など、できる場(field, Umwelt)を持たない次世代の精神科医は、どういう方向に進むのだろう?と思いました。

ここで“Umwelt”(ウンベルト)については、内田樹による「今崎先輩」の話を参照のこと
http://www.tatsuru.com/diary/2003/03.09.html


話は変わって、どうも一匹狼的に生きてきたので、あまり誰からも苛められたりはしていないのですね、私は。それはそれで良い面もあるものの、江戸ローカルな文化で喧嘩っ早いのも、ぼちぼちいい年でもあるし大概にしたほうがいいとは思いつつ、三つ子の魂百までで治らないかな?と思っていました。兄との関係も喧嘩をしつつ調整しました。義経贔屓の父は、形勢不利な私に「頭を使え!」と助言したので、私は、うっかり頭突きをして「そういう意味じゃない!」と言われたものです。特に母から兄への過干渉、母から私への折檻に関しては「統一戦線」を張って抵抗して益々兄弟(← どうも私は弟分だったような気がする)仲がよくなりました。

兄が父に反発するときも、いつも私は加勢していました。兄は体育会系で音楽を解さず、活字は嫌いでマンガを読み、父からは「非文化的でアホ~だ」と断定されるという不当な扱いを受けており、「あんなバカな父親のところにいたら、自分までバカになってしまう」(©内田樹)という内田樹の表現と酷似したことを言って、成人すると、さっさと出ていってしまいました。どうも芸術系とは違うアプローチをしようとしていました。兄のようなタイプの人と親和性のある思想は「おじさん」を自称する内田樹にほかなりません。ついでに、弟分である私も、突然、激しい幻覚妄想が出て父から「とうとうキ○ガイになってしまったか」と言われ、さっさと家を出てしまいました。

しかし、その後、病に伏した母を一人で抱えて父が困ったとき、兄も私も家に戻って手伝いました。それというのも「父親がそれほどバカではなかったことに気づくのはずっと後になってからのこと」(©内田樹)ではあったものの、まあ一緒にやっていけないほどではないと気づいて手を打ったわけです。父に関して言えば、「職業病」が災いして、かなりバカな死に方をしたので「やはり、両親とも私も五十歩百歩にバカであったか……」と感慨深いものがあり、何科のお医者さまでもいいので、リエゾンがあったらよかったのに——と今も思います。
内田樹の引用は、以下のURLを参照:
http://blog.tatsuru.com/2010/05/19_1031.php

さて、父から「非文化的でアホ~だ」と断定された体育会系の兄のアプローチは、実は、サイエンスを自然科学に限定せず、ルーマン社会学を含めて再構成すれば、機能的には父のアプローチと等価なシステムになるのではないか?と私は考えています。まあ、そんなことを言っても、父は既に亡く、世代は交代してしまっているので、実践においては、どうでもいいことなのかも知れません。

とかなんとか考えながら昼食後に仮眠を取ったところ、「口腔内セネストパチー」モドキの夢を見て実際に歯ぎしりをして歯が折れる妙にリアリティのある感触があって、「あ、しまった、牙が取れてしまった!」と目が覚めて口のなかを探りましたが、歯は全部、無事でした。私、歯は丈夫なんですよね。というアホ~な夢を見て、何か、喧嘩をする気が失せたのでした。何をやっているのでしょう、私は?——と思いつつ、焼酎風呂につかって寝ます。


皆さまも、お大事に。