マタイによる福音
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕25・31「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。32そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、33羊を右に、山羊を左に置く。34そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。35お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、36裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』37すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。38いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。39いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』40そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
41それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。42お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、43旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』44すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』45そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』46こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」
この箇所を読むたびにキリシタン時代のコンフラリア(兄弟会)、ミゼリコルジアの組が思い浮かびます。ミゼリコルジアはポルトガル語で慈悲という意味です。
当時キリシタンたちの間で組織されたコンフラリアは、組あるいは講と訳されます。この講は隣人愛を実践するためのものであり、その世話役を慈悲役と呼んだことから後になって、キリシタンの爺役に変化したという説もあるようです。長崎のミゼリコルジアの組は、創立2年で、会員100名、ハンセン病院2,養老院男女各1、孤児院1、墓地1を持っていました。
このミゼリコルジアの組には7つの身体的な慈善のわざと、7つの精神的な慈善のわざがありました。
共に唱える祈り(おらしょ)とミゼリコルジアの組の活動が厳しい迫害の中でも信仰を絶やさなかった理由だと言われます。
○色身にあたる七〔つ〕のこと。
一には、飢えたるものに食を与ること。
二には、渇したるものに〔のみ〕物を飲ますること。
三には、膚(はだえ)をかくしかぬるものに衣類を与ること。
四には、病人〔と牢者〕をいたはり見舞うこと。
五には、行脚のものに宿を貸すこと。
六には、とらはれ人の身を請くること。
七には、〔人の〕死骸を納むること是なり。
○スピリツにあたる七〔つ〕のこと。
一には、人によき異見を加ゆること。
二には、無知なるものに道を教ること。
三には、悲みあるもの〔の心〕をなだむること。
四には、折檻すべきもの〔科あるものをいさむること〕を折檻すること。
五には、恥辱を堪忍いたすこと。
六には、ポロシモ〔隣人〕の〔誤り〕不足を赦すこと。
七には、生死の人と、また我〔ら〕に仇をなすもののためにデウスを頼みまつること
是なり。
コンフラリアの起源はヨーロッパにあります。いつの時代、どんな場所でも、共に祈り、慈しみを実践する活動がキリスト教会の原動力です。
聖ポリカルポについては女子パウロ会ホームページをごらんください。
https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint365.php?id=022302
祈り
愛する主よ、
あなたの思いやりと優しさをわたしにお示し下さい。
あなたは、柔和で心のへりくだったお方です。
よくわたしは、「主はわたしを愛してくださっている」とひとり言をいいます。
しかし、この真実のみ言葉は、あまりわたしの心の奥まで届きません。
この受難節が、わたしがあなたの愛に対して、
すべての抵抗を捨てることができる機会となりますように。
また、わたしをあなたのみ許近く呼び寄せてくださるときとなりますように。
アーメン。