大佑2万字インタビュー5
——あらゆる方向にブレているようで、それだけは動機のど真ん中でブレていない。
ええ。あくまでイメージだけで言ってしまうんですけど、たとえばレコード会社の人たちというのは、売れればホイホイと持ち上げてくれるんですけども、いざ売れなくなれば手のひらを返す。人とか音楽を単なる商品だと思っているようなところがあるじゃないですか。たしかに売るという目的のためにはそう扱うべきところもあるんでしょうが、やはりこちらとしては商品ではなく作品を作っているわけですよ。もっと偉そうに言えば芸術作品を。それを創造する苦労とか労力の大きさというのは、それが売れようが売れまいが変わらない。そういう部分が、もっと世の中に伝わってもいいはずだと思うんです。
——そこでニコニコと愛想笑いをしなくてもいい。「俺たちは大変なんだ!」と正面から訴えるようであってもいい、と?
はい。「大変なことをやっているんだ!」と、声を大にして言えばいいと思うんです。同じように大変なことをやっていても、売れるバンドもあれば売れないバンドもある。でも、売れたほうだけがすごくて、売れてないほうがだめだというわけではない。そういうことをもっと理解させたいというか。
——なるほど。さて、ここで改めて聞いておきたいんですが、現時点で振り返ってみたとき、蜉蝣が終わらざるをえなかった最大の理由はなんだったと考えますか?
一言で言うならば、疲れてしまっていたんだと思います。4人とも。まったく他意はなく、蜉蝣でいることに疲れきってしまっていたというか。次になにかをしたいというモチベーションみたいなものが途切れてしまった。解散をするかしないかという会議があったとき、なかなかきっぱりとした結論が出ない中で……これはみんなを試したわけではなく実は本気だったんですが、私は「よし、わかった。じゃあこれはどうだ?」と言って、会議室のホワイトボードに「2007年、日本武道館」と書いたんです。そのときに起きたのは、「おお!」という声ではなく、失笑でした(笑)。仮にそこで「よし、やろう!」ということになっていれば、蜉蝣は続いていたかもしれない。
——捨て身の提案だったわけですね? そこで目指すものが明確になり、今一度足並みがそろうのであればやってみよう、と。
ええ。でも結果、「あ、違うんだ?」と。
——ちょっと道化師的な行為ではあったけども、実はそこに最後の望みが託されていた。
そうですね。で、あとから思いました。「もう少し現実的に、渋谷公会堂とでも書けば良かったのかな?」と。
——ははは! とにかく、そこでみんなが挙手していれば蜉蝣は続いていたかもしれない、と。しかし蜉蝣の4人というのは、先ほどの話からすれば、バンド仲間である以前に友達だったわけですよね? そんなバンドを壊すという作業には、並大抵ではないヘヴィさがともなったはずだと察するんですが。
重い作業だったのはたしかです。当時、なにもかも全部がいやになってしまったのも事実で。単純に言うと「あ~あ」という感じでした。小学校から中学校に、中学校から高校に進むとき、「今までみたいに仲のいい友達、次の学校でできるかな?」という感覚になるじゃないですか。そういうのに似ていたと思います。「きっと無理なんだろうな」と思っていた。ところがそこに、他地域からaieという男が編入してきたわけですけども(笑)。
——しかしそこから生まれたスタッズも、結局は彼と2人だけになってしまい、立ち止まらざるをえなくなった。そんなふうに歴史が繰り返されると、自分に対して猜疑心をおぼえてしまいがちですよね? 「もしかして、俺自身がこういうことに向いていないのか?」と。「そろそろ音楽人生そのものが潮時なのか?」といった疑問が出てきても不思議ではない。
それ、実際にありました。ちょうど去年のゴールデンウィークごろの話なんですが、もう違う道を選んでしまおうかと考えて、履歴書を書いたんです。もう自分は表に立つことをやめたほうがいいんじゃないか、好きなことを全力でサポートする仕事についたほうがいいんじゃないか、と考えて。
——バンドをサポートする側にまわる、ということですか?
いや、逆に、音楽界に居残ることだけはしたくなかったんです。同じ世界の中で反対側のポジションに移るようなことは絶対にいやだと思っていました。そこで、全力で新日本プロレスをサポートしようという考えに行き着いて、書き上げた履歴書を送ろうとしたところ、会社側に強引に止められました(笑)。
——それは当然でしょう! しかし、さすが元ジュニアヘビー級レスラー志願者ですね(笑)。そのときは完全に音楽を捨てる覚悟を決めていたわけですか?
はい。運転手兼リング設営係、みたいな。その立場から大好きなプロレスにかかわろうと、本気で考えました。まったく音楽に悔いが残っていなかったとまで言えば嘘になりますけど、本当にそろそろ潮時かなと感じていたんで。
——音楽活動の夢は捨てても、なにかしらのカタチで音楽に携わり続けていきたい。そういう「音楽第一」の人というのも少なくないと思うんです。でも、それとは真逆なんですね。
私の場合はそうですね。ステージに立つことは、やはり好きなんです。しかもそこで自分がやる音楽については、好き嫌いがないんですよ。普段から好きでよく聴くのはスレイヤーとかそういうメタルばっかりですけど、それを自分のバンドでできないといやだとか、そういうことは全然ないですし、音楽自体を仕事にできなくてもまったくかまわない。仲のいい友達と一緒になにかを作れるということが、私には重要なんです。そして現在、基本的にはソロプロジェクトだとは言いつつも、ナニゲに隠者達ともすごく仲がいいですからね。
——ならばソロプロジェクトではなくバンドにしてしまえばいい。そういう考えにはならないんですか?
そうするとコンセプトが……(笑)。隠者達は、隠者のままでいることにまったく異論がないんです。最初からそういう前提だったので。実際には通常のバンドのようにおのおのの役割がちゃんとあるんですけども、同時に隠者達の存在は、曲を伝えるうえでの演出の一環でしかないというか、ある意味、ステージ上のオブジェのようなものなんです(笑)。しかもソロプロジェクトであれば、自分さえいれば成立する。つまり決して解散するということがないじゃないですか。そこも重要で。
——ある種、過去の解散がトラウマに……。
これ以上、歴史を繰り返したくないというのはありますね。しかも隠者達については、 今後やりたいことが変われば、人間も同じである必要はないと思っています。「黒の隠者達」が、「白の天使達」に変わることもあるかもしれない。
ええ。あくまでイメージだけで言ってしまうんですけど、たとえばレコード会社の人たちというのは、売れればホイホイと持ち上げてくれるんですけども、いざ売れなくなれば手のひらを返す。人とか音楽を単なる商品だと思っているようなところがあるじゃないですか。たしかに売るという目的のためにはそう扱うべきところもあるんでしょうが、やはりこちらとしては商品ではなく作品を作っているわけですよ。もっと偉そうに言えば芸術作品を。それを創造する苦労とか労力の大きさというのは、それが売れようが売れまいが変わらない。そういう部分が、もっと世の中に伝わってもいいはずだと思うんです。
——そこでニコニコと愛想笑いをしなくてもいい。「俺たちは大変なんだ!」と正面から訴えるようであってもいい、と?
はい。「大変なことをやっているんだ!」と、声を大にして言えばいいと思うんです。同じように大変なことをやっていても、売れるバンドもあれば売れないバンドもある。でも、売れたほうだけがすごくて、売れてないほうがだめだというわけではない。そういうことをもっと理解させたいというか。
——なるほど。さて、ここで改めて聞いておきたいんですが、現時点で振り返ってみたとき、蜉蝣が終わらざるをえなかった最大の理由はなんだったと考えますか?
一言で言うならば、疲れてしまっていたんだと思います。4人とも。まったく他意はなく、蜉蝣でいることに疲れきってしまっていたというか。次になにかをしたいというモチベーションみたいなものが途切れてしまった。解散をするかしないかという会議があったとき、なかなかきっぱりとした結論が出ない中で……これはみんなを試したわけではなく実は本気だったんですが、私は「よし、わかった。じゃあこれはどうだ?」と言って、会議室のホワイトボードに「2007年、日本武道館」と書いたんです。そのときに起きたのは、「おお!」という声ではなく、失笑でした(笑)。仮にそこで「よし、やろう!」ということになっていれば、蜉蝣は続いていたかもしれない。
——捨て身の提案だったわけですね? そこで目指すものが明確になり、今一度足並みがそろうのであればやってみよう、と。
ええ。でも結果、「あ、違うんだ?」と。
——ちょっと道化師的な行為ではあったけども、実はそこに最後の望みが託されていた。
そうですね。で、あとから思いました。「もう少し現実的に、渋谷公会堂とでも書けば良かったのかな?」と。
——ははは! とにかく、そこでみんなが挙手していれば蜉蝣は続いていたかもしれない、と。しかし蜉蝣の4人というのは、先ほどの話からすれば、バンド仲間である以前に友達だったわけですよね? そんなバンドを壊すという作業には、並大抵ではないヘヴィさがともなったはずだと察するんですが。
重い作業だったのはたしかです。当時、なにもかも全部がいやになってしまったのも事実で。単純に言うと「あ~あ」という感じでした。小学校から中学校に、中学校から高校に進むとき、「今までみたいに仲のいい友達、次の学校でできるかな?」という感覚になるじゃないですか。そういうのに似ていたと思います。「きっと無理なんだろうな」と思っていた。ところがそこに、他地域からaieという男が編入してきたわけですけども(笑)。
——しかしそこから生まれたスタッズも、結局は彼と2人だけになってしまい、立ち止まらざるをえなくなった。そんなふうに歴史が繰り返されると、自分に対して猜疑心をおぼえてしまいがちですよね? 「もしかして、俺自身がこういうことに向いていないのか?」と。「そろそろ音楽人生そのものが潮時なのか?」といった疑問が出てきても不思議ではない。
それ、実際にありました。ちょうど去年のゴールデンウィークごろの話なんですが、もう違う道を選んでしまおうかと考えて、履歴書を書いたんです。もう自分は表に立つことをやめたほうがいいんじゃないか、好きなことを全力でサポートする仕事についたほうがいいんじゃないか、と考えて。
——バンドをサポートする側にまわる、ということですか?
いや、逆に、音楽界に居残ることだけはしたくなかったんです。同じ世界の中で反対側のポジションに移るようなことは絶対にいやだと思っていました。そこで、全力で新日本プロレスをサポートしようという考えに行き着いて、書き上げた履歴書を送ろうとしたところ、会社側に強引に止められました(笑)。
——それは当然でしょう! しかし、さすが元ジュニアヘビー級レスラー志願者ですね(笑)。そのときは完全に音楽を捨てる覚悟を決めていたわけですか?
はい。運転手兼リング設営係、みたいな。その立場から大好きなプロレスにかかわろうと、本気で考えました。まったく音楽に悔いが残っていなかったとまで言えば嘘になりますけど、本当にそろそろ潮時かなと感じていたんで。
——音楽活動の夢は捨てても、なにかしらのカタチで音楽に携わり続けていきたい。そういう「音楽第一」の人というのも少なくないと思うんです。でも、それとは真逆なんですね。
私の場合はそうですね。ステージに立つことは、やはり好きなんです。しかもそこで自分がやる音楽については、好き嫌いがないんですよ。普段から好きでよく聴くのはスレイヤーとかそういうメタルばっかりですけど、それを自分のバンドでできないといやだとか、そういうことは全然ないですし、音楽自体を仕事にできなくてもまったくかまわない。仲のいい友達と一緒になにかを作れるということが、私には重要なんです。そして現在、基本的にはソロプロジェクトだとは言いつつも、ナニゲに隠者達ともすごく仲がいいですからね。
——ならばソロプロジェクトではなくバンドにしてしまえばいい。そういう考えにはならないんですか?
そうするとコンセプトが……(笑)。隠者達は、隠者のままでいることにまったく異論がないんです。最初からそういう前提だったので。実際には通常のバンドのようにおのおのの役割がちゃんとあるんですけども、同時に隠者達の存在は、曲を伝えるうえでの演出の一環でしかないというか、ある意味、ステージ上のオブジェのようなものなんです(笑)。しかもソロプロジェクトであれば、自分さえいれば成立する。つまり決して解散するということがないじゃないですか。そこも重要で。
——ある種、過去の解散がトラウマに……。
これ以上、歴史を繰り返したくないというのはありますね。しかも隠者達については、 今後やりたいことが変われば、人間も同じである必要はないと思っています。「黒の隠者達」が、「白の天使達」に変わることもあるかもしれない。