勝負一歩前進!
第一関門を先月クリアしたチャレンジ案件、
第二ステップに進むための下準備の約束がいま完了なう。
10日、第二関門をくぐるためにまた一歩前進します!
とにかく、勝つ!
でも、最近朝起きれない。。。。のがちょっと難点。。。。笑
第二ステップに進むための下準備の約束がいま完了なう。
10日、第二関門をくぐるためにまた一歩前進します!
とにかく、勝つ!
でも、最近朝起きれない。。。。のがちょっと難点。。。。笑
編集者ykhcの不安な日々
今月下旬に出る「HYSTERIC MINI」のブランドムック、なんとか校了なう。
でも、「smart」本誌の3企画の校了がもうすぐ。ちょっと不安。
あ、その前に「音楽主義」の入稿があった!!!!! かなり不安。
それにしても、編集者って、心臓に悪い職業だよなあ。
編集者生活25年弱。ちゃんと本が出るのか、不安がなかったことはない。。。。
だからこそ、本ができたときの喜びも倍増するのかもしれないけれども。。。
でも、「smart」本誌の3企画の校了がもうすぐ。ちょっと不安。
あ、その前に「音楽主義」の入稿があった!!!!! かなり不安。
それにしても、編集者って、心臓に悪い職業だよなあ。
編集者生活25年弱。ちゃんと本が出るのか、不安がなかったことはない。。。。
だからこそ、本ができたときの喜びも倍増するのかもしれないけれども。。。
勝負に出ます!
久しぶりの更新です。
さてさて、当社は今、大きな転換期を迎えております。
というか、出版不況がますます進行するなか、ここで勝負をかけることにしました。
詳しいことはまだ書けませんが、会社として、そしてわたくしykhcが男として、よりたかみを目指すために、賭けに出ます。
目標は年内に第一弾のアクションを起こすこと。
そのときはみなさん、どうかよろしくお願いします!
さてさて、当社は今、大きな転換期を迎えております。
というか、出版不況がますます進行するなか、ここで勝負をかけることにしました。
詳しいことはまだ書けませんが、会社として、そしてわたくしykhcが男として、よりたかみを目指すために、賭けに出ます。
目標は年内に第一弾のアクションを起こすこと。
そのときはみなさん、どうかよろしくお願いします!
ROCK AND READ 032もうすぐ発売
そういえば「ROCK AND READ 032」のラインアップ報告忘れていました。すいません!
今回は本気でやばいです!
RR史上の初のバンド表紙!しかもダブル!
まずBEAST SIDE COVERはVAMPSのHYDEとK.A.Z。
そしてEVIL SIDE COVERはサッズの清春、K-A-Z、クボタケイスケ、GO。
どうですか?このカップリング!
すごすぎませんか?
もちろん全員パーソナル取材なので本音がたっぷり。
サッズにいたってはなんと80pのボリューム! 本誌初の横書き掲載!
サッズを再生させた本当の理由の本当の裏側を、清春さんが本誌だけに語ってくれています!
さらに!
MORRIE(DEAD END/Creature Creature)
TATSU(GASTUNK)
義彦(heidi.)
リョヲ丞(少女-ロリヰタ-23区)
8月12日発売をお楽しみに!
ROCK AND READ 032/著者不明

¥1,365
Amazon.co.jp
今回は本気でやばいです!
RR史上の初のバンド表紙!しかもダブル!
まずBEAST SIDE COVERはVAMPSのHYDEとK.A.Z。
そしてEVIL SIDE COVERはサッズの清春、K-A-Z、クボタケイスケ、GO。
どうですか?このカップリング!
すごすぎませんか?
もちろん全員パーソナル取材なので本音がたっぷり。
サッズにいたってはなんと80pのボリューム! 本誌初の横書き掲載!
サッズを再生させた本当の理由の本当の裏側を、清春さんが本誌だけに語ってくれています!
さらに!
MORRIE(DEAD END/Creature Creature)
TATSU(GASTUNK)
義彦(heidi.)
リョヲ丞(少女-ロリヰタ-23区)
8月12日発売をお楽しみに!
ROCK AND READ 032/著者不明

¥1,365
Amazon.co.jp
彩冷える分裂の件
昨日、彩冷えるから楽器隊4人が脱退したことが発表された。
ずっと応援してきた身として、とても悲しい。
苦楽をともにしてきた5人だったはずなのに、やっぱりバンドは生ものであることを痛感させられる。
でも、一番悩み、そして苦しんだのは、本人たちだったはず。
彩冷えるは分裂しても、彩冷えるの音楽がなくなるわけではないし、
彩冷えるのことを好きだったみんなの気持ちも消えるわけではない。
ファンの方達は、どうかこれからも、双方のことを応援してほしい。
僕は双方を応援していく。
5人が好きだから。
ずっと応援してきた身として、とても悲しい。
苦楽をともにしてきた5人だったはずなのに、やっぱりバンドは生ものであることを痛感させられる。
でも、一番悩み、そして苦しんだのは、本人たちだったはず。
彩冷えるは分裂しても、彩冷えるの音楽がなくなるわけではないし、
彩冷えるのことを好きだったみんなの気持ちも消えるわけではない。
ファンの方達は、どうかこれからも、双方のことを応援してほしい。
僕は双方を応援していく。
5人が好きだから。
大佑2万字インタビュー6
——まったく、どこまで本気なんだか(笑)。そしてこのプロジェクトの目標というのは、やはり先ほどの発言にもあったように「世の中をひっくり返すこと」なんでしょうか?
ええ。具体的には言いにくいですが、どんどん世の中を染めていきたいですね。くさりきった価値観を覆していきたい。だから武道館でやりたいとか、そういった願望はいっさいないんです。武道館じゃないと物理的に信者が収まりきらないということにでもなれば、仕方なしにやりますけど。そして結果的には、今、売れてる連中を全部引きずり下ろしてやりたいです。
——復讐心と妬みが根底にあるんですね、やはり。
本当に最近、嫉妬心と劣等感と被害妄想が激しいんです。この3つにいつも、脳を冒されている気がします。
——とはいえ、それが常に大事な原動力になってきたところもあるんじゃないですか? そういった「負」の要素があったからこそ次に向かうことができたというか。
そうですね、たしかに。
——先ほどの3つに加えて、たとえば喪失感とか。
ええ……。それがあったからこそ、はい上がっていこうとすることができた。過去を振り返ってみるとたしかにそうですね。本当に「負」なんですよ。だから実際には、自分がそこまではい上がるんではなく、みんなをここまで引きずり下ろしたいんです。まったく発想として前向きではない。
——世の中には、頼んでもいないのに背中を押してくれるような歌が必要以上に蔓延していますよね? 勇気や夢をむやみに与えてくれるような。そこで大佑さんが言いたいのは「後ろ向きでも全然問題ないんだぜ!」ということなのかもしれない。
まさに! 「後ろ向きでなにが悪い!」と言いたいんですよ、私は。自分が歩いているのが実は逆戻りへの道だったとしても、どうあれ前を向いた状態であるのはたしかじゃないですか。それでいいと思うんです。
——妙に納得できる話ですけど、迷惑な考え方でもあると思います。誰かのように幸せになろうと努力するのではなく、みんなが不幸になれば自分も普通になれるという発想ですもんね?
ええ。私自身、もうすぐ憧れに手が届く、もうすぐやっと井戸からはい出ることができる、というところにきて、また「ドーン!」と突き落とされるという経験を重ねてきて。もう一度よじ登ろうとしたら、またそこで突き落とされて。そういうことの繰り返しだったので……。だったら私は、井戸の底から逆方向に穴を掘ってやろう、と(笑)。
——すごい。たしかに地球の逆側には、誰よりも先にたどりつけるかもしれない(笑)。
ですよね? だからこれは、ある種の荒療治というか、そんな感じのやり方なのかもしれない。たとえば死にたいと望んでいる人に向かって「死んじゃだめだよ!」と言ったところで、「お前なんかになにがわかる!」と逆上されて、逆効果にしかならないこともあるはずじゃないですか。でも「そうなんだ? じゃあここでながめてるから早く死んで」と言ったら、逆にそこで思いとどまってくれることもあるかもしれない。
——あまりにも乱暴な発想ですけど、理解できる気も。とにかく大佑さんが言いたいのは、要約すれば「決まりきった価値観にしたがって生きていく必要はない」ということですよね?
ええ、まさに。しかし実は、こうやって全部をさらけだしているようでありながら、これまで以上に疑り深くなってしまったところもあるんです。今の私は、警視庁の捜査一課よりも相手を疑ってかかるようになっていますね。相手のことを信じていたとしても、そこで自分の内側を見せなくなった。特に女性に対しては簡単に心を開けなくなりましたね。全力でぶつかろうとすると、ものすごい「うっちゃり」を喰らわされてしまうんで(笑)。毎回、闘牛の牛みたいに突っ込んでしまうのが私なんです。ところが闘牛士にいつも、ひらりとかわされてしまう。ま、そういったところで鬱積したものも、今の私にとっての原動力の一部になっているわけなんですけども。
——なんだか今日の話を聞いていると、ネガティブなのに妙に力強いというか、前向きな話ばかりではないのに不安がともなわないというか、そんな不思議な印象をおぼえました。
あの……本来はこんなこと言っちゃいけないんですけど、最近の自分の考え方として、「だめだったら死んじゃえばいいかな」というのがあるんです。次はそれしかないのかな、というのがどこかにある。でも、おそらくそうなったとき、死を選ぶ勇気は自分にはないと思う。だからきっと、このまま「負」の要素を抱えながら生きていくんでしょうし、わざとらしい笑顔で幸せを振りまかなきゃならないようにでもなったときには、そこで自分は本当に終わりだなと思っているんです。「前を向いて歩いていこうよ」みたいな感じになってしまったら、もう自分じゃない。やっぱり、いやなことがあるからこそ、楽しいことがいっそう楽しく感じられるわけじゃないですか。そういう考え方でありたいんです。笑顔をキラキラさせながら「前を向いて歩いていけば、きっと大丈夫さ」みたいなことをテレビで歌うような自分になってしまったら、本当に死んでしまったほうがマシだと思っています。誰に対しても「よろしくお願いします」と言って、それこそライブハウスとかにまで「さん」をつけてしゃべるような人間になってしまったら(笑)、本当にオシマイですね。常にそういうことに対して、牙をむいているようじゃないと。だから万が一、私がそんなふうになってしまうことがあったら「あいつは終わった」と思っていただきたいです。
——死んだほうが、まだマシ。そういうことを言う人ほど意外と長生きもするものだし、実は本当に死なないとならない理由を持っていなかったりするものだと思います。
はははは! たしかにそうかもしれません。
——しかも実際、これから先にもいろいろな可能性が広がっているわけですし。
蜉蝣が復活する可能性だって将来的にはありますからね。あ、こんなことを勝手に言うとほかの3人に怒られますが(笑)。
——結局、蜉蝣が終わり、スタッズが立ち止まった状態にあるという事実こそあれ、二度の不幸が続いたということではない。
そうですね。結局、それがあったからこそ、今があるんです。ちゃんとすべてがつながっている。なにかを失ったわけではない。失ったものがあるとすれば……恋くらいですね。
——そこであえて聞きます。実はごく普通の恋愛、ごく普通の明るい家庭生活に憧れている部分というのも、大佑さんにはあるんじゃないかと思うんです。将来的に自分が家庭を築くことになった場合、それがどんなものであってほしいですか?
いや、家庭を築くという夢も、もはや捨ててしまったも同然ですからね……。ただ、たぶんどこかで、幼いころに感じていたような幸せをさがしている部分も絶対にあると思うんです。小学校のころ、風邪をひいて学校を休んで、ずっと家で寝ていたことがあったんですね。昼間も寝ているわけなんで、夜になっても眠くないじゃないですか。でも寝ていないといけないから、布団の中で眠ったふりをしていて。そこで、リビングで話す家族の声が聞こえてきたりすることがある。そういうときに、すごく幸せを実感していたように思うんですよ。ただ、これまでの私には、そういうものを求めすぎて失敗してきた部分もある。だから家庭なんてものは、もう怖くて求められないです。でも、どこかで安心感とかやすらぎを求めているのも否定できないですね。恋愛についてもそれは同じです。ところが、安心感を求めすぎるようになると、結果的に不安になる。そして、気がついてみれば、そこにいるべき人がいない、みたいな。
——基本的には「帰る家」が欲しいということですよね?
はい。今、私には東京湾がないんです。自分の帰るべき港がない。燃料がなくなるまでずっと海をさまようしかない、みたいな。ずっと漂流を続けていますね。しかも客船みたいな大きな船ではなく、いかだみたいにボロボロなものに乗って。
——やはり「腐った海で溺れかけている」のかもしれない。実際、今も大佑さんは自分の中のいやな部分、だめな部分というのを歌にしているところがあるわけですけど、そういうものを歌うことで、いっそうつらくなってしまうことはありませんか?
ありますね、それも。「ああ、そこまで人に言う必要はなかったじゃないか!」とか感じることもあります。でも同時に、「ここまできたら、すべてを出してしまえばいいか」というのもある。これまで自分を守ろうとしてきた自分は、本当にちっぽけだったなと思いますし、その堤防はもういらないだろう、と。だから実はとてもふっきれた状態でもありますし、こうして吐きだすことが自分自身の浄化にもつながっているというか。
——本当にポジティブなんだかネガティブなんだかわからなくなってきますが、やはり今回のシングルのタイトルと同様、「翻弄」することが好きなんですね。蜉蝣にも『愚弄色』というのがありましたけど、本当に「弄ぶ」ことが好きというか。
たしかに。で、結局、もてあそんでいるつもりが、自分の側がもてあそばれていたりする。でも、それでいいのかな、と。すべては裏腹なんです。だから、いつ死んでもかまわないようなことを言っておきながら、自分から死のうとはしていないし、どんなにキツくても目は死んでいない、みたいな。そういう自分でありたいと思っていますので。
(取材・文/増田勇一)
出典:『ROCK AND READ 031』
ええ。具体的には言いにくいですが、どんどん世の中を染めていきたいですね。くさりきった価値観を覆していきたい。だから武道館でやりたいとか、そういった願望はいっさいないんです。武道館じゃないと物理的に信者が収まりきらないということにでもなれば、仕方なしにやりますけど。そして結果的には、今、売れてる連中を全部引きずり下ろしてやりたいです。
——復讐心と妬みが根底にあるんですね、やはり。
本当に最近、嫉妬心と劣等感と被害妄想が激しいんです。この3つにいつも、脳を冒されている気がします。
——とはいえ、それが常に大事な原動力になってきたところもあるんじゃないですか? そういった「負」の要素があったからこそ次に向かうことができたというか。
そうですね、たしかに。
——先ほどの3つに加えて、たとえば喪失感とか。
ええ……。それがあったからこそ、はい上がっていこうとすることができた。過去を振り返ってみるとたしかにそうですね。本当に「負」なんですよ。だから実際には、自分がそこまではい上がるんではなく、みんなをここまで引きずり下ろしたいんです。まったく発想として前向きではない。
——世の中には、頼んでもいないのに背中を押してくれるような歌が必要以上に蔓延していますよね? 勇気や夢をむやみに与えてくれるような。そこで大佑さんが言いたいのは「後ろ向きでも全然問題ないんだぜ!」ということなのかもしれない。
まさに! 「後ろ向きでなにが悪い!」と言いたいんですよ、私は。自分が歩いているのが実は逆戻りへの道だったとしても、どうあれ前を向いた状態であるのはたしかじゃないですか。それでいいと思うんです。
——妙に納得できる話ですけど、迷惑な考え方でもあると思います。誰かのように幸せになろうと努力するのではなく、みんなが不幸になれば自分も普通になれるという発想ですもんね?
ええ。私自身、もうすぐ憧れに手が届く、もうすぐやっと井戸からはい出ることができる、というところにきて、また「ドーン!」と突き落とされるという経験を重ねてきて。もう一度よじ登ろうとしたら、またそこで突き落とされて。そういうことの繰り返しだったので……。だったら私は、井戸の底から逆方向に穴を掘ってやろう、と(笑)。
——すごい。たしかに地球の逆側には、誰よりも先にたどりつけるかもしれない(笑)。
ですよね? だからこれは、ある種の荒療治というか、そんな感じのやり方なのかもしれない。たとえば死にたいと望んでいる人に向かって「死んじゃだめだよ!」と言ったところで、「お前なんかになにがわかる!」と逆上されて、逆効果にしかならないこともあるはずじゃないですか。でも「そうなんだ? じゃあここでながめてるから早く死んで」と言ったら、逆にそこで思いとどまってくれることもあるかもしれない。
——あまりにも乱暴な発想ですけど、理解できる気も。とにかく大佑さんが言いたいのは、要約すれば「決まりきった価値観にしたがって生きていく必要はない」ということですよね?
ええ、まさに。しかし実は、こうやって全部をさらけだしているようでありながら、これまで以上に疑り深くなってしまったところもあるんです。今の私は、警視庁の捜査一課よりも相手を疑ってかかるようになっていますね。相手のことを信じていたとしても、そこで自分の内側を見せなくなった。特に女性に対しては簡単に心を開けなくなりましたね。全力でぶつかろうとすると、ものすごい「うっちゃり」を喰らわされてしまうんで(笑)。毎回、闘牛の牛みたいに突っ込んでしまうのが私なんです。ところが闘牛士にいつも、ひらりとかわされてしまう。ま、そういったところで鬱積したものも、今の私にとっての原動力の一部になっているわけなんですけども。
——なんだか今日の話を聞いていると、ネガティブなのに妙に力強いというか、前向きな話ばかりではないのに不安がともなわないというか、そんな不思議な印象をおぼえました。
あの……本来はこんなこと言っちゃいけないんですけど、最近の自分の考え方として、「だめだったら死んじゃえばいいかな」というのがあるんです。次はそれしかないのかな、というのがどこかにある。でも、おそらくそうなったとき、死を選ぶ勇気は自分にはないと思う。だからきっと、このまま「負」の要素を抱えながら生きていくんでしょうし、わざとらしい笑顔で幸せを振りまかなきゃならないようにでもなったときには、そこで自分は本当に終わりだなと思っているんです。「前を向いて歩いていこうよ」みたいな感じになってしまったら、もう自分じゃない。やっぱり、いやなことがあるからこそ、楽しいことがいっそう楽しく感じられるわけじゃないですか。そういう考え方でありたいんです。笑顔をキラキラさせながら「前を向いて歩いていけば、きっと大丈夫さ」みたいなことをテレビで歌うような自分になってしまったら、本当に死んでしまったほうがマシだと思っています。誰に対しても「よろしくお願いします」と言って、それこそライブハウスとかにまで「さん」をつけてしゃべるような人間になってしまったら(笑)、本当にオシマイですね。常にそういうことに対して、牙をむいているようじゃないと。だから万が一、私がそんなふうになってしまうことがあったら「あいつは終わった」と思っていただきたいです。
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はははは! たしかにそうかもしれません。
——しかも実際、これから先にもいろいろな可能性が広がっているわけですし。
蜉蝣が復活する可能性だって将来的にはありますからね。あ、こんなことを勝手に言うとほかの3人に怒られますが(笑)。
——結局、蜉蝣が終わり、スタッズが立ち止まった状態にあるという事実こそあれ、二度の不幸が続いたということではない。
そうですね。結局、それがあったからこそ、今があるんです。ちゃんとすべてがつながっている。なにかを失ったわけではない。失ったものがあるとすれば……恋くらいですね。
——そこであえて聞きます。実はごく普通の恋愛、ごく普通の明るい家庭生活に憧れている部分というのも、大佑さんにはあるんじゃないかと思うんです。将来的に自分が家庭を築くことになった場合、それがどんなものであってほしいですか?
いや、家庭を築くという夢も、もはや捨ててしまったも同然ですからね……。ただ、たぶんどこかで、幼いころに感じていたような幸せをさがしている部分も絶対にあると思うんです。小学校のころ、風邪をひいて学校を休んで、ずっと家で寝ていたことがあったんですね。昼間も寝ているわけなんで、夜になっても眠くないじゃないですか。でも寝ていないといけないから、布団の中で眠ったふりをしていて。そこで、リビングで話す家族の声が聞こえてきたりすることがある。そういうときに、すごく幸せを実感していたように思うんですよ。ただ、これまでの私には、そういうものを求めすぎて失敗してきた部分もある。だから家庭なんてものは、もう怖くて求められないです。でも、どこかで安心感とかやすらぎを求めているのも否定できないですね。恋愛についてもそれは同じです。ところが、安心感を求めすぎるようになると、結果的に不安になる。そして、気がついてみれば、そこにいるべき人がいない、みたいな。
——基本的には「帰る家」が欲しいということですよね?
はい。今、私には東京湾がないんです。自分の帰るべき港がない。燃料がなくなるまでずっと海をさまようしかない、みたいな。ずっと漂流を続けていますね。しかも客船みたいな大きな船ではなく、いかだみたいにボロボロなものに乗って。
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ありますね、それも。「ああ、そこまで人に言う必要はなかったじゃないか!」とか感じることもあります。でも同時に、「ここまできたら、すべてを出してしまえばいいか」というのもある。これまで自分を守ろうとしてきた自分は、本当にちっぽけだったなと思いますし、その堤防はもういらないだろう、と。だから実はとてもふっきれた状態でもありますし、こうして吐きだすことが自分自身の浄化にもつながっているというか。
——本当にポジティブなんだかネガティブなんだかわからなくなってきますが、やはり今回のシングルのタイトルと同様、「翻弄」することが好きなんですね。蜉蝣にも『愚弄色』というのがありましたけど、本当に「弄ぶ」ことが好きというか。
たしかに。で、結局、もてあそんでいるつもりが、自分の側がもてあそばれていたりする。でも、それでいいのかな、と。すべては裏腹なんです。だから、いつ死んでもかまわないようなことを言っておきながら、自分から死のうとはしていないし、どんなにキツくても目は死んでいない、みたいな。そういう自分でありたいと思っていますので。
(取材・文/増田勇一)
出典:『ROCK AND READ 031』
大佑2万字インタビュー5
——あらゆる方向にブレているようで、それだけは動機のど真ん中でブレていない。
ええ。あくまでイメージだけで言ってしまうんですけど、たとえばレコード会社の人たちというのは、売れればホイホイと持ち上げてくれるんですけども、いざ売れなくなれば手のひらを返す。人とか音楽を単なる商品だと思っているようなところがあるじゃないですか。たしかに売るという目的のためにはそう扱うべきところもあるんでしょうが、やはりこちらとしては商品ではなく作品を作っているわけですよ。もっと偉そうに言えば芸術作品を。それを創造する苦労とか労力の大きさというのは、それが売れようが売れまいが変わらない。そういう部分が、もっと世の中に伝わってもいいはずだと思うんです。
——そこでニコニコと愛想笑いをしなくてもいい。「俺たちは大変なんだ!」と正面から訴えるようであってもいい、と?
はい。「大変なことをやっているんだ!」と、声を大にして言えばいいと思うんです。同じように大変なことをやっていても、売れるバンドもあれば売れないバンドもある。でも、売れたほうだけがすごくて、売れてないほうがだめだというわけではない。そういうことをもっと理解させたいというか。
——なるほど。さて、ここで改めて聞いておきたいんですが、現時点で振り返ってみたとき、蜉蝣が終わらざるをえなかった最大の理由はなんだったと考えますか?
一言で言うならば、疲れてしまっていたんだと思います。4人とも。まったく他意はなく、蜉蝣でいることに疲れきってしまっていたというか。次になにかをしたいというモチベーションみたいなものが途切れてしまった。解散をするかしないかという会議があったとき、なかなかきっぱりとした結論が出ない中で……これはみんなを試したわけではなく実は本気だったんですが、私は「よし、わかった。じゃあこれはどうだ?」と言って、会議室のホワイトボードに「2007年、日本武道館」と書いたんです。そのときに起きたのは、「おお!」という声ではなく、失笑でした(笑)。仮にそこで「よし、やろう!」ということになっていれば、蜉蝣は続いていたかもしれない。
——捨て身の提案だったわけですね? そこで目指すものが明確になり、今一度足並みがそろうのであればやってみよう、と。
ええ。でも結果、「あ、違うんだ?」と。
——ちょっと道化師的な行為ではあったけども、実はそこに最後の望みが託されていた。
そうですね。で、あとから思いました。「もう少し現実的に、渋谷公会堂とでも書けば良かったのかな?」と。
——ははは! とにかく、そこでみんなが挙手していれば蜉蝣は続いていたかもしれない、と。しかし蜉蝣の4人というのは、先ほどの話からすれば、バンド仲間である以前に友達だったわけですよね? そんなバンドを壊すという作業には、並大抵ではないヘヴィさがともなったはずだと察するんですが。
重い作業だったのはたしかです。当時、なにもかも全部がいやになってしまったのも事実で。単純に言うと「あ~あ」という感じでした。小学校から中学校に、中学校から高校に進むとき、「今までみたいに仲のいい友達、次の学校でできるかな?」という感覚になるじゃないですか。そういうのに似ていたと思います。「きっと無理なんだろうな」と思っていた。ところがそこに、他地域からaieという男が編入してきたわけですけども(笑)。
——しかしそこから生まれたスタッズも、結局は彼と2人だけになってしまい、立ち止まらざるをえなくなった。そんなふうに歴史が繰り返されると、自分に対して猜疑心をおぼえてしまいがちですよね? 「もしかして、俺自身がこういうことに向いていないのか?」と。「そろそろ音楽人生そのものが潮時なのか?」といった疑問が出てきても不思議ではない。
それ、実際にありました。ちょうど去年のゴールデンウィークごろの話なんですが、もう違う道を選んでしまおうかと考えて、履歴書を書いたんです。もう自分は表に立つことをやめたほうがいいんじゃないか、好きなことを全力でサポートする仕事についたほうがいいんじゃないか、と考えて。
——バンドをサポートする側にまわる、ということですか?
いや、逆に、音楽界に居残ることだけはしたくなかったんです。同じ世界の中で反対側のポジションに移るようなことは絶対にいやだと思っていました。そこで、全力で新日本プロレスをサポートしようという考えに行き着いて、書き上げた履歴書を送ろうとしたところ、会社側に強引に止められました(笑)。
——それは当然でしょう! しかし、さすが元ジュニアヘビー級レスラー志願者ですね(笑)。そのときは完全に音楽を捨てる覚悟を決めていたわけですか?
はい。運転手兼リング設営係、みたいな。その立場から大好きなプロレスにかかわろうと、本気で考えました。まったく音楽に悔いが残っていなかったとまで言えば嘘になりますけど、本当にそろそろ潮時かなと感じていたんで。
——音楽活動の夢は捨てても、なにかしらのカタチで音楽に携わり続けていきたい。そういう「音楽第一」の人というのも少なくないと思うんです。でも、それとは真逆なんですね。
私の場合はそうですね。ステージに立つことは、やはり好きなんです。しかもそこで自分がやる音楽については、好き嫌いがないんですよ。普段から好きでよく聴くのはスレイヤーとかそういうメタルばっかりですけど、それを自分のバンドでできないといやだとか、そういうことは全然ないですし、音楽自体を仕事にできなくてもまったくかまわない。仲のいい友達と一緒になにかを作れるということが、私には重要なんです。そして現在、基本的にはソロプロジェクトだとは言いつつも、ナニゲに隠者達ともすごく仲がいいですからね。
——ならばソロプロジェクトではなくバンドにしてしまえばいい。そういう考えにはならないんですか?
そうするとコンセプトが……(笑)。隠者達は、隠者のままでいることにまったく異論がないんです。最初からそういう前提だったので。実際には通常のバンドのようにおのおのの役割がちゃんとあるんですけども、同時に隠者達の存在は、曲を伝えるうえでの演出の一環でしかないというか、ある意味、ステージ上のオブジェのようなものなんです(笑)。しかもソロプロジェクトであれば、自分さえいれば成立する。つまり決して解散するということがないじゃないですか。そこも重要で。
——ある種、過去の解散がトラウマに……。
これ以上、歴史を繰り返したくないというのはありますね。しかも隠者達については、 今後やりたいことが変われば、人間も同じである必要はないと思っています。「黒の隠者達」が、「白の天使達」に変わることもあるかもしれない。
ええ。あくまでイメージだけで言ってしまうんですけど、たとえばレコード会社の人たちというのは、売れればホイホイと持ち上げてくれるんですけども、いざ売れなくなれば手のひらを返す。人とか音楽を単なる商品だと思っているようなところがあるじゃないですか。たしかに売るという目的のためにはそう扱うべきところもあるんでしょうが、やはりこちらとしては商品ではなく作品を作っているわけですよ。もっと偉そうに言えば芸術作品を。それを創造する苦労とか労力の大きさというのは、それが売れようが売れまいが変わらない。そういう部分が、もっと世の中に伝わってもいいはずだと思うんです。
——そこでニコニコと愛想笑いをしなくてもいい。「俺たちは大変なんだ!」と正面から訴えるようであってもいい、と?
はい。「大変なことをやっているんだ!」と、声を大にして言えばいいと思うんです。同じように大変なことをやっていても、売れるバンドもあれば売れないバンドもある。でも、売れたほうだけがすごくて、売れてないほうがだめだというわけではない。そういうことをもっと理解させたいというか。
——なるほど。さて、ここで改めて聞いておきたいんですが、現時点で振り返ってみたとき、蜉蝣が終わらざるをえなかった最大の理由はなんだったと考えますか?
一言で言うならば、疲れてしまっていたんだと思います。4人とも。まったく他意はなく、蜉蝣でいることに疲れきってしまっていたというか。次になにかをしたいというモチベーションみたいなものが途切れてしまった。解散をするかしないかという会議があったとき、なかなかきっぱりとした結論が出ない中で……これはみんなを試したわけではなく実は本気だったんですが、私は「よし、わかった。じゃあこれはどうだ?」と言って、会議室のホワイトボードに「2007年、日本武道館」と書いたんです。そのときに起きたのは、「おお!」という声ではなく、失笑でした(笑)。仮にそこで「よし、やろう!」ということになっていれば、蜉蝣は続いていたかもしれない。
——捨て身の提案だったわけですね? そこで目指すものが明確になり、今一度足並みがそろうのであればやってみよう、と。
ええ。でも結果、「あ、違うんだ?」と。
——ちょっと道化師的な行為ではあったけども、実はそこに最後の望みが託されていた。
そうですね。で、あとから思いました。「もう少し現実的に、渋谷公会堂とでも書けば良かったのかな?」と。
——ははは! とにかく、そこでみんなが挙手していれば蜉蝣は続いていたかもしれない、と。しかし蜉蝣の4人というのは、先ほどの話からすれば、バンド仲間である以前に友達だったわけですよね? そんなバンドを壊すという作業には、並大抵ではないヘヴィさがともなったはずだと察するんですが。
重い作業だったのはたしかです。当時、なにもかも全部がいやになってしまったのも事実で。単純に言うと「あ~あ」という感じでした。小学校から中学校に、中学校から高校に進むとき、「今までみたいに仲のいい友達、次の学校でできるかな?」という感覚になるじゃないですか。そういうのに似ていたと思います。「きっと無理なんだろうな」と思っていた。ところがそこに、他地域からaieという男が編入してきたわけですけども(笑)。
——しかしそこから生まれたスタッズも、結局は彼と2人だけになってしまい、立ち止まらざるをえなくなった。そんなふうに歴史が繰り返されると、自分に対して猜疑心をおぼえてしまいがちですよね? 「もしかして、俺自身がこういうことに向いていないのか?」と。「そろそろ音楽人生そのものが潮時なのか?」といった疑問が出てきても不思議ではない。
それ、実際にありました。ちょうど去年のゴールデンウィークごろの話なんですが、もう違う道を選んでしまおうかと考えて、履歴書を書いたんです。もう自分は表に立つことをやめたほうがいいんじゃないか、好きなことを全力でサポートする仕事についたほうがいいんじゃないか、と考えて。
——バンドをサポートする側にまわる、ということですか?
いや、逆に、音楽界に居残ることだけはしたくなかったんです。同じ世界の中で反対側のポジションに移るようなことは絶対にいやだと思っていました。そこで、全力で新日本プロレスをサポートしようという考えに行き着いて、書き上げた履歴書を送ろうとしたところ、会社側に強引に止められました(笑)。
——それは当然でしょう! しかし、さすが元ジュニアヘビー級レスラー志願者ですね(笑)。そのときは完全に音楽を捨てる覚悟を決めていたわけですか?
はい。運転手兼リング設営係、みたいな。その立場から大好きなプロレスにかかわろうと、本気で考えました。まったく音楽に悔いが残っていなかったとまで言えば嘘になりますけど、本当にそろそろ潮時かなと感じていたんで。
——音楽活動の夢は捨てても、なにかしらのカタチで音楽に携わり続けていきたい。そういう「音楽第一」の人というのも少なくないと思うんです。でも、それとは真逆なんですね。
私の場合はそうですね。ステージに立つことは、やはり好きなんです。しかもそこで自分がやる音楽については、好き嫌いがないんですよ。普段から好きでよく聴くのはスレイヤーとかそういうメタルばっかりですけど、それを自分のバンドでできないといやだとか、そういうことは全然ないですし、音楽自体を仕事にできなくてもまったくかまわない。仲のいい友達と一緒になにかを作れるということが、私には重要なんです。そして現在、基本的にはソロプロジェクトだとは言いつつも、ナニゲに隠者達ともすごく仲がいいですからね。
——ならばソロプロジェクトではなくバンドにしてしまえばいい。そういう考えにはならないんですか?
そうするとコンセプトが……(笑)。隠者達は、隠者のままでいることにまったく異論がないんです。最初からそういう前提だったので。実際には通常のバンドのようにおのおのの役割がちゃんとあるんですけども、同時に隠者達の存在は、曲を伝えるうえでの演出の一環でしかないというか、ある意味、ステージ上のオブジェのようなものなんです(笑)。しかもソロプロジェクトであれば、自分さえいれば成立する。つまり決して解散するということがないじゃないですか。そこも重要で。
——ある種、過去の解散がトラウマに……。
これ以上、歴史を繰り返したくないというのはありますね。しかも隠者達については、 今後やりたいことが変われば、人間も同じである必要はないと思っています。「黒の隠者達」が、「白の天使達」に変わることもあるかもしれない。
大佑2万字インタビュー4
——ただ、もうひとつの疑問についてはどうなんでしょう?「蜉蝣を復活させれば、それでいいんじゃないのか?」ということについてはどう答えます?
正直……タイミングですかね、それは。
——タイミング? つまり、それさえ合えば実際に再結成していたかもしれないということですか?
わかりません。でもその可能性も、なくはなかったと思います。ただ、同時に思ったのは、復活したとしても、きっとまた同じ結果になってしまうのではないかということ。そういう不安はともなったでしょうね。たとえば元の彼女とやり直そうという話になったとき、「また同じところでつまずくことになるんじゃないか?」という不安はぬぐい去されないところがあるじゃないですか。そういう怖さは否定しきれないと思うんです。どんなにやりたかったとしても。だけども、本当に4人のタイミングさえ完璧に一致することがあったならば、ありえる話だと思いますよ。あのメンバーたちと音楽をやるのは好きだし、会社に内緒でこっそり動きだすのも悪くない(笑)。
——それはそれで危険な気もしますが(笑)、どうあれ、いわばこのソロプロジェクトの何割かが蜉蝣という要素からできているようなところも、実際あるわけなんですね?
そういう言い方もできると思います。実際、自分で作った曲だけではあるんですけども、蜉蝣時代の曲もやっていますし。そういった曲をやることについても、ソロという形態であるならばごく自然な行為だと感じられるんです。蜉蝣の曲というより、昔の自分が作った曲という感覚ですし。ただ、それを別のバンドでやってしまうと問題でしょうけども。
——たしかに蜉蝣の曲をスタッズでやるわけにはいかなかったでしょうしね。それが100%、自分の曲であろうと。
はい。ソロプロジェクトであれば、そういったことも好きなようにできる。ここでは、自分の中にあるいろんなフェンスみたいなものをすべて取り払って、やりたいことをやりたいようにやろうと考えていますんで。
——蜉蝣時代に、ほかのメンバーたちが作った曲は封印しておくつもりなんですか?
そうですね。でも……もしかしたら、やる機会もあるかもしれない。ライブの構成を考えるときに「蜉蝣のあの曲みたいなものが、このブロックに欲しいな」と感じたならば、それに似た曲を作るんではなく、それ自体をやってしまう可能性もあると思います。ただ、スタッズの曲に関しては、またちょっと意味合いも違いますし、世界観がまったく違いますんで。バンドとしての成り立ちも違っていれば、音楽自体の成り立ちも違っていた。蜉蝣の音楽は、湿っていると思うんです。でもスタッズの場合は、乾いている。歌詞以外は(笑)。そして現在の自分は、湿っているどころではなく、もっとビショビショな感じのことをやりたいんです。しかも「どぶ」みたいに汚く濁った状態でビショビショなことを。
——それはまさに、「腐った海で溺れかけている」状態!
はははは! ただし、「僕を救ってくれた君」がいなくなってしまいましたけどね。
——またそうやって傷をえぐるような自虐的発言を(笑)。もしかしたら人間関係の部分でも、蜉蝣は湿っていて、スタッズは乾いていたんでしょうか?
それはあるかもしれない。どちらがいいとか悪いとか、そういうことではないんですが。まず蜉蝣の場合、とにかく外側に対して社交的でなかった。広い場所に置かれた場合でも、基本的に隅のほうへ隅のほうへと行こうとする習性があったんです。よくおぼえているのが、昔、まだまだかけだしの蜉蝣が、300人規模くらいのライブハウスでのイベントに出ていたころのこと。なんだかんだで自分たちがそのうち200人くらいを集めていて、ライブハウス側も自分たちにだけ専用の楽屋を用意してくれていたんですよ。なのに私たちはそこには入らず、非常階段でメイクしていましたからね(笑)。どうもだめだったというか、肌に合わなかったんですよね、そういうところでふんぞり返っているのが。人間関係の部分でも、蜉蝣の場合はくされ縁的なところがたしかに強いのかもしれない。ただ、そういう意味ではスタッズ、つまり私とaieの2人もまたくされ縁以外のなにものでもないというか。もはや彼とのつきあいも長すぎるくらいなので。だから、ま、言ってしまえば蜉蝣の4人プラス彼の5人でバンドをやればいいじゃないかという話でもあるわけなんですが。
——実際、そういう発想になったことも?
ええ、まあ。新たなバンド名でありつつも、おのおのの持ち曲を全部出していく、みたいな。スタート地点からレパートリーが100曲以上。これは画期的だな、と(笑)。
——冗談まじりにも聞こえますけど、それを真剣に考えたこともあったんですか?
はい。実際そんなことができたりしたら、俺、いや、私にとっては楽園ですね。はははは! なんだかんだ言いつつも、結局みんな、仲がいいですからね。
——そういう意味では、これまで一緒にやってきたメンバーたちとのつながりは、いずれも断ち切られていない。
そうですね。実際、しょっちゅう飲んだりしていますし。そこがバンドと恋愛の違いですよね。仮に前の彼女と飲んだりした場合、「新しい彼氏ができたんだ」とか言われたら、私は「ちょっとトイレに行ってくる」と言って席を立ち、隠れて号泣することになると思います(笑)。
——それはともかく、過去のバンド仲間たちとは、まったくいやな別れ方をしていないということですよね?
そうですね。誰1人として、それはない。「顔も見たくない」みたいなことにはまったくなっていないというか。そういうバンドの話というのもたまに耳にするんですが、逆に「そんな関係なのに一緒にやってるんだ?」と思ってしまいますね。その程度のつながりだったらやめてしまえばいいのに、と。なんか私の場合、バンドに対しての考え方というのが、仕事仲間とかとも違えば、音楽ありきというのとも違っていて。まずお互いが親友どうしで、仲がいいということ。その前提があって、初めてバンドをやろうということになる。バンドをやるから仲良くしよう、というのとはまったく違うんです。
——ああ、なるほど。つまり今さら完全に新しいバンドを組もうとすれば、友達作りからはじめなければならなくなる。それに対し、ソロならばそういったことをする必要もない。
ええ。まったくそういうことなんです。本当にバンドを組もうと思ったら……ほぼ婚活と同じですよね。もう一度、ここでイチからバンドを組もうと思ったならば。
——バンド仲間である以前に友達であること。そうでなければだめなんですね? 人間的な折りあいが良くなくても、音楽的な相性が素晴らしいからそこには目をつぶる、という人たちもこの世界には少なからずいるはずですけど。
そうでしょうね。それで大金持ちになれるんであれば、目をつぶるのもわかる気がします。別に自分がそうなりたいという意味じゃないんですけども。ただ、そんなふうにいやいややって、しかもたいして金にもならないんであれば、私はほかの道をさがしたほうが健全だと思ってしまいますね。
——お金うんぬんのことはともかく、音楽で妙な高望みをすることが難しくなってきた、ということでもあるんですか?
いや、もしかすると世間の言う高望みよりも高いことを求めているのかもしれません。とはいえ「負」の意味で、なんですけども。繰り返しになりますけども、見せかけの和気あいあいとした感じというか、芸能界的なチャラチャラしたうわついた感じというのが本当に嫌いで、それを足元からひっくり返してやりたいという願望が、まずあるんです。だからあえて、いろんなメディアに出ていってやろうと考えていて。いろんな場所でこういうことを言うことによって、「あ、こういう人も世の中にいるんだな」ということが伝わればいいのかな、と。そこで「どこにも出たくない」と自分を閉ざしていたら、「負」の存在理由がなくなってしまうと思いますし。
——いわば、それを伝えることが現在の大佑さんにとっての成功でもあるわけですか?
そうですね。不特定多数の共感を集めることではなく。だからあくまで復讐なんですよ。復讐の狼煙を上げたというか。
正直……タイミングですかね、それは。
——タイミング? つまり、それさえ合えば実際に再結成していたかもしれないということですか?
わかりません。でもその可能性も、なくはなかったと思います。ただ、同時に思ったのは、復活したとしても、きっとまた同じ結果になってしまうのではないかということ。そういう不安はともなったでしょうね。たとえば元の彼女とやり直そうという話になったとき、「また同じところでつまずくことになるんじゃないか?」という不安はぬぐい去されないところがあるじゃないですか。そういう怖さは否定しきれないと思うんです。どんなにやりたかったとしても。だけども、本当に4人のタイミングさえ完璧に一致することがあったならば、ありえる話だと思いますよ。あのメンバーたちと音楽をやるのは好きだし、会社に内緒でこっそり動きだすのも悪くない(笑)。
——それはそれで危険な気もしますが(笑)、どうあれ、いわばこのソロプロジェクトの何割かが蜉蝣という要素からできているようなところも、実際あるわけなんですね?
そういう言い方もできると思います。実際、自分で作った曲だけではあるんですけども、蜉蝣時代の曲もやっていますし。そういった曲をやることについても、ソロという形態であるならばごく自然な行為だと感じられるんです。蜉蝣の曲というより、昔の自分が作った曲という感覚ですし。ただ、それを別のバンドでやってしまうと問題でしょうけども。
——たしかに蜉蝣の曲をスタッズでやるわけにはいかなかったでしょうしね。それが100%、自分の曲であろうと。
はい。ソロプロジェクトであれば、そういったことも好きなようにできる。ここでは、自分の中にあるいろんなフェンスみたいなものをすべて取り払って、やりたいことをやりたいようにやろうと考えていますんで。
——蜉蝣時代に、ほかのメンバーたちが作った曲は封印しておくつもりなんですか?
そうですね。でも……もしかしたら、やる機会もあるかもしれない。ライブの構成を考えるときに「蜉蝣のあの曲みたいなものが、このブロックに欲しいな」と感じたならば、それに似た曲を作るんではなく、それ自体をやってしまう可能性もあると思います。ただ、スタッズの曲に関しては、またちょっと意味合いも違いますし、世界観がまったく違いますんで。バンドとしての成り立ちも違っていれば、音楽自体の成り立ちも違っていた。蜉蝣の音楽は、湿っていると思うんです。でもスタッズの場合は、乾いている。歌詞以外は(笑)。そして現在の自分は、湿っているどころではなく、もっとビショビショな感じのことをやりたいんです。しかも「どぶ」みたいに汚く濁った状態でビショビショなことを。
——それはまさに、「腐った海で溺れかけている」状態!
はははは! ただし、「僕を救ってくれた君」がいなくなってしまいましたけどね。
——またそうやって傷をえぐるような自虐的発言を(笑)。もしかしたら人間関係の部分でも、蜉蝣は湿っていて、スタッズは乾いていたんでしょうか?
それはあるかもしれない。どちらがいいとか悪いとか、そういうことではないんですが。まず蜉蝣の場合、とにかく外側に対して社交的でなかった。広い場所に置かれた場合でも、基本的に隅のほうへ隅のほうへと行こうとする習性があったんです。よくおぼえているのが、昔、まだまだかけだしの蜉蝣が、300人規模くらいのライブハウスでのイベントに出ていたころのこと。なんだかんだで自分たちがそのうち200人くらいを集めていて、ライブハウス側も自分たちにだけ専用の楽屋を用意してくれていたんですよ。なのに私たちはそこには入らず、非常階段でメイクしていましたからね(笑)。どうもだめだったというか、肌に合わなかったんですよね、そういうところでふんぞり返っているのが。人間関係の部分でも、蜉蝣の場合はくされ縁的なところがたしかに強いのかもしれない。ただ、そういう意味ではスタッズ、つまり私とaieの2人もまたくされ縁以外のなにものでもないというか。もはや彼とのつきあいも長すぎるくらいなので。だから、ま、言ってしまえば蜉蝣の4人プラス彼の5人でバンドをやればいいじゃないかという話でもあるわけなんですが。
——実際、そういう発想になったことも?
ええ、まあ。新たなバンド名でありつつも、おのおのの持ち曲を全部出していく、みたいな。スタート地点からレパートリーが100曲以上。これは画期的だな、と(笑)。
——冗談まじりにも聞こえますけど、それを真剣に考えたこともあったんですか?
はい。実際そんなことができたりしたら、俺、いや、私にとっては楽園ですね。はははは! なんだかんだ言いつつも、結局みんな、仲がいいですからね。
——そういう意味では、これまで一緒にやってきたメンバーたちとのつながりは、いずれも断ち切られていない。
そうですね。実際、しょっちゅう飲んだりしていますし。そこがバンドと恋愛の違いですよね。仮に前の彼女と飲んだりした場合、「新しい彼氏ができたんだ」とか言われたら、私は「ちょっとトイレに行ってくる」と言って席を立ち、隠れて号泣することになると思います(笑)。
——それはともかく、過去のバンド仲間たちとは、まったくいやな別れ方をしていないということですよね?
そうですね。誰1人として、それはない。「顔も見たくない」みたいなことにはまったくなっていないというか。そういうバンドの話というのもたまに耳にするんですが、逆に「そんな関係なのに一緒にやってるんだ?」と思ってしまいますね。その程度のつながりだったらやめてしまえばいいのに、と。なんか私の場合、バンドに対しての考え方というのが、仕事仲間とかとも違えば、音楽ありきというのとも違っていて。まずお互いが親友どうしで、仲がいいということ。その前提があって、初めてバンドをやろうということになる。バンドをやるから仲良くしよう、というのとはまったく違うんです。
——ああ、なるほど。つまり今さら完全に新しいバンドを組もうとすれば、友達作りからはじめなければならなくなる。それに対し、ソロならばそういったことをする必要もない。
ええ。まったくそういうことなんです。本当にバンドを組もうと思ったら……ほぼ婚活と同じですよね。もう一度、ここでイチからバンドを組もうと思ったならば。
——バンド仲間である以前に友達であること。そうでなければだめなんですね? 人間的な折りあいが良くなくても、音楽的な相性が素晴らしいからそこには目をつぶる、という人たちもこの世界には少なからずいるはずですけど。
そうでしょうね。それで大金持ちになれるんであれば、目をつぶるのもわかる気がします。別に自分がそうなりたいという意味じゃないんですけども。ただ、そんなふうにいやいややって、しかもたいして金にもならないんであれば、私はほかの道をさがしたほうが健全だと思ってしまいますね。
——お金うんぬんのことはともかく、音楽で妙な高望みをすることが難しくなってきた、ということでもあるんですか?
いや、もしかすると世間の言う高望みよりも高いことを求めているのかもしれません。とはいえ「負」の意味で、なんですけども。繰り返しになりますけども、見せかけの和気あいあいとした感じというか、芸能界的なチャラチャラしたうわついた感じというのが本当に嫌いで、それを足元からひっくり返してやりたいという願望が、まずあるんです。だからあえて、いろんなメディアに出ていってやろうと考えていて。いろんな場所でこういうことを言うことによって、「あ、こういう人も世の中にいるんだな」ということが伝わればいいのかな、と。そこで「どこにも出たくない」と自分を閉ざしていたら、「負」の存在理由がなくなってしまうと思いますし。
——いわば、それを伝えることが現在の大佑さんにとっての成功でもあるわけですか?
そうですね。不特定多数の共感を集めることではなく。だからあくまで復讐なんですよ。復讐の狼煙を上げたというか。
大佑2万字インタビュー3
——先ほど発言中に「舞台」という言葉が出ましたけど、この充電期間中、人知れず芝居をかじっていたんですよね?
はい。まさに文字通りの初体験でした。
——今になって舞台に挑戦してみようと考えた理由は?
それもやはり、今しかないと思ったんです。ずっと舞台とかが好きでしたし。とはいえ大変でしたけどね、実際。
——なにがどう大変だったんです?
いや、もうすべてが。たとえば10才の女の子にだめ出しをされてしまう世界なんです。子役の女の子に。でも、あれをやったことによって、自分の中にあった「これはOKだけど、これはNG」というその境界線が、なくなってきましたね。あれができたんだから、もうなんでもできる。カッコつけずにもうどんなことでもできるな、と思えるようになって。
——10才児からのだめ出しというのはすごく象徴的ですけど、要するにある種の「はずかしめ」を受けたわけですよね?
そうです。自分は単なる素人にすぎないし、実際に舞台に立ってみたところで、誰も私を見にくるわけではない。そこでなにもできない自分だからこそ、逆になんでもできると思えてしまったんです。それが最大の収穫でした。しかも中学や高校もろくに通うことのできなかった私のような人間が、毎朝ちゃんと稽古場に通っていましたから。朝から晩まで稽古を重ねて。そんな自分に、なにかご褒美を与えてほしかったくらいです。
——そもそも性格的に飽き性なところがあるんですか?
そうですね。何事も長続きしにくいというか。ホント、こんなに続いてるのは音楽くらいのものなんです。
——実際に舞台を経験してみて、その方面への興味や欲求が強まるようなことはなかったんですか?
ええ。むしろ、そっちの道を自分なりに堪能した結果として、やっぱり私はステージに立って歌おう、と。もちろん機会があれば、これから先もまたやってみたいとは思うんですが、やはりそれ以上に歌いたい。そういった自分自身のスタンスを改めて確認できたように思います。
——結果、このプロジェクトが本当に動きはじめたことで新しい流れが生まれたはずだと思うんですが、実際に最初のライブを目撃した人たちからの反響というのも、あれこれ届いているはずですよね?
ええ。身近な友達とかからは、やはり「おもしろい」という声が多かったですね。でも、最初のうちはそういうふうに言われて喜んでいたんですけど、改めて当日のライブの映像を見てみたときに「だめだ!」と思いました。冒頭でも言ったように、まだまだだな、と。自分の思い描いているものにはまったく到達していない。方向は間違っていないと思うんですけどね。だから徐々に、現在の自分なりの理想に近づいていきたいな、と。
——決してネガティブな意味ではないんですが、「これがやりたかったの?」と感じた人も少なくないはずだと思うんです。もっと露骨な言い方をすれば「これがやりたいのなら蜉蝣を再結成すればいいのでは?」とか、そういった声があがったとしても不思議ではない。「スタッズで脱却しつつあったはずのヴィジュアル系に逆戻りか?」とか。
ずいぶんな言われようですが、それもわかります。そういう見方もあって当然でしょうね。でも私自身は、そういった解釈についても結構柔軟にとらえることができていて。実際、過去に自分がやってきたことと通じる部分というのは多々あると思います。しかし私に言わせれば、「その当時にやりきれていなかったからこそ、今やっているんだ」ということでもありますし。しかも、スタッズで通過してきたものがあるからこそ、ここにたどり着いたという感覚がある。だから結局、ここにいたるまでの道程の中で、いらない経験というのはひとつもなかった気がするんです。つまり……歴史は常に繰り返されるもの、というか。それが結論のひとつでもありますね。
——蜉蝣でやりきれなかったことを、というのは理解できるんです。しかし間にスタッズ期が存在することが「流れ」を見えにくくしているというか。いやらしい見方をすると、結局スタッズでのアプローチというのは大佑さんの本意ではなかったのか、というふうにも見えてきてしまう。それに対する反動によって「戻った」のか、と。
説明するのが難しいんですが、少なくとも反動ということではないですね。スタッズがはじまった当初は、とにかくなにがなんでも変わりたかった。「変えなきゃ、変えなきゃ」というあせりばかりが大きくて、大きく変わることのない自分にとまどって……。でも最終的に思えたのは、それでいいんだということ。結果、そんなにも変わりはしなかったと思うんですよ、自分自身というものは。違っていたのは衣装とかメイクくらいのもので、ライブに向かうスタンスとかは基本的に変わっていなかったように思う。その部分においては、今もそのままだと自分では感じていて。だから逆に言うと、スタッズでの経験なしに、今のようにはなりえなかったということなんです。
——スタッズが自分を成長させてくれた、と?
ええ。自分で言うのもおかしな話ですけども、スタッズでの経験を通じて、自分自身がすごく伸びたことを実感できている。
——蜉蝣時代とまったく同じことをやったときに、今のほうがずっといいと感じられるのであれば、たしかにスタッズによって自分が成長できたという結論にいたることになる。
そうですね。まったくその通りです。
はい。まさに文字通りの初体験でした。
——今になって舞台に挑戦してみようと考えた理由は?
それもやはり、今しかないと思ったんです。ずっと舞台とかが好きでしたし。とはいえ大変でしたけどね、実際。
——なにがどう大変だったんです?
いや、もうすべてが。たとえば10才の女の子にだめ出しをされてしまう世界なんです。子役の女の子に。でも、あれをやったことによって、自分の中にあった「これはOKだけど、これはNG」というその境界線が、なくなってきましたね。あれができたんだから、もうなんでもできる。カッコつけずにもうどんなことでもできるな、と思えるようになって。
——10才児からのだめ出しというのはすごく象徴的ですけど、要するにある種の「はずかしめ」を受けたわけですよね?
そうです。自分は単なる素人にすぎないし、実際に舞台に立ってみたところで、誰も私を見にくるわけではない。そこでなにもできない自分だからこそ、逆になんでもできると思えてしまったんです。それが最大の収穫でした。しかも中学や高校もろくに通うことのできなかった私のような人間が、毎朝ちゃんと稽古場に通っていましたから。朝から晩まで稽古を重ねて。そんな自分に、なにかご褒美を与えてほしかったくらいです。
——そもそも性格的に飽き性なところがあるんですか?
そうですね。何事も長続きしにくいというか。ホント、こんなに続いてるのは音楽くらいのものなんです。
——実際に舞台を経験してみて、その方面への興味や欲求が強まるようなことはなかったんですか?
ええ。むしろ、そっちの道を自分なりに堪能した結果として、やっぱり私はステージに立って歌おう、と。もちろん機会があれば、これから先もまたやってみたいとは思うんですが、やはりそれ以上に歌いたい。そういった自分自身のスタンスを改めて確認できたように思います。
——結果、このプロジェクトが本当に動きはじめたことで新しい流れが生まれたはずだと思うんですが、実際に最初のライブを目撃した人たちからの反響というのも、あれこれ届いているはずですよね?
ええ。身近な友達とかからは、やはり「おもしろい」という声が多かったですね。でも、最初のうちはそういうふうに言われて喜んでいたんですけど、改めて当日のライブの映像を見てみたときに「だめだ!」と思いました。冒頭でも言ったように、まだまだだな、と。自分の思い描いているものにはまったく到達していない。方向は間違っていないと思うんですけどね。だから徐々に、現在の自分なりの理想に近づいていきたいな、と。
——決してネガティブな意味ではないんですが、「これがやりたかったの?」と感じた人も少なくないはずだと思うんです。もっと露骨な言い方をすれば「これがやりたいのなら蜉蝣を再結成すればいいのでは?」とか、そういった声があがったとしても不思議ではない。「スタッズで脱却しつつあったはずのヴィジュアル系に逆戻りか?」とか。
ずいぶんな言われようですが、それもわかります。そういう見方もあって当然でしょうね。でも私自身は、そういった解釈についても結構柔軟にとらえることができていて。実際、過去に自分がやってきたことと通じる部分というのは多々あると思います。しかし私に言わせれば、「その当時にやりきれていなかったからこそ、今やっているんだ」ということでもありますし。しかも、スタッズで通過してきたものがあるからこそ、ここにたどり着いたという感覚がある。だから結局、ここにいたるまでの道程の中で、いらない経験というのはひとつもなかった気がするんです。つまり……歴史は常に繰り返されるもの、というか。それが結論のひとつでもありますね。
——蜉蝣でやりきれなかったことを、というのは理解できるんです。しかし間にスタッズ期が存在することが「流れ」を見えにくくしているというか。いやらしい見方をすると、結局スタッズでのアプローチというのは大佑さんの本意ではなかったのか、というふうにも見えてきてしまう。それに対する反動によって「戻った」のか、と。
説明するのが難しいんですが、少なくとも反動ということではないですね。スタッズがはじまった当初は、とにかくなにがなんでも変わりたかった。「変えなきゃ、変えなきゃ」というあせりばかりが大きくて、大きく変わることのない自分にとまどって……。でも最終的に思えたのは、それでいいんだということ。結果、そんなにも変わりはしなかったと思うんですよ、自分自身というものは。違っていたのは衣装とかメイクくらいのもので、ライブに向かうスタンスとかは基本的に変わっていなかったように思う。その部分においては、今もそのままだと自分では感じていて。だから逆に言うと、スタッズでの経験なしに、今のようにはなりえなかったということなんです。
——スタッズが自分を成長させてくれた、と?
ええ。自分で言うのもおかしな話ですけども、スタッズでの経験を通じて、自分自身がすごく伸びたことを実感できている。
——蜉蝣時代とまったく同じことをやったときに、今のほうがずっといいと感じられるのであれば、たしかにスタッズによって自分が成長できたという結論にいたることになる。
そうですね。まったくその通りです。
大佑2万字インタビュー2
——先日のライブの話に戻ります。そこで僕が強く感じたのは、ロック然としたアンダーグラウンドではなく、むしろ往年の「アングラ」のニオイだったんです。前衛的な演劇集団のような。
それはうれしいですね。私の狙い通りです。完璧なるネガティブの集団、それを目指しているので。音楽的な部分においては、そのかぎりではないんです。暗くてヘヴィな曲もあるいっぽう、キャッチーな曲があったりもする。楽曲の個性というものについてはあまり問わないんです、このプロジェクトにおいては。なんでも歌いたいものを歌えばいいというか。ただ、なんでもできるくせに、格好はこんな感じ、みたいな(笑)。
——なんでもできるというのが、実際、大げさではない。音楽的になんでもアリだというのはライブ全体からも感じさせられましたし、今回のファーストシングルに収められている「翻弄」と「ザッヘル」もまったく異なった方向性の2曲だし。
ええ。音楽面でのルールは皆無に等しいですね。だめな状態を揶揄するときによくみなさん使いますけど、「ブレている」という言葉があるじゃないですか。絶対にほめ言葉にはなりえないはずですけど、私はあえてそうありたいというか。実際、今現在、世界で一番誰よりも私がブレていると思います(笑)。そこをむしろ、前面に打ちだしていこうかな、と。通常は誰しもブレている状態というのを嫌うものですけど、1本の道だけをまっすぐに進んでいくことは実際、容易ではないですよね。どうしてもその途中で、あちこちの方向へと目が向いてしまう。そういった自分自身のあまりにもテキトーな性格というものを、逆に強みにすることもできるんじゃないか、と。
——今までは、そのテキトーさについて自覚していながら……。
そこでがんばってしまっていたわけです。テキトーではいけないんだ、と。しかし見方を変えれば、テキトーであることすらも武器になりえるはずなんです。人間の愚かなところ全開で取り組む覚悟さえあれば。自分自身の姿を見つめ直してみたとき、本当にそのテキトーさというのがいやでたまらないんです。でもそんな自分の性質と、結局は一生つきあっていかなければならない。ならばそれも出してしまうしかないじゃないですか。
——強引な理論ですが、なんだか納得させられてしまう。結局、だめなところもいやなところも全部さらけだしてしまうし、音楽的にはあくまで自由。そこに唯一存在している「縛り」が、黒装束に象徴されるコンセプトということになるわけですか?
そうですね。唯一、そこに縛りがある。実は私、そもそも芝居がかったものというのが好きなんです。幼少期から、母に連れられてミュージカルを見に行くこともしばしばありましたし。最近でもときどき見に出掛けることがあるんですが、やはりすごい世界じゃないですか。セットとかもすごいし、大勢でひとつの舞台を作り上げていくという部分にも惹かれますし。で、そういったものからの影響というのが、今になって遅まきながら出てきたのかな、という気もするんです。実際、こういったことをしてみたいという願望は、ずっとあったんです。しかしいつも「今じゃない」とか「まだ早い」とか自分に言い訳をしながら、二の足を踏んでいた。そこにやっと、ふさわしいタイミングが訪れたという感じなんです。
——次回のライブでは、いきなり歌劇がはじまったりして。
はははは! でも、それに近いことはありえなくもないと思います。「あの人、なにをやりたいのかわからない」くらいのことを言われるようでありたいんです。今だけではなく、永遠に。なにをやりたいかが受け手側に完全に理解されてしまったら、それまでじゃないですか。ある意味、興味を持たれないのと同じことになってしまう。猛烈に嫌うか、信者になるか。受け手には、そのどちらかであってほしいんです。「ああ、悪くないね」みたいなのが、なんだか一番歯がゆい感じがします。
——言い換えると、「ごくせまくかぎられた世界における、めちゃくちゃ濃くて絶対的な存在」を目指したいということですよね?
ええ。そして、結果的には……まわりの世間をひっくり返してやりたいな、と。
——ここでひとつ、基本的なこと。ステージ上、大佑さんの背後で演奏している黒装束の隠者達は、今後も素性を明かさず、あの風体のまま参画し続けていくことになるんですか?
基本的にはそうですね。それもコンセプトの一部ですし。これは前々から思っていたことなんですが、ソロプロジェクトとして動くのであれば、自分以外については誰が参加しているかなどわからないほうがおもしろいんではないか、と。しかもそういう成り立ちであれば、誰かのスケジュールが合わなくても代役でかまわないじゃないですか(笑)。今のは嘘です。冗談はともかく、ほかの顔ぶれが見えないことで、変な先入観のようなものがなくなるんではないかと思うんです。
——というか、本当は「俺だけを見ていろ!」と言いたいんじゃないですか?
それもあります。「それだけで十分だろ!」という気持ちも、確実にありますね。
——とりあえず現状では、誰が演奏しているかを明かすこともないし、みんなの気づかないところで隠者が入れ替わるようなこともありえるというわけですね?
そうですね。黒い服は大量に用意してありますんで(笑)。だから今、このインタビューを読んでいる人たちも、一生懸命に練習をすれば隠者の仲間入りができるかもしれない。
——重要なのは、その衣装のサイズに合う人であるか否か(笑)。
その点については心配無用です。一応、フリーサイズになっておりますので(笑)。
——了解しました。ところで先ほど「自分のテキトーさがいやでたまらない」といった発言がありましたよね? 実際、スタッズが動きを止めざるをえない局面に立たされたとき、改めて自分自身を見つめ直すようなことをしていたわけですか?
そうですね。なんだか妙に時間ができてしまったんで。ぽっかりと時間が空いてしまうことが多くなったんです。1週間、なにも予定がないとか。そういう生活をしていると、私はどんどんやさぐれてしまって……。そんな自分について自覚できたとき、とことんいやになりましたね。
——やさぐれたとき、大佑さんはどうなってしまうんです?
ずっと家でウダウダしている感じですね。外に飲みに出掛けるとか、そういうことすらしない。そんなとき、とにかくいろんなことを考えました。もちろん音楽についても。たとえばソロでこういうことをやろうという発想が頭の中にあっても、それをどうやってカタチにするかが具体的に見えてこないと、やはり不安になるじゃないですか。そんなとき、安心できる材料がなにひとつなくて、不安がふくらむいっぽうでしかなかった。頭の中で徐々にイメージは濃くなっていくんです。ところがそうして濃くなっていくものを、自分だけではカタチにすることができない。実際に曲を作ってみても、「あ、今、私のまわりにはメンバーいないんだな」ということになる。誰も自分のそばにいないから、なにひとつ進んでいかず、そこで足踏みしなければならなくなる。バンドであればすぐにアイデアを転がせるのに。正直、それができない状態というのはさみしかったです。そんなころ、ちょっとした縁があって、舞台とかに出るようになって。で、その舞台が終わるとまた自分1人で黙々と曲を作って、それをカタチにできないことで再びやさぐれてみたり。堂々めぐりでしたね。さらにそんなとき、心に痛手を負う出来事がありまして……。
——なにがあったんです?
大切なものを失った、とだけ言っておきます。心の支えがなくなった、と言ってもいいと思います。そういうことがあると、いっそう自分のことが嫌いになるものじゃないですか。で、そのときに思ったんです。そういうことすら隠すのをやめよう、と。だめな部分すらも堂々と出してしまおう、と。カッコいいか悪いかなんて、どうでも良くなってしまって。
——エンドレスな自己嫌悪から抜けだそうとするから苦しくなる。ならばその現実自体を受け入れてしまおう、と?
はい。そういう思いにいたったとたん、急に楽になりました。
それはうれしいですね。私の狙い通りです。完璧なるネガティブの集団、それを目指しているので。音楽的な部分においては、そのかぎりではないんです。暗くてヘヴィな曲もあるいっぽう、キャッチーな曲があったりもする。楽曲の個性というものについてはあまり問わないんです、このプロジェクトにおいては。なんでも歌いたいものを歌えばいいというか。ただ、なんでもできるくせに、格好はこんな感じ、みたいな(笑)。
——なんでもできるというのが、実際、大げさではない。音楽的になんでもアリだというのはライブ全体からも感じさせられましたし、今回のファーストシングルに収められている「翻弄」と「ザッヘル」もまったく異なった方向性の2曲だし。
ええ。音楽面でのルールは皆無に等しいですね。だめな状態を揶揄するときによくみなさん使いますけど、「ブレている」という言葉があるじゃないですか。絶対にほめ言葉にはなりえないはずですけど、私はあえてそうありたいというか。実際、今現在、世界で一番誰よりも私がブレていると思います(笑)。そこをむしろ、前面に打ちだしていこうかな、と。通常は誰しもブレている状態というのを嫌うものですけど、1本の道だけをまっすぐに進んでいくことは実際、容易ではないですよね。どうしてもその途中で、あちこちの方向へと目が向いてしまう。そういった自分自身のあまりにもテキトーな性格というものを、逆に強みにすることもできるんじゃないか、と。
——今までは、そのテキトーさについて自覚していながら……。
そこでがんばってしまっていたわけです。テキトーではいけないんだ、と。しかし見方を変えれば、テキトーであることすらも武器になりえるはずなんです。人間の愚かなところ全開で取り組む覚悟さえあれば。自分自身の姿を見つめ直してみたとき、本当にそのテキトーさというのがいやでたまらないんです。でもそんな自分の性質と、結局は一生つきあっていかなければならない。ならばそれも出してしまうしかないじゃないですか。
——強引な理論ですが、なんだか納得させられてしまう。結局、だめなところもいやなところも全部さらけだしてしまうし、音楽的にはあくまで自由。そこに唯一存在している「縛り」が、黒装束に象徴されるコンセプトということになるわけですか?
そうですね。唯一、そこに縛りがある。実は私、そもそも芝居がかったものというのが好きなんです。幼少期から、母に連れられてミュージカルを見に行くこともしばしばありましたし。最近でもときどき見に出掛けることがあるんですが、やはりすごい世界じゃないですか。セットとかもすごいし、大勢でひとつの舞台を作り上げていくという部分にも惹かれますし。で、そういったものからの影響というのが、今になって遅まきながら出てきたのかな、という気もするんです。実際、こういったことをしてみたいという願望は、ずっとあったんです。しかしいつも「今じゃない」とか「まだ早い」とか自分に言い訳をしながら、二の足を踏んでいた。そこにやっと、ふさわしいタイミングが訪れたという感じなんです。
——次回のライブでは、いきなり歌劇がはじまったりして。
はははは! でも、それに近いことはありえなくもないと思います。「あの人、なにをやりたいのかわからない」くらいのことを言われるようでありたいんです。今だけではなく、永遠に。なにをやりたいかが受け手側に完全に理解されてしまったら、それまでじゃないですか。ある意味、興味を持たれないのと同じことになってしまう。猛烈に嫌うか、信者になるか。受け手には、そのどちらかであってほしいんです。「ああ、悪くないね」みたいなのが、なんだか一番歯がゆい感じがします。
——言い換えると、「ごくせまくかぎられた世界における、めちゃくちゃ濃くて絶対的な存在」を目指したいということですよね?
ええ。そして、結果的には……まわりの世間をひっくり返してやりたいな、と。
——ここでひとつ、基本的なこと。ステージ上、大佑さんの背後で演奏している黒装束の隠者達は、今後も素性を明かさず、あの風体のまま参画し続けていくことになるんですか?
基本的にはそうですね。それもコンセプトの一部ですし。これは前々から思っていたことなんですが、ソロプロジェクトとして動くのであれば、自分以外については誰が参加しているかなどわからないほうがおもしろいんではないか、と。しかもそういう成り立ちであれば、誰かのスケジュールが合わなくても代役でかまわないじゃないですか(笑)。今のは嘘です。冗談はともかく、ほかの顔ぶれが見えないことで、変な先入観のようなものがなくなるんではないかと思うんです。
——というか、本当は「俺だけを見ていろ!」と言いたいんじゃないですか?
それもあります。「それだけで十分だろ!」という気持ちも、確実にありますね。
——とりあえず現状では、誰が演奏しているかを明かすこともないし、みんなの気づかないところで隠者が入れ替わるようなこともありえるというわけですね?
そうですね。黒い服は大量に用意してありますんで(笑)。だから今、このインタビューを読んでいる人たちも、一生懸命に練習をすれば隠者の仲間入りができるかもしれない。
——重要なのは、その衣装のサイズに合う人であるか否か(笑)。
その点については心配無用です。一応、フリーサイズになっておりますので(笑)。
——了解しました。ところで先ほど「自分のテキトーさがいやでたまらない」といった発言がありましたよね? 実際、スタッズが動きを止めざるをえない局面に立たされたとき、改めて自分自身を見つめ直すようなことをしていたわけですか?
そうですね。なんだか妙に時間ができてしまったんで。ぽっかりと時間が空いてしまうことが多くなったんです。1週間、なにも予定がないとか。そういう生活をしていると、私はどんどんやさぐれてしまって……。そんな自分について自覚できたとき、とことんいやになりましたね。
——やさぐれたとき、大佑さんはどうなってしまうんです?
ずっと家でウダウダしている感じですね。外に飲みに出掛けるとか、そういうことすらしない。そんなとき、とにかくいろんなことを考えました。もちろん音楽についても。たとえばソロでこういうことをやろうという発想が頭の中にあっても、それをどうやってカタチにするかが具体的に見えてこないと、やはり不安になるじゃないですか。そんなとき、安心できる材料がなにひとつなくて、不安がふくらむいっぽうでしかなかった。頭の中で徐々にイメージは濃くなっていくんです。ところがそうして濃くなっていくものを、自分だけではカタチにすることができない。実際に曲を作ってみても、「あ、今、私のまわりにはメンバーいないんだな」ということになる。誰も自分のそばにいないから、なにひとつ進んでいかず、そこで足踏みしなければならなくなる。バンドであればすぐにアイデアを転がせるのに。正直、それができない状態というのはさみしかったです。そんなころ、ちょっとした縁があって、舞台とかに出るようになって。で、その舞台が終わるとまた自分1人で黙々と曲を作って、それをカタチにできないことで再びやさぐれてみたり。堂々めぐりでしたね。さらにそんなとき、心に痛手を負う出来事がありまして……。
——なにがあったんです?
大切なものを失った、とだけ言っておきます。心の支えがなくなった、と言ってもいいと思います。そういうことがあると、いっそう自分のことが嫌いになるものじゃないですか。で、そのときに思ったんです。そういうことすら隠すのをやめよう、と。だめな部分すらも堂々と出してしまおう、と。カッコいいか悪いかなんて、どうでも良くなってしまって。
——エンドレスな自己嫌悪から抜けだそうとするから苦しくなる。ならばその現実自体を受け入れてしまおう、と?
はい。そういう思いにいたったとたん、急に楽になりました。