結論から言うと、生きています。怪我からも回復状態にあります三毛猫

 

尾瀬の旅から戻り、授業の初日でそれを聞いたときはとても驚きました。

休日初めの知床半島の羅臼岳(ラウスダケ)で事故にあって、

休み中1つも山に登っていないって…

生きてて良かった。

 

 

先生が北海道へ行く予定の頃は、

日本で北海道だけお天気が悪かったので気になってはいたのですが

登山の予定が立て続いていて、睡眠の邪魔になってはとメールを控えていました。

 

北海道の残り3山を登り、四国の2山の登山も終えて、

登頂は80座を超えているに違いないと想像していましたから。

 

お天気さえ良ければ…と悔やまれますが、仕事を持っていると

ついつい無理をしてしまうのですね。

特に北海道の人里離れた場所は、行くだけでも大変なので。

 

そして、一年前の白馬乗鞍遭難の時のように先生はracconto を書きました。

日本流に言えば手記でしょうか。

する体験も並外れてるけど

臨場感が凄くて、引き込まれてしまうその文章力に毎回感心します。

今回、どうしても読んでもらいたくて、許可をもらって一部を翻訳してみました。

量は全体の半分位ですが、能力としてはまだイタリア語は中級の中ですから、

推して知るべし。

間違っているかもしれないし、結構意訳もありますが、感覚は伝わると思います。

 

題は LASCIATEMI SPARIRE ANCORA SULLE CIME

直訳は「私をまた頂上に消えさせて」のような意味ですが

「再び山頂に」のニュアンスでしょうか。

直訳の方が「私をスキーに連れてって」みたいでいいかな?

 

 

 雨  くもり  雨  くもり  雨

 

 

…省略…

 

灌木の中に分け入ると、プリムラ(さくら草)の蕾たちが今にも開き出しそうに見える。気を散らさないようにしないと。たった今、洪水の沢の中を歩いたかと思えば、今度は残雪の上を歩いている… 一歩ごとに沈み込む危険にさらされて、氷のように冷たい水に何度か足がはまり… その度にぞくっと鳥肌が立つ。それが私の足取りを遅くしている。

 

最初の雪渓の壁に到着する。そこには登るのを補助する固定されたロープが付いている。雪渓を歩いて行くにつれ… 雪が山頂まで連れて行ってくれると思い始める。急ぎ足になって最後の壁の麓にたどり着いた。壁は完全に雪に覆われて私を山頂から隔てている。地図によると羅臼岳まで徒歩で1時間。

 

一歩一歩登山靴を差し込む。初夏とは名ばかりで、靴は雪にすっかり濡れている。登るほどに傾斜はきつくなり、霧が掛かっているとはいえ背後には素晴らしいパノラマが広がる。私は手こずっている。歩行ルートは、難しいがそこに幾つかあることはある。その殆どが傾斜の最も緩やかな所にある。

 

常に3点支持。片方の足と2本のストックを地面にしっかり固定して、もう片方の足で踏む。もう一方をついて、もう片方を置く… 靴の下の雪の塊が崩れた…

 

200メートルの滑落。衣服はねじれ、破れ、ストックはどこにあるかわからない。唯一のブレーキは私の体で、木や岩を遠ざける為にあらゆる方法を使い、腕をレバーのように激しく雪に差し込んだり土や泥に突っ込んだり、やがて止まった。

 

見上げると羅臼岳は遠く、体は出血している… 足りないといえば熊ぐらいか。熊よけの鈴はザックについているし私の頭も首についている、が、目はよく見えない… 携帯電話はあり問題なく作動している。 麓へ帰ろう。

 

上手く歩けない。左足首が腫れ始め手も腫れて、足や腕と同様に血だらけになっている。役に立たなくなった右目を閉じて、ゆっくり進む。灌木の中で、私は知床の針山を避けて通ることが出来ない。さらに厄介なことに、歩く雪の部分が簡単に崩れていく。そして下を見ながら粘り強く進む。

 

ストックの代わりになる枝を2本拾うが、同じものはなく機動性に欠け、しかも重い。それでも場所によっては無くてはならないもの。杖がわりの枝の間で身をかがめて足を滑らせながら進み、ロープの付いた壁までたどり着いた。ロープをつかむ。痛い。手は更に腫れている。だが、ここから脱出しなければならない。歯を食いしばって降りる。集中力を最大にして体中のあらゆる細胞から力を絞り出して苦痛に耐え、決断し、苛立ちを押さえながら解決していく。

 

硫黄の水と雪が混ざった沢にたどり着き傷を洗う。枝の杖はロープの壁を降りる時に置いてきたので、支え無しで少し降りて浅瀬を渡ろうとする。バランスを保ってはいるが不安定で片目では厳しく、沢の流れに加えて雨も降っているので、さらに力を振り絞ってどうにか対岸にたどり着いた。 

 

片方の足を地面に置く。しかし地面ではなかった。沈み込む。外に出ているもう一方の足はほとんど崩れ落ち、私も引きずられる。焦って、両足を動かしてもがく。沈んでいる… 泥沼のような物が私を飲み込んでいる。両手を伸ばして近くの岩にしがみつき、沈まないように腹筋や肩の筋肉を使って引き抜く。神に感謝。泥の外に出た。

 

血で赤く染まっていた足は泥で茶色に。また足を洗い流す必要があるが、それはしたくない。土や枝の小片が、体中から出てグチャグチャになった赤い液体にピッタリくっ付いていて、どうしようもない。考えないことにして降りなければ。

 

格闘は続く。自然は意のままにならず、その凶暴さに出会いながらも酷い状況を一つ一つ乗り越えていく。それでも自然は私を助けてくれた。杖になる枝やつかまる大事な物を与えてくれ、私は谷に戻ることができた。

 

森の中で一連のアップダウンが始まる。そこで唯一見える片方の目はモミやナラの木を見分け、松やカバの木を認識する。エーデルワイス(レブンウスユキソウ)は青春時代に愛したドロミテに私の記憶を連れ戻し、サンジョバンニのオレンジ色のユリ(エゾスカシユリ)はローマの有名な場所を思い出させる。そこはボーイスカウトでこのすべてが始まった場所。

 

      

         レブンウスユキソウ       エゾスカシユリ (写真はネットから拝借)

 

心はさまよいながらも歩みは迷うことなく、数時間降り続いた霧雨で今とても滑りやすくなっている険しい登山道を間違えずに進んでいる。

 

疲れ果てて目的地まで2キロの所で休憩のために立ち止まる。手は効かなくなっていて、水を飲み、味わうことさえできないチョコレートを食べる。私は血と雨水と泥に浸って色の見分けが付かなくなった虹のような、色の混合物。靴もこの混合物でいっぱいで4倍の重さになり、歩みのすべてが戦いで、歩んだ距離のすべてに今のところ勝利している。

 

「雑踏から離れたこの生活は、木々の中に言葉を見つけ、小川の中に本を、石の中に説教を、どこにでも良いものを見いだす」とのウィリアム・シエークスピアの考えに浸った。それは疲れ果てた体と心を蘇らせてくれる。

最後のコーナー。ビジターセンターへの近道をとる。登山道の完全な情報を私に示してくれなかった所。川にかかる橋が壊れ、水面に板が直に置かれている… そこを渡る。水の中も外もほとんど同じように滑りやすい。

 

反対側に到着すると、新鮮な草で昼食をとっている小鹿の群れが目に入った。更に先へ進むと、小グループの観光客が間欠泉の噴出を待っている。私が通り過ぎると彼らは向きを変えて間欠泉を離れ、知床国立公園の新しいアトラクションになった血と泥にまみれた男を撮影する。

 

それは私を苛立たせるが気にしないで通りに出て民宿へ向かう。試練に耐え、私は気力のすべてを失ってしまった。宿のご主人が、親切にすぐに車に乗せて病院へ連れて行ってくれる。注射、点滴、傷の洗浄とで4時間かかり、熱が高いまま病院を出た。ウイルスたちが私の中で騒ぎ出す。

                        

 

…省略…

 

     気が付くと修正しています。       

     音声を録音すると「私」が多いことに気づき、かなりカットしました。
 

 

雨  くもり  雨  くもり  雨

 

 

この後、先生は腫れた上がった体で民宿にもう1泊します。

翌日、親切なご主人が車で空港まで送ってくれて、東京に戻ることができます。

飛行機の中で嘔吐で苦しみ、到着してすぐに病院に搬送されて入院。

検査の結果、肋骨が3本折れて、眼科で治療して、見えなくなっていた目も正常に戻り。回転性の目まいで苦しみますが、耳鼻科で耳から石を2個取り除いてもらう… 

などなど。

まだまだ治療中ですが…

 

手記の中で、また行くなんて…、のような悲鳴や非難を聞いていると。

きっと家族でしょう。特にお母さんなら当然。

意思の強い人の心が動かないことを私は身内で知っているので

「山は辛抱強く待っていてくれるから、身体を完全に回復させましょう」と。

 

次の授業の時には、羅臼岳は最後の100座目にしたら?と勝手に言ってます。

TV撮影クルーが前回と同じであれば、

ベテランのカメラマンさん、山のプロのガイドさんが同行するから

絶対に無理はしないでしょう、底なし沼も避けられると、はた迷惑なことを。

 

 

 

登山の前日には羅臼の「熊の湯」温泉に浸かって、地元の人ともお話ししているようなので、思い出は辛いものだけでは無いようです。

 

口では「Guarisci presto!おだいじに」直訳すると「早い回復を!」と言っている私ですが、どちらかというと遅い回復を願っている 三毛猫いちご

 

 

 

             チューリップピンク    チューリップピンク    チューリップピンク     

 

 

追記

最後まで翻訳して題の意味がようやく分かった気がします。

 

Per favore, lasciatemi sparire ancora sulle cime.

と最後にあるのですが

命令法で、主語が二人称複数。この二人称複数が誰か何故か分からなかった。

反対する家族へのお願いだったのでは、と気づきました。

だから、「お願いだから、山頂にまた消えさせて」

「山頂にまた行かせてください」なのでしょうね。

 

ルカ先生はイタリア文化会館のイタリア語の先生です。

羅臼岳に再挑戦して登頂。滑落した場所を教えてもらいました。