2020年2月26日ぶりの生みゆきさんに会いに
2024年1月19日「歌会」初日

東京国際フォーラムへ

 

注意⚠️ 以下、ネタバレと感想です。

MCなどみゆきさん発部分は

青字で表記しました。

みゆきさんの言った通りではありませんが、

スポーツ新聞や他のネタバレ情報を元に、ほぼ

言った通りと思われるものは「 」をつけました。
 

 

 歌姫国スタンプ

会場に到着して自席を確認後、スタンプを押しに

 

絵柄は国際フォーラムをバックにギター、
ハイヒール、中島ちょうちんのちびなみちゃん

有楽町駅ホーム端からパチリ

 以前は日程の区切りで絵柄を変えていたが、

今回は日付がないことからフォーラム開催分は
ずっとこの絵柄で行くのかもしれない。
 
8公演で中止になったラストツアーのその後の
スタンプは結局、日の目を見ることは
なかった。きっとご当地の名産品の
楽しい絵柄だったのだろう。
不測の事態が起きたときにスタンプが
無駄にならないようにとヤマハの方針が
変わったのかもしれない。
 

 4年ぶりの生みゆきさんは、

2階席、2列めから舞台を見下ろし、
固唾をのみ開演を待つ
開演のブザーがなる。

緞帳はなく、
メンバーが舞台袖から定位置にスタンバイ
みなさん、高齢の割にお元気そうだ。
ただ、ボーカルの石田匠さんが
着席したままの状態だったのが気になった、

Aで音合わせ。そしてイントロに乗って
みゆきさん颯爽と登場!
割れんばかりの拍手👏👏👏
 
4年もたって、
太ったりしてないか?
一気に老けたりしてないか?
背中が曲がったりしてないか?
双眼鏡で食い入るように見た。
 
が、みゆきさんの容姿は
4年前と変わっていなかった。
むしろ若返っているようにさえ見えた。
少女のように可愛らしくて、
どこかイタズラっぽいオーラをまとっていた。
 
4年間、コンサート出来ないし、
暇だからゴロゴロ、テレビでも見ながら
お菓子でも食べていよう、など
自堕落に陥ることなく、
 
日々体幹を鍛え、維持し、
発声練習も怠らなかったのだろう。
今日の日のために…
 
おちゃらけキャラの下に
とてつもないプロ意識を見た。

服装は花をあしらったカラフルな
フレアのワンピースの上に
白のジャケット、
愛用のギターを抱えていた。
フレームレスなので遠目では
にわかに わからなかったが
双眼鏡の先には
メガネをかけたみゆきさんがいた。
 
スポーツ新聞にあった
これが登場した時の、
みゆきさんのいでたちである。

出典:日刊スポーツ

 

やらかさない為にだろう
みゆきさんのお立ち台の正面には
歌詞テロップモニターらしきものがあった。
ド近眼のみゆきさんは普段はメガネで
コンサートや夜会の時は
コンタクトレンズを装着していた。
しかし、今回はメガネ。
メガネ姿のみゆきさんは
とても庶民的で、宇宙大統領でありながら(笑)
私たちにより近い場所まで
降りてきてくれていると感じた。
 

 歌が始まる

1曲目、はじめまして

ギターを奏で、笑みをたたえながら歌う。

忘れもしない
ラストツアーのラストで歌われたのも
この「はじめまして」
ラストは終わりなのでなく、
新たな始まりと印象づけた。
image
 ラストツアーのセトリ↑
 
歌会VOL.1.新しいみゆきさん
はじめまして
 
新しきが花、初心忘るべからず。
世阿弥の言葉が浮かぶ
また新たな中島みゆきが始まった。
旅はまだ終わらない。

1曲目を歌い終え、
「ご無沙汰しておりました。中島みゆきです。
ようやくお目にかかることができました。」

はつらつと、うれしさのあまりか
少しうわずった声で会場の
一人ひとりに向かった。
久々のファンとの出会いをとても喜んでいた。
 
共鳴して身体の奥が温かくなる。
 
続いて
「2020年2月26日ラストツアー8公演目が
始まろうとした時に緊急事態宣言が出ました。
公演が終わって荷物も舞台もとっととまとめて夜逃げのように帰った日から4年でございます」
国の自粛要請で公演中止を
余儀なくされたことが語られた。
 
ただの4年間ではなかった。
このスタンプとスタンプの間は
あまりに長くまた深く、世の中は激変した。が
みゆきさんの本質はなにも変わっていなかった。

 
おもむろにジャケットを脱いで、
2曲目
歌うことが許されなければ
2020年1月発売のアルバム
「CONTRALTO」の4曲目
華やかなオリンピックイヤーになるはずだった年
 
時代の終わりと新しい時代の始まりを
予感させるこのアルバムが
コロナ騒動の始まりの時期に合わせて
発売されたのも天意なのだろう。
 
ほどなくして本当に
歌うことが許されなくなってしまったが、
わたしの心は風の中
みゆきさんの心は風の中にあった。
 
みゆきさんの歌から感じる〝風〟の象意は
心(魂)の自由だと感じている。
 
向かい風が強ければ強いほど、
立ち向かえば向かうほど高く翔べる。
そして、翼に風をはらんで
高い空を飛ぶ鳥たちが
教えてくれるものこそが本質である。
 
編み直される物語が
今、再び始まった。
 
歌い終えたみゆきさんの次なるMCは
ぼやきモードで
「世の中次から次へといろんなことがおきて
 人間大丈夫かと、恐ろしくなる」
そう!もちろん、みゆきさんは
今の時代の異常さにお気づきである。
その一例として、医療を挙げた。
 
世界でも日本でもこんなに病院の絵が
映ったことがあったでしょうか。
病院なんてものはたまに
お世話になるだけのもので
どこか遠い外国の世界
という感じだったのに
病院の絵がこれでもかというくらい
目に入ってくる。
 
私の歌は病院関係、
出演依頼も病院関係の役ばかり
ということで、ここから医療関係の歌3曲
医療関係者はくつろげないと思いますが
我慢して聞いてくださいと、前置きして、
 
俱に
小児科医が主人公のドラマ主題歌だが、
みゆきさんが脚本を読んで
書き下ろした訳ではなく
番組担当者がドラマに合う歌として
選んだものである。
 
まさに今の時代、
日本は風前の灯火のようだ。
 
つんのめっても、出遅れても
横殴りの雨でも、
諦めず、消えるまで、
きっちり自灯明を灯していこう。
俱に走っている〝独り〟〝独り〟の
気配を感じながら…
 
続いて
病院童
家に住み見たものを幸せにするという座敷童
病院童も入院した人を元気づけたいと
切に願っている。
 
これは、入院して不安を感じている
患者に向けてのエールだろう。
 
曲調はコミカルで入院患者の心の不安に
寄り添って、明るく元気づけてくれる。
 
かつて夫が仕事中に救急搬送され
病院に駆けつけたとき、この歌にどんなに
励まされ、慰められたかしれない。
 
病院三部作の最後は
銀の龍の背に乗って
言わずと知れたドクターコトーの主題歌
これは、組織に媚びることなく、
良心に従い、不断の努力を続けながら
患者に真摯に向かう医師へのエールである。
 
少なくともろくに機序も調べず、
かつてないほどの接種後死亡が出ている
ワクチンをリスクも伝えず患者に打ちまくり、
法外な高額報酬を得ている医者たちに
向けたものではないことは確かだろう。
そういう医者は、くつろげまい!
 
銀龍の最後、71歳とは思えない熱を込めた
ロングトーンで締めくくった。
 
次はみゆきさんの口から
かつて北海道札幌にあったライフの
真実が解き明かされる。
歌では3階建てのビルの
大きな喫茶店のように思えますが、
小さな階段を登った2階にライフはあって
3階は屋根裏の物置のショボい店なんです。
 
店の名はライフ
古き良き昭和の懐かしい空気感
ほのぼのと語りかけるように歌う。
歌声が会場にじんわりと染み渡る。
 
 
都会のビルはどんどん高く
ゴージャスになっていくそんな中
小さなジャズバーがある。
夕方から深夜が営業時間だが、
何度か通って常連になると
朝まで居させてくれるかなぁと思うけれど、
堅気な人の住む街なので、
朝、店をヨレヨレで出た時に、
ジョギングや体操をしてる人に
会うのは気まずいから
朝まではおすすめしません。
この店のことを歌うにあたり、、
 
うちにはバンマスがいません。でも
誰もいないと羊は勝手なことをしちゃうので
その代わりに牧羊犬がいます。
(みゆきさんの向かって右隣、
牧羊犬こと、瀬尾一三師匠を紹介)
 
2020年10月にうちのバンマス
小林信吾は亡くなりました。
 
小林信吾がソロで音をとっている歌を
持ってきました。
今日は一部、小林信吾と一緒に
歌わせてください。
 
LADY JANE
舞台中央のみゆきさんの向って左
すぐそばの空席のグランドピアノに光があたる。
軽やかな信吾さんのソロの音源が会場に響く。

信吾さんは2020年10月コロナ禍の最中
ひっそりと息を引き取った。瀬尾さんは
後日親族から連絡があってそれを知った。
当時出演されていた「ラジオ瀬尾さん」で
信吾さんの死が語られたとき、師匠は、
憔悴しきって、痛々しくさえあった。

自粛でコンサートができず、
時間は十分あるから、その間に

代わりのバンマスを探さなければと語っていた。

しかし、結局、見つからなかったんですね。
信吾さんは唯一無二の存在、永久欠番

 

みゆきさんと瀬尾さんがどれだけ

絶大な信頼を寄せていたかことか。


瀬尾さんも、みゆきさんも26年間の感謝を
しっかり伝えて信吾さんを

彼の岸に送りたかったのだろうが
コロナ禍でかなわなかった。

ラストツアーが途中で終わってしまい、
信吾さんもさぞ心残りだったに違いない。

今まで、デモテープ作りから

コンサート、レコーディングまで支えてくれた
信吾さんを、どうしてもコンサートの場に
呼びもどしてファンとともに悼みたい。

みゆきさんの信吾さんへの
深く熱い思いが伝わるMCと歌だった。

 
LADY JANEのアウトロに引き続いて
愛だけを残せ
愛だけを残せ 壊れない愛を
激流のような時の中で
愛だけを残せ 名さえも残さず
生命の証に愛だけを残せ

「そうだよね、みゆきさんと」と
目頭が熱くなる。

残すべきものは、地位や名誉や金ではなく、
愛だけ! 
実際、この世を去るときに
魂が持ってゆける宝は
愛だけなのだろう。

みゆきんは、そのことを
我々に広く伝えるために
歌という道具を携えて、遠い星から
この地球にやってきたのかもしれない。


歌が終わって、みゆきさんは言った。
「わしらのバンマス
 小林信吾にも少しだけ拍手を」
信吾さんも、実力がありながら瀬尾組では
ナンバー2に徹し、縁の下から支えた
名よりも愛を残した人だった。
 

 

 おたよりコーナー、そしてその前に…

今回は、おたよりコーナーの前に、

中島のわがままコーナー
会場からこっちはよく見えるけど、
こっちからそっちを見ると真っ暗なのね。
どんな人が来てるのかわからんないから、
今回ホールさんにお願いして10秒間
会場の明かりをつけさせていただきます。
 
客席の照明がつくと、
指笛を鳴らす人、大きく手を振る人、拍手する人
みな、みゆきさんに、ここにいるよ と伝えた。


「客席はどんな感じ?こんなに来てくれてるの〜
 うれしいわ。」
「よかったみんな元気そう。」
 
たったの10秒間だったが、みゆきさんが如何に
私たちとの再開を待ちわびていたかがわかった。
 
続いてみゆきさんコンサート名物
おたよりコーナー
構成作家のポチこと寺崎要さん登場!
颯爽、シャキッとしているみゆきさんに比べると
かなりお年を召した印象だった。

近眼用のメガネだとおたよりが読めないからと
メガネを取るみゆきさん。
おたよりが紹介される。
 
今日は歌会初め、お題は「和」
こちらで「和」といえば杉本和世さんですね。
 
中学生です。お年玉使ってみゆきさんの
グッズ2万円分買いました。
 
母が、僕が東京に行くのを心配して
バスの時間を調べてくれたけど、
僕は41歳です。
流石にバスの時間くらい調べられます。
 
腎臓移植を受けた妹と一緒に
前方席で見ています。
 
台湾から来ました。
自転車こぎながら「時代」を歌ってます。
 
教授会でしたが、父親の7回忌と
ごまかして会場に来ました。
 
イタリアに住んでいます。
チケットが当たったので一時帰国してます。

おたよりが終わり、
ではこれから20分間の休憩です。
いつもは、歌で盛り上がった後に休憩ですが、
今回はおたよりの後
ゆる〜い感じで休憩にはいります。
ゆっくりご歓談ください。

休憩時間中にパンフレットを購入した。
ミュージシャン紹介の写真の最後には
信吾さんの写真と紹介文
最終ページには
In Memory of 小林信吾
と書かれていた。
 

前半のセットリスト

今回のパンフにはセトリがない。
後半を聴いて、
その理由が分かった気がした。


 

 なお、今回のコンサートは緞帳はないし、

メガネのみゆきさんはメイクもナチュラルで

大人のオンナというより少女のようだし、

演者と観客の境目をあえて

希薄にしているように思えた。

 

コンサートとは、演者が

観客に一方的に与えるものではなく、

観客と演者のエネルギーの交流で

創られるものではないかと、

かつてラジオ瀬尾さんに

おたよりを送ったことがあった。

瀬尾さんは、その通りと同意して下さり

だからコンサートは毎回毎回

違うものになると熱く語ってくれた。
 

つづく↓