社会的役割≠私 | オーラの研究

オーラの研究

健康のため、気功をやっています。かれこれ、10年近くになります。その影響があってか、最近、オーラがはっきり見えるようになりました。日々のオーラ観察を通して、気づいたこと、発見したこと、感動したことをまとめてみたいと思い、ブログを立ち上げました

私は週に2日仕事をしている。

 

その仕事ではそこそこ専門家として評価されていて

 

今まで満足していた

 

ところが、先週、職場の人から

 

自分の仕事のことで、

 

「あなたの役割なのだから、こうしてほしい」と怒った調子で

 

口を出された。

 

正直面白くない。

 

『何を言ってるんだ、こいつ』と思いつつ、

 

自分の心が何を叫んでいるのかを数日程考え続けていた。

 

その結果見えてきたのが、

 

「うるさい、口をだすな。私は役割におさまる気はない。

 

仕事上の役割、社会上の役割が私の存在価値ではない。

 

という怒りとともに心の叫びがでてきた。

 

今まで仕事で評価されていたから、

 

仕事での評価=私になっている部分があった。

 

上手くいっているからこそ、疑問にも思わなかった。

 

反対にそれが自分を縛り付け、

 

専門的な知識、経験をもっと磨こうとしていた。

 

しかし、私は専門的な役割をもつが、

 

それは本当に小さな一部分だ。

 

私の本来の役割は、

 

自分の心と意識を把握し判断する探究者であり、

 

もっと根本的な部分であるのだ。

 

その根幹である探究者が、

 

一枚の葉ぐらいのサイズの社会的役割に

 

ぐいぐい押し込められようというのだから、

 

それは怒るというものだ。

 

職場で起きた出来事は確実に自分の心を反映していた。

 

 

 

そう気がついたとほぼ同時に

 

職場からメールが来た

 

「同僚のAさんが鬱になって休業することになった」という知らせだった。

 

Aさんは爽やかで穏やかな人だった。

 

ただ自分の心を優先するよりも、

 

社会的役割を優先するタイプだった。

 

誰よりも率先してワクチンを接種して

 

社会的なお手本となっていたのが印象的だった。

 

その人が休業となるメールが上記の気付きを得た時に送られてきた。

 

本来、命の根源ともいえる意識は

 

社会的役割に無理に縛り付けようとすると悲鳴をあげる。

 

意識はとても自由で大きいからだ。

 

それを見ないふりしていると

 

何らかの形で現れるのだとそう感じざるえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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