私は週に2日仕事をしている。
その仕事ではそこそこ専門家として評価されていて
今まで満足していた
ところが、先週、職場の人から
自分の仕事のことで、
「あなたの役割なのだから、こうしてほしい」と怒った調子で
口を出された。
正直面白くない。
『何を言ってるんだ、こいつ』と思いつつ、
自分の心が何を叫んでいるのかを数日程考え続けていた。
その結果見えてきたのが、
「うるさい、口をだすな。私は役割におさまる気はない。
仕事上の役割、社会上の役割が私の存在価値ではない。」
という怒りとともに心の叫びがでてきた。
今まで仕事で評価されていたから、
仕事での評価=私になっている部分があった。
上手くいっているからこそ、疑問にも思わなかった。
反対にそれが自分を縛り付け、
専門的な知識、経験をもっと磨こうとしていた。
しかし、私は専門的な役割をもつが、
それは本当に小さな一部分だ。
私の本来の役割は、
自分の心と意識を把握し判断する探究者であり、
もっと根本的な部分であるのだ。
その根幹である探究者が、
一枚の葉ぐらいのサイズの社会的役割に
ぐいぐい押し込められようというのだから、
それは怒るというものだ。
職場で起きた出来事は確実に自分の心を反映していた。
そう気がついたとほぼ同時に
職場からメールが来た
「同僚のAさんが鬱になって休業することになった」という知らせだった。
Aさんは爽やかで穏やかな人だった。
ただ自分の心を優先するよりも、
社会的役割を優先するタイプだった。
誰よりも率先してワクチンを接種して
社会的なお手本となっていたのが印象的だった。
その人が休業となるメールが上記の気付きを得た時に送られてきた。
本来、命の根源ともいえる意識は
社会的役割に無理に縛り付けようとすると悲鳴をあげる。
意識はとても自由で大きいからだ。
それを見ないふりしていると
何らかの形で現れるのだとそう感じざるえなかった。