大佑2万字インタビュー2
——先日のライブの話に戻ります。そこで僕が強く感じたのは、ロック然としたアンダーグラウンドではなく、むしろ往年の「アングラ」のニオイだったんです。前衛的な演劇集団のような。
それはうれしいですね。私の狙い通りです。完璧なるネガティブの集団、それを目指しているので。音楽的な部分においては、そのかぎりではないんです。暗くてヘヴィな曲もあるいっぽう、キャッチーな曲があったりもする。楽曲の個性というものについてはあまり問わないんです、このプロジェクトにおいては。なんでも歌いたいものを歌えばいいというか。ただ、なんでもできるくせに、格好はこんな感じ、みたいな(笑)。
——なんでもできるというのが、実際、大げさではない。音楽的になんでもアリだというのはライブ全体からも感じさせられましたし、今回のファーストシングルに収められている「翻弄」と「ザッヘル」もまったく異なった方向性の2曲だし。
ええ。音楽面でのルールは皆無に等しいですね。だめな状態を揶揄するときによくみなさん使いますけど、「ブレている」という言葉があるじゃないですか。絶対にほめ言葉にはなりえないはずですけど、私はあえてそうありたいというか。実際、今現在、世界で一番誰よりも私がブレていると思います(笑)。そこをむしろ、前面に打ちだしていこうかな、と。通常は誰しもブレている状態というのを嫌うものですけど、1本の道だけをまっすぐに進んでいくことは実際、容易ではないですよね。どうしてもその途中で、あちこちの方向へと目が向いてしまう。そういった自分自身のあまりにもテキトーな性格というものを、逆に強みにすることもできるんじゃないか、と。
——今までは、そのテキトーさについて自覚していながら……。
そこでがんばってしまっていたわけです。テキトーではいけないんだ、と。しかし見方を変えれば、テキトーであることすらも武器になりえるはずなんです。人間の愚かなところ全開で取り組む覚悟さえあれば。自分自身の姿を見つめ直してみたとき、本当にそのテキトーさというのがいやでたまらないんです。でもそんな自分の性質と、結局は一生つきあっていかなければならない。ならばそれも出してしまうしかないじゃないですか。
——強引な理論ですが、なんだか納得させられてしまう。結局、だめなところもいやなところも全部さらけだしてしまうし、音楽的にはあくまで自由。そこに唯一存在している「縛り」が、黒装束に象徴されるコンセプトということになるわけですか?
そうですね。唯一、そこに縛りがある。実は私、そもそも芝居がかったものというのが好きなんです。幼少期から、母に連れられてミュージカルを見に行くこともしばしばありましたし。最近でもときどき見に出掛けることがあるんですが、やはりすごい世界じゃないですか。セットとかもすごいし、大勢でひとつの舞台を作り上げていくという部分にも惹かれますし。で、そういったものからの影響というのが、今になって遅まきながら出てきたのかな、という気もするんです。実際、こういったことをしてみたいという願望は、ずっとあったんです。しかしいつも「今じゃない」とか「まだ早い」とか自分に言い訳をしながら、二の足を踏んでいた。そこにやっと、ふさわしいタイミングが訪れたという感じなんです。
——次回のライブでは、いきなり歌劇がはじまったりして。
はははは! でも、それに近いことはありえなくもないと思います。「あの人、なにをやりたいのかわからない」くらいのことを言われるようでありたいんです。今だけではなく、永遠に。なにをやりたいかが受け手側に完全に理解されてしまったら、それまでじゃないですか。ある意味、興味を持たれないのと同じことになってしまう。猛烈に嫌うか、信者になるか。受け手には、そのどちらかであってほしいんです。「ああ、悪くないね」みたいなのが、なんだか一番歯がゆい感じがします。
——言い換えると、「ごくせまくかぎられた世界における、めちゃくちゃ濃くて絶対的な存在」を目指したいということですよね?
ええ。そして、結果的には……まわりの世間をひっくり返してやりたいな、と。
——ここでひとつ、基本的なこと。ステージ上、大佑さんの背後で演奏している黒装束の隠者達は、今後も素性を明かさず、あの風体のまま参画し続けていくことになるんですか?
基本的にはそうですね。それもコンセプトの一部ですし。これは前々から思っていたことなんですが、ソロプロジェクトとして動くのであれば、自分以外については誰が参加しているかなどわからないほうがおもしろいんではないか、と。しかもそういう成り立ちであれば、誰かのスケジュールが合わなくても代役でかまわないじゃないですか(笑)。今のは嘘です。冗談はともかく、ほかの顔ぶれが見えないことで、変な先入観のようなものがなくなるんではないかと思うんです。
——というか、本当は「俺だけを見ていろ!」と言いたいんじゃないですか?
それもあります。「それだけで十分だろ!」という気持ちも、確実にありますね。
——とりあえず現状では、誰が演奏しているかを明かすこともないし、みんなの気づかないところで隠者が入れ替わるようなこともありえるというわけですね?
そうですね。黒い服は大量に用意してありますんで(笑)。だから今、このインタビューを読んでいる人たちも、一生懸命に練習をすれば隠者の仲間入りができるかもしれない。
——重要なのは、その衣装のサイズに合う人であるか否か(笑)。
その点については心配無用です。一応、フリーサイズになっておりますので(笑)。
——了解しました。ところで先ほど「自分のテキトーさがいやでたまらない」といった発言がありましたよね? 実際、スタッズが動きを止めざるをえない局面に立たされたとき、改めて自分自身を見つめ直すようなことをしていたわけですか?
そうですね。なんだか妙に時間ができてしまったんで。ぽっかりと時間が空いてしまうことが多くなったんです。1週間、なにも予定がないとか。そういう生活をしていると、私はどんどんやさぐれてしまって……。そんな自分について自覚できたとき、とことんいやになりましたね。
——やさぐれたとき、大佑さんはどうなってしまうんです?
ずっと家でウダウダしている感じですね。外に飲みに出掛けるとか、そういうことすらしない。そんなとき、とにかくいろんなことを考えました。もちろん音楽についても。たとえばソロでこういうことをやろうという発想が頭の中にあっても、それをどうやってカタチにするかが具体的に見えてこないと、やはり不安になるじゃないですか。そんなとき、安心できる材料がなにひとつなくて、不安がふくらむいっぽうでしかなかった。頭の中で徐々にイメージは濃くなっていくんです。ところがそうして濃くなっていくものを、自分だけではカタチにすることができない。実際に曲を作ってみても、「あ、今、私のまわりにはメンバーいないんだな」ということになる。誰も自分のそばにいないから、なにひとつ進んでいかず、そこで足踏みしなければならなくなる。バンドであればすぐにアイデアを転がせるのに。正直、それができない状態というのはさみしかったです。そんなころ、ちょっとした縁があって、舞台とかに出るようになって。で、その舞台が終わるとまた自分1人で黙々と曲を作って、それをカタチにできないことで再びやさぐれてみたり。堂々めぐりでしたね。さらにそんなとき、心に痛手を負う出来事がありまして……。
——なにがあったんです?
大切なものを失った、とだけ言っておきます。心の支えがなくなった、と言ってもいいと思います。そういうことがあると、いっそう自分のことが嫌いになるものじゃないですか。で、そのときに思ったんです。そういうことすら隠すのをやめよう、と。だめな部分すらも堂々と出してしまおう、と。カッコいいか悪いかなんて、どうでも良くなってしまって。
——エンドレスな自己嫌悪から抜けだそうとするから苦しくなる。ならばその現実自体を受け入れてしまおう、と?
はい。そういう思いにいたったとたん、急に楽になりました。
それはうれしいですね。私の狙い通りです。完璧なるネガティブの集団、それを目指しているので。音楽的な部分においては、そのかぎりではないんです。暗くてヘヴィな曲もあるいっぽう、キャッチーな曲があったりもする。楽曲の個性というものについてはあまり問わないんです、このプロジェクトにおいては。なんでも歌いたいものを歌えばいいというか。ただ、なんでもできるくせに、格好はこんな感じ、みたいな(笑)。
——なんでもできるというのが、実際、大げさではない。音楽的になんでもアリだというのはライブ全体からも感じさせられましたし、今回のファーストシングルに収められている「翻弄」と「ザッヘル」もまったく異なった方向性の2曲だし。
ええ。音楽面でのルールは皆無に等しいですね。だめな状態を揶揄するときによくみなさん使いますけど、「ブレている」という言葉があるじゃないですか。絶対にほめ言葉にはなりえないはずですけど、私はあえてそうありたいというか。実際、今現在、世界で一番誰よりも私がブレていると思います(笑)。そこをむしろ、前面に打ちだしていこうかな、と。通常は誰しもブレている状態というのを嫌うものですけど、1本の道だけをまっすぐに進んでいくことは実際、容易ではないですよね。どうしてもその途中で、あちこちの方向へと目が向いてしまう。そういった自分自身のあまりにもテキトーな性格というものを、逆に強みにすることもできるんじゃないか、と。
——今までは、そのテキトーさについて自覚していながら……。
そこでがんばってしまっていたわけです。テキトーではいけないんだ、と。しかし見方を変えれば、テキトーであることすらも武器になりえるはずなんです。人間の愚かなところ全開で取り組む覚悟さえあれば。自分自身の姿を見つめ直してみたとき、本当にそのテキトーさというのがいやでたまらないんです。でもそんな自分の性質と、結局は一生つきあっていかなければならない。ならばそれも出してしまうしかないじゃないですか。
——強引な理論ですが、なんだか納得させられてしまう。結局、だめなところもいやなところも全部さらけだしてしまうし、音楽的にはあくまで自由。そこに唯一存在している「縛り」が、黒装束に象徴されるコンセプトということになるわけですか?
そうですね。唯一、そこに縛りがある。実は私、そもそも芝居がかったものというのが好きなんです。幼少期から、母に連れられてミュージカルを見に行くこともしばしばありましたし。最近でもときどき見に出掛けることがあるんですが、やはりすごい世界じゃないですか。セットとかもすごいし、大勢でひとつの舞台を作り上げていくという部分にも惹かれますし。で、そういったものからの影響というのが、今になって遅まきながら出てきたのかな、という気もするんです。実際、こういったことをしてみたいという願望は、ずっとあったんです。しかしいつも「今じゃない」とか「まだ早い」とか自分に言い訳をしながら、二の足を踏んでいた。そこにやっと、ふさわしいタイミングが訪れたという感じなんです。
——次回のライブでは、いきなり歌劇がはじまったりして。
はははは! でも、それに近いことはありえなくもないと思います。「あの人、なにをやりたいのかわからない」くらいのことを言われるようでありたいんです。今だけではなく、永遠に。なにをやりたいかが受け手側に完全に理解されてしまったら、それまでじゃないですか。ある意味、興味を持たれないのと同じことになってしまう。猛烈に嫌うか、信者になるか。受け手には、そのどちらかであってほしいんです。「ああ、悪くないね」みたいなのが、なんだか一番歯がゆい感じがします。
——言い換えると、「ごくせまくかぎられた世界における、めちゃくちゃ濃くて絶対的な存在」を目指したいということですよね?
ええ。そして、結果的には……まわりの世間をひっくり返してやりたいな、と。
——ここでひとつ、基本的なこと。ステージ上、大佑さんの背後で演奏している黒装束の隠者達は、今後も素性を明かさず、あの風体のまま参画し続けていくことになるんですか?
基本的にはそうですね。それもコンセプトの一部ですし。これは前々から思っていたことなんですが、ソロプロジェクトとして動くのであれば、自分以外については誰が参加しているかなどわからないほうがおもしろいんではないか、と。しかもそういう成り立ちであれば、誰かのスケジュールが合わなくても代役でかまわないじゃないですか(笑)。今のは嘘です。冗談はともかく、ほかの顔ぶれが見えないことで、変な先入観のようなものがなくなるんではないかと思うんです。
——というか、本当は「俺だけを見ていろ!」と言いたいんじゃないですか?
それもあります。「それだけで十分だろ!」という気持ちも、確実にありますね。
——とりあえず現状では、誰が演奏しているかを明かすこともないし、みんなの気づかないところで隠者が入れ替わるようなこともありえるというわけですね?
そうですね。黒い服は大量に用意してありますんで(笑)。だから今、このインタビューを読んでいる人たちも、一生懸命に練習をすれば隠者の仲間入りができるかもしれない。
——重要なのは、その衣装のサイズに合う人であるか否か(笑)。
その点については心配無用です。一応、フリーサイズになっておりますので(笑)。
——了解しました。ところで先ほど「自分のテキトーさがいやでたまらない」といった発言がありましたよね? 実際、スタッズが動きを止めざるをえない局面に立たされたとき、改めて自分自身を見つめ直すようなことをしていたわけですか?
そうですね。なんだか妙に時間ができてしまったんで。ぽっかりと時間が空いてしまうことが多くなったんです。1週間、なにも予定がないとか。そういう生活をしていると、私はどんどんやさぐれてしまって……。そんな自分について自覚できたとき、とことんいやになりましたね。
——やさぐれたとき、大佑さんはどうなってしまうんです?
ずっと家でウダウダしている感じですね。外に飲みに出掛けるとか、そういうことすらしない。そんなとき、とにかくいろんなことを考えました。もちろん音楽についても。たとえばソロでこういうことをやろうという発想が頭の中にあっても、それをどうやってカタチにするかが具体的に見えてこないと、やはり不安になるじゃないですか。そんなとき、安心できる材料がなにひとつなくて、不安がふくらむいっぽうでしかなかった。頭の中で徐々にイメージは濃くなっていくんです。ところがそうして濃くなっていくものを、自分だけではカタチにすることができない。実際に曲を作ってみても、「あ、今、私のまわりにはメンバーいないんだな」ということになる。誰も自分のそばにいないから、なにひとつ進んでいかず、そこで足踏みしなければならなくなる。バンドであればすぐにアイデアを転がせるのに。正直、それができない状態というのはさみしかったです。そんなころ、ちょっとした縁があって、舞台とかに出るようになって。で、その舞台が終わるとまた自分1人で黙々と曲を作って、それをカタチにできないことで再びやさぐれてみたり。堂々めぐりでしたね。さらにそんなとき、心に痛手を負う出来事がありまして……。
——なにがあったんです?
大切なものを失った、とだけ言っておきます。心の支えがなくなった、と言ってもいいと思います。そういうことがあると、いっそう自分のことが嫌いになるものじゃないですか。で、そのときに思ったんです。そういうことすら隠すのをやめよう、と。だめな部分すらも堂々と出してしまおう、と。カッコいいか悪いかなんて、どうでも良くなってしまって。
——エンドレスな自己嫌悪から抜けだそうとするから苦しくなる。ならばその現実自体を受け入れてしまおう、と?
はい。そういう思いにいたったとたん、急に楽になりました。