「ラジオ瀬尾さん」というネットラジオがある。
音楽プロデューサー瀬尾一三師匠と
カフェマメヒコ店主井川さんとのよもやま話
 
昨年、やすらぎの刻〜道〜で
みゆきさんの「離郷の歌」が流れたとき
アウトロのリフレインの余韻が
胸の奥で反響して
心が押しつぶされそうになった。
 
感激してラジオ瀬尾さんにおたよりした。
瀬尾さんアレンジのアウトロ
とても素晴らしかったです と…
 
すると瀬尾さんは、
あそこは信吾がアレンジしたと明かした。
 
自分がアレンジすると、
パターンが似てきてしまうことがあり
そいうときには信吾に頼んでいる。
信吾は俺の右腕!と瀬尾さんは言った。
 
 
歌謡曲や音楽に疎い私が
小林信吾の名前を初めて聞いたのは
みゆきさんのコンサートのバンマスとしてだった。
2015年初めてのコンサート「一会」の時
2016年夜会Vol.19「橋の下のアルカディア」でも
舞台を支えてくれていた。
 
2017年に食道がんの手術をされたと聞き、
心配したが、
2018年1月26日の「夜会工場vol.2」の会場で
本日のキーボードの名前を見て安堵した。
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信吾さんの復帰、
私たちファンももちろん嬉しかったけれど、
みゆきさんと瀬尾さんの嬉しさは
ケタ違いだったはずだ。
 
明けて2019年の夜会VOL.20
「リトル・トーキョー」でも
オケピから音を届けてくれた。
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※リトル・トーキョーパンフより
 
2019年10月12日、
目黒BLUES ALLEY JAPANで、
ヴォーカル和ちゃんこと杉本和世さん他
豪華瀬尾組のライブを楽しみにしていたが、
台風で2日後の14日に順延
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14日は横浜で久々の読響
チャイコフスキー第5の予定を入れていた。
少し悩んだが、
豪華ダブルヘッダーにして、
はしごすることにした。
 
信吾さんは5mと離れていない場所から
キーボードでサウンドを届けてくれた。
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会場が暑くて
「これ以上脱いだら、露出し過ぎになっちゃう」
といった和ちゃんに向けて
とっさに、カトチャンのちょっとだけよを
ピアノ演奏して笑いを取る場面もあった。
 
 
そして、2020年2月26日
ラストツアーのラストになってしまった結果オーライ
「宙船」の後、少し早めのメンバー紹介で
みゆきさんは、高らかに、
「バンマス~小林信吾~」と会場に響かせた。
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これが最後になってしまうなんて
思いもしなかった。
 
もっと、全身全霊を傾けて
信吾さんのキーボードの音を
聞いておけばよかったと
今、とても後悔している。
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瀬尾さんみゆきさんと信吾さんの付き合いは
もう、26年にもなる。
 
瀬尾さんはみゆきさん以外の音楽の仕事でも
信吾が一緒でないと
と必ずといっていいほど同伴していた。
瀬尾さんは「信吾はおれの体の一部」だという。

信吾さんは、レコード大賞を受賞したKAN
「愛はかつ」のアレンジャーで
平原綾香、浜崎あゆみのプロデューサーも務めた。

同業者であり、付き合いも長いので瀬尾さんは
「気を使わなくて済むので楽」
「多くを語らずともツーカーで話が通じる」
「おれがいったことを
 他のミュージシャンへ伝えてくれるので
 とても楽をさせてもらってる」

と、絶大の信頼を寄せていた。
 
(参考)信吾さんゲストの「ラジオ瀬尾さん」より↓
 
みゆきさんが作ってきた譜面をもとに
最初にデモテープを録るとき
そこにはたった3人しかおらず、
みゆきさん、瀬尾さんともう一人は
ピアニストとしての信吾さんだった。
 
 
みゆきさんの仕事のみならず、
夜会「ウインターガーデン」の縁で
能楽師の佐野登さんと、能の
「羽衣」とピアノのコラボステージの
企画、演出、演奏に関わった。
 
また、すべてを一人で手掛けた
都会的でとてもおしゃれな
インストアルバム「soliloquy」を
2019年7月にリリースしたり、
新たなことにもチャレンジされ
幅広く活躍されていた小林信吾さん
 
10月4日この世の務めを終えられたと
昨日知った。
※10/10読売朝刊
 
 
期せずして、
今日昼のNHK歌謡スクランブルは
中島みゆき特集で
最後にかかったのが「離郷の歌」だった。
こんな時にみゆきさんの声を
しかも信吾さんアレンジのアウトロを聞いて
こみ上げるものが止められなかった。
(私でさえこうなのだから、片腕を失った
みゆきさん瀬尾さんの思いは、もう計り知れない )
 
信吾さん
この世のお勤めおつかれさまでした。
素晴らしい音楽をたくさんたくさん
ありがとうございました。

 

 心よりご冥福をお祈りいたします。