マタイによる福音

 15・1そのころ、ファリサイ派の人々と律法学者たちが、エルサレムからイエスのもとへ来て言った。2「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人の言い伝えを破るのですか。彼らは食事の前に手を洗いません。」

 10イエスは群衆を呼び寄せて言われた。「聞いて悟りなさい。11口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。」12そのとき、弟子たちが近寄って来て、「ファリサイ派の人々がお言葉を聞いて、つまずいたのをご存じですか」と言った。13イエスはお答えになった。「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、すべて抜き取られてしまう。14そのままにしておきなさい。彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。」

 

 「盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。」というイエスの言葉はよく知られているのではないかと思います。

 この言葉はファリサイ派の人々や律法学者たちだけでなく、わたしたち自身にも宛てられていると思います。

 わたしは、「自分が正しいと思い込み、神の愛や真理を見失ったまま人を導こうとしていないか」、「真理を見極める目を持たず、間違った権威や風潮に盲従していないか」と自問します。

 

 聖ヨハネ・マリア・ビアンネについては女子パウロ会ホームページをごらんください。

 https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=080401

 

マタイによる福音

 〔人がパンを食べて満腹した後、〕14・22イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。23群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。24ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。25夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。26弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。27イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」28すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」29イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。30しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。31イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。32そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。33舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

 34こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いた。35土地の人々は、イエスだと知って、付近にくまなく触れ回った。それで、人々は病人を皆イエスのところに連れて来て、36その服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。

 

 イエスに願ったペトロが水の上を歩いていると強い風を受け溺れそうになり「主よ、助けてください」と叫ぶと、イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われました。

 ペトロはイエスから目をそらさずにいた間、水の上を歩くことができました。しかし強い風に煽られて怖くなると水に沈み始めました。

 イエスは「主よ、助けてください」と叫ぶペトロにすぐに手を伸ばして捕まえました。

 イエスはイエスに信頼する人が、たとえ水に沈みそうになっても『助けてください』と叫べば、すぐにその手を伸ばして掴み取ってくださいます。

 

 わたしの後輩のJ神父は、司祭叙階の時のカードに、「主よ、助けてください。沈みそうです。」と書き込みましたが、彼はその後も水に沈むことなく立派に教区司祭としてのつとめを果たしています。

マタイ福音書14:13-21

 13 イエスは〔洗礼者ヨハネが死んだこと〕を聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。14 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。15 夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」16 イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」17 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」18 イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、19 群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。20 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。21 食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

 

 今日の答唱詩編の答唱句「いのちあるすべてのものに、主は食物を恵まれる」が今日の典礼のテーマです。

 

 第一朗読ではイザヤが「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。」と主の言葉を伝えます。

 商品としての水やパンは値段が決まっています。しかし、神は無償で飢えている人、渇いている人に食べ物や飲み物を与えるといいます。

 

 イエスが一人で人里離れた場所へ行こうとしたのは、洗礼者ヨハネが首を切られて処刑されたという報せを聞いたからでした。人里離れたところはイエスが父である神に祈る場所でした。洗礼者ヨハネが殉教したことを知ったイエスはご自分の受難を覚悟し、静かに祈ろうとしたのだと思います。

 しかし、イエスが舟で人里離れた場所に向かったと知った大勢の群衆が陸路で先回りし、イエスを待ちかまえていました。

 人里離れた場所に群衆が押しかけても、イエスは怒るのではなく、彼らの様子を深く憐れんで、彼らの中の病人を癒やしました。

 いつ弟子たちがイエスの側に来たのか分かりませんが、夕方になったとき、彼らがイエスに、「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」というと、イエスは「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」と言います。その言葉に弟子たちは驚き、「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」と答えました。

 イエスは「五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった」後、弟子たちがそれを群衆に配るとすべての人が満腹しました。残ったパンの屑は十二の籠いっぱいになりました。

 この時の、イエスのしぐさは、最後の晩餐の時に「パンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた」(26:26)ということと重なります。

 マタイ共同体の人々は、このパンの増加の奇跡を、彼らのエウカリスチア(聖餐)の祭儀の背景で理解しました。

 エウカリスチアの中心にはイエスご自身がおられます。弟子は自分たちの持っている食べ物すべてをイエスのもとに持って行きます。

 イエスがパンを取り、賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡し、弟子たちはそれを群衆に配りました。すると、その場にいたすべての人が食べて満腹しました。

 

この出来事は、私たちに二つの大切なことを教えています。

 

第一に、「イエス様はどんなときでも私たちを深く憐れんでくださっている」ということです。イエス様のもとに集まる人をイエス様は追い返すことなく、温かく迎え入れてくださいます。

 

第二に、「私たちが持っている『わずかなもの』を主の御手に委ねる大切さ」です。私たちの時間、ささやかな奉仕、あるいは傷ついた心そのものかもしれません。「こんな小さなもので何になるのか」と思えるようなものであっても、主の御手に差し出すとき、イエスはそれを祝福し、誰かを生かす豊かな恵みへと変えてくださいます。

 

イエス様のもとに集まるわたしたちをイエス様は深く憐れみ、わたしたちのささげるものを受け取り、神さまに賛美の祈りをささげ、小さなホスチアの形でご自分自身をわたしたちに分け与えてくださいます。

イエス様の体をいただいたわたしたちが、この一週間イエス様と共に生きる恵みを願いましょう。