前回、職場の人とのやり取りでネガティブな感情を持ち、
探ったところ、社会的役割の枠にはめられることを
Noと言っている自分を発見したと書きました。
それに気づいて次に職場に行ったら、
職場の人はなぜか私に「ありがとうございます」と
感謝の姿勢になっていた。
やはり、この世界は自分の心なのだと感じたのですが・・・
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先日、職場の後輩に
「Reiさん、すごいですね。よくできましたね。この仕事」
と心底驚いた感じでいわれた。
素直な子なので本当にそう思ったのだと思う。
その瞬間、私は気持ちが高揚し、喜んでしまった。
でも、もう一人の私がそれをじっと見ていて、
なにかしっくりこない微妙な感じがした。
”人に褒められてすごく嬉しいのに、なにかモヤっとするのは何故だろう”
そう思いながら一日過ごしていた。
心の探究者である大いなる私がどこかで、
『職場で認められて喜んだけど、それはどうしてなの?』
と聞いていた。
職場で喜んだ時、私の中に二つの気持ちがあって
①人に認められたい
➁社会的役割に押し込められたくない
と言う気持ちが葛藤していた。
それに気がついた時、しっくりこない微妙な感じは
自分へのシグナル音だったと気がついた。
①人に認められたいということは、
相手や社会にとって、望ましいとされる方向に
自分を当てはめているということになるのだから。
それは自分を押し込め窮屈になるということで、
➁の気持ちに相反する。
でも、何故か人に認めてほしいという気持ちも少しあるのだ
だから、私は職場で認められて喜んだのだ。
自分自身で100%自分を認め、いつもそれを感じていれば
人の評価に左右されない強さをもつ人になれるのではないか。
そして自分はそうなりたいのではないか。
そういう感情に気がつかされた。
それとどうじに、喜ばしい感情の中に微妙に残るしこりを
感じ取っていかないと、気がつかなかったと思った。
実はネガティブな感情の方が、自分の心の叫びに気がつきやすく、
ポジティブな感情とともに表れる、微妙な感じに気がつくというのは
難しいと感じたのです。