年明けにはこども医療センターに初めて来院

とても大きな病院で

本当に親子連ればかりだった

 

この母性病棟で

私はこの子との物語を紡ぐのかと思うと

なんとなく明るい気持ちにはなれなかった


自宅から車でも40分ほど

出産までは毎回夫が送ってくれた

 

不思議と地元の産院と違って

なんとなく妊婦さんのオーラが

閉じている気がする


母子手帳を2冊持っている人もいる


ある意味リスクのある人ばかりなんだったと

自分もその一人になったことを実感した

 

担当は女医さんだった

超音波で見た結果の所見が書面で説明される

・発育不全(2wくらい遅れている)

・胎児心臓病

・臍帯ヘルニア

・手の握り方に特徴

・脊髄髄膜瘤の疑い

 

全身的な基礎疾患の可能性・・

18トリソミーの可能性・・

 

遺伝子カウンセラーの女性も同席してくれていたけれど

何を説明されてもわかるようでわからない

ただ大丈夫ではないことはわかる

元気に産んであげることが難しいこともわかる

 

自然に涙が溢れた

同席している夫も同じだった

 

染色体異常については

自分たちでも薄々可能性を感じていたから

21、18、13と特徴をざっと知ったけれど

生きるのが難しくなることという理解しかなかった

 

病室でどんな会話をしたか

もう当時のことは忘れてしまったけれど

生きられる可能性と治療できる可能性について

夫が確認をしていた

 

1歳まで生きる子が10%

それまでに生まれない子もいる

 

この病院でも年に15〜18名ぐらい誕生していて

それぞれの病気や状況があって生存率については

なんともいえないこと

 

私は改めて検査入院することになった

あっという間に日取りが決まる

 

 

つくづく思う

診察をするとこの子のリスクしか話されない(当然だけど)

そして自分が検査をするのかしないのか

妊娠の中断の選択をするのかしないのか

常に選択の連続だ

 

努めて冷静に対応はしているけれど

帰りの車の中では なんとも言われない悲しみと

切なさが襲ってきて涙が出てしまう

 

そんなわけでこの病院には

出産まで電車では通えなかった笑

 

 



地元の産院での最後の健診

長女の時には見られなかった4Dで

リアルな赤ちゃんの顔を見て驚く


こんなに発達した技術で

色々なことがわかってしまうんだ

 

そういう感覚だった

 

発育不全(成長曲線のぎりぎり下ぐらい)と

心臓疾患の可能性ということで

大きい病院への紹介状を渡された

そして

「いいお産を」と送り出された

 

いいお産ってなんだろう

そう心の中で響く

納得する選択をし続けるしかない

 

当時の日記

↓↓

初めて見たよ♪

可愛いお顔

 

おなかがぽこっと動くとき

ママはとっても幸せです

どこに行っても

何を食べても

今は赤ちゃんと一緒だから

 

美味しいのかなー

あったかいかなー

まるいおなかに話しかけると

幸せなのに 涙が出てくるの

 

どうかお願いだから

元気で生まれてほしい

 

欲張りなのかもしれないけれど

やっぱり赤ちゃんの声も聴きたいし

笑ったり 走ったり 

食べたりしている姿が見たい

 



当たり前が

当たり前じゃ無いということを

痛感させられた一年

 

良きことも

悪しきことも

コインの裏表のようなもの

 

だからこそ出来事と義務に

エネルギーを費やすのではなく

今に在るという意識で

自分の感受性を制限しないで生きたい

 

初日の出 眩しい光の中にいると

自分の中に巣食う黒い存在が

小さく溶けていきそうだ

 

長女が祈ってくれた

 ーー赤ちゃんが健康で生まれますように

 ーー世界が平和でありますように

 

 



当時の日記

煩悩だらけの一年だった

 

手に入れる苦しみ

手に入らない苦しみ

どちらかわからない苦しみ

 

全てを味わった

 

“為すべきことを為し終えた”

その感覚の先にしか

幸福感がないのだとしたら

 

私はこの飛び回る心を

鎮めることが

最優先にすべき事だろう




授かり物とはいうけれど

容姿も 才能も 寿命も 気質も

何一つコントロールできない

 

ただ大きな命のサイクルの中で

助け合って

生きていくしかない

 

それを無力と感じるか

喜びと感じるか

 

ただその思考だけを

きっとコントロールできる