マタイによる福音

 〔山を下りるとき、弟子たちは〕17・10イエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。11イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする。12言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」13そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。

 

 エリヤは、旧約聖書の終わりの預言書であるマラキ書で、メシアの到来前に遣わされるべき人物として預言されました。「見よ、わたしは、主の大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに送る。」(マラキ 4:5)

 イエスは、「エリヤ」の役割を担ったのは洗礼者ヨハネであると言いました。

 ヨハネは、エリヤと同じく荒野で生活し、王(ヘロデ)の罪を厳しく指摘し、人々に悔い改めを促すことで、メシアであるイエス・キリストの到来に備える道筋を準備しました。

 イエスは、人々が洗礼者ヨハネをエリヤだと認めず、ご自身もまた人々から苦しめられることになると予告します。

 

 聖ルチアおとめ殉教者については女子パウロ会ホームページをごらんください。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=121301

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕11・16「今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。17『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。』18ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、19人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」

 

 「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。」という言葉は、子どもたちが遊びの時に歌う歌詞だったかもしれません。

 笛を吹くのは、婚礼や祭りのように喜びに満ちた時です。イエスが罪人や徴税人と共に食事をするという、喜びと赦しに満ちた福音を「軽薄で厳粛さがない」として律法学者やファリサイ派の人々は受け入れませんでした。

  葬式の歌は悲しみ、悔い改めを意味します。洗礼者ヨハネが荒れ野で断食し、禁欲的な生活を送りながら「悔い改めよ」と叫んでも、律法学者やファリサイ派の人々は、彼を「悪霊に取りつかれている」と言い、メッセージを拒絶しました。

 イエスは律法学者やファリサイ派の人々の頑なな心を揺さぶろうとしたのだと思います。

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕11・11「はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。12彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。13すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。14あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。15耳のある者は聞きなさい。」

 

 牢の中にいる洗礼者ヨハネが弟子を送り、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」とイエスに尋ねると、イエスは弟子に見聞きしていることをヨハネに伝えなさいと言います。

 ヨハネの弟子が帰った後イエスは群衆に向かって話し出します。

 イエスは、「彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。」と言います。

 イエス自身や、洗礼者ヨハネに対する逮捕や迫害、またイエスを排除しようとする律法学者やファリサイ派の人々の敵対行為が激しくなり、暴力によって天の国が攻撃されているとイエスは言います。

 洗礼者ヨハネの逮捕と殉教は、イエスの逮捕と十字架上の死の先駆けでした。