(↓当時の日記)

私は

光に透ける葉を

見上げるのが好きだ

 

なんとなく自分も

樹の一部に溶ける気がするから

 

来年はどんな気持ちで

空を見上げるのだろう

 

身体も変わり

環境が変わり

家族が変わり

自分が老いたとしても

 

変わらず泰然としている

樹でいられるだろうか

 

2022.11.20

 

 

 

妊娠してからの初めての健診は夫と二人で行った

地元の個人産院で長女もここで出産した

もうあれから7年も経つんだねと

懐かしい思いで受付をする

前回と違ってどきどきすることもない

第二子って違うんだなあと思った

 

 

“おめでとうございます”

と言ってもらった後のこと

エコーを見ていた先生の様子がおかしい

ずっと画面を眺めている

 

NTという胎児の首の後ろの浮腫が見えるという

妊娠11週〜13週のあたりに見えるものらしい

 

どんな説明を受けたか

今となってはあまり記憶もなく

日記すら書けていないのでわからないのだが

夫も私も大きくショックを受けた

 

待合室で知らない用語をスマホで検索して

染色体異常である可能性が

どれぐらいなのかを知る

 

ただどれほど検索したところで

わたしたちを安心させてくれる記事を

見つける方が難しいことがよく分かった

 

私は待合室で検索することをやめた

ただ不安がなくなるわけではない

思考は現実化するかもという謎な考えがよぎる

 

夫と帰りの車の中でお互いの気持ちを話し合った

 

 

そして泣いた

 

 

二人ともなんとなく21トリソミーかもしれないと

内心は覚悟を決め始めていた

 

夫は夢で実はそんな赤ちゃんを抱く夢を見たと

打ち明けてくれた

 

五体満足で健康に生まれてくる

そんな普通を

当たり前のように考えていた自分達は

最初はそんな赤ちゃんを不憫に思って泣いた

 

でもどんな赤ちゃんでも二人の赤ちゃんだから

きっと可愛い赤ちゃんだから受け入れようと

そんな風に話したような気がする

 

提示された出生前診断も

私は受けるつもりがなかった

 

お互いに不安がいっぱいだったと思う

どんな生活になるのか

どんな人生を共に歩むことになるのか

 

妊娠初期の検診でこんな気持ちになるんて

夢にも思っていなかった

 

楽しみだね

どっちに似てるかな

男の子かな女の子かな

 

そんな会話をするつもりでいたのに

 

自分の力ではどうにもならないこと

それでも祈りたくもなる

 

どんな子でも受け入れると決めているはずなのに

いざそういわれると怖いと思ってしまう小さい自分がいた

 

 

 

次女がおなかに来てくれたのがわかったのは

ちょうど去年の今ぐらいの時期だった

 

10年以上携わった部署から異動になり

長女の小学校お受験の時期とも重なっていた10月

 

妊娠がわかったときは

“これで来年には仕事を休める・・・”

とホッとした

 

来年小学校に上がる長女の生活も

大事にしたかったし

何より気持ちに余裕のない日々の生活が

自分自身で一番苦しかった

 

赤ちゃんが来てくれたことで

生活ががらっと変わるようなそんな期待と

なかなか授からなくて先の見えない未来が

ようやく結実したような安堵の気持ちもあった

 

私がその時望んでいたのは

“日常をゆっくり感じられる毎日”だった

 

私にとって

長女と過ごしていた妊娠時期は

何かとても繊細で

自分の何かが満たされているような

神秘的で

愛おしい時間という記憶しかなかったから

 

だからまた自分の感覚に戻っていられる

頑張らなくてもいい自分でいられる

そんな免罪符を得たような気持ちになっていた

 

不思議と流産とかそういう不安がなくて

赤ちゃんと私の二人の波長が合うまでの

初期のつわりをやり過ごしていた

 




娘が生きていた二日間
お世話になったNICUの先生に
偶然ばったりと会った

向こうが気づいてくれて
“あー!!”と声をかけられた

お互いマスク同士の顔しか知らないのに
よくわかってくれたなぁ

でも覚えていてくれたこと
なんだか嬉しかった

”〇〇の母です
その節は大変お世話になりました”

そんな風に名乗る機会は
二度とないと思っていたけれど

自分はちゃんと
あの子の母なのだと
最確認できた

そのこともまた嬉しかった



県立こども医療センターの慰霊祭に

夫が参加した

(私は長女の帰宅時間もあって留守番)


この一年に亡くなった子の名前が

一人一人呼ばれて奉納される

 

約90名のこども

双子ちゃんも何組か

 

それぞれ事情は違うけれど

こんなにたくさんの親が

絶望の淵から落ち

悲しみの海に沈んだことを思うと

その痛みが和らぐことを

願うしかできない

 

傍目にはわからない

 

我が子を失い

生き残った親たち

 

私は今まだ悲しみの海の中にいる感覚

貝のようにじっと閉じこもっていたいけれど

それも叶わず魚として泳ぎ続けている

まだ陸に出るのは息苦しくて無理そうだ