ヨハネによる福音

 〔そのとき、群衆はイエスに言った。〕6・30「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。31わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」32すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。33神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」

 34そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、35イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」

 

 「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」というイエスの言葉は、サマリアの女にイエスが行った「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(4:13-14)という言葉を想い起こさせます。

 群衆は労せずに食べて満腹できるパンをイエスが与えてくれると思っています。イエスの言葉と群衆の思いの隔たりが対話を続けるにつれて大きくなっていきます。

ヨハネによる福音

 〔イエスが五千人の人々に食べ物をお与えになった後、弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見た。〕6・22その翌日、湖の向こう岸に残っていた群衆は、そこには小舟が一そうしかなかったこと、また、イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り込まれず、弟子たちだけが出かけたことに気づいた。23ところが、ほかの小舟が数そうティベリアスから、主が感謝の祈りを唱えられた後に人々がパンを食べた場所へ近づいて来た。24群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。25そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。26イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。27朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」28そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、29イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」

 

 イエスはご自分を追いかけてきた群衆に、「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。」と言います。

すると彼らは「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」とイエスに訊きます。直前にイエスは5つのパンと2匹の魚を5000人以上の群衆に分け与え満腹させました。群衆は、自分たちもイエスと同じような「神の業」するにはどうしたらよいかと訊いたのです。

 イエスは「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」答えられました。イエスと神との親密な関係を「信じる」という言葉で表しました。

ルカによる福音

 24・13この日、すなわち週の初めの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、14この一切の出来事について話し合っていた。15話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。16しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。17イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。18その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」19イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。20それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。21わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。22ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、23遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。24仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」25そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、26メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」27そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。

 28一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。29二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。30一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。31すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。32二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。33そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、34本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。35二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。

 

復活の主日から聖霊降臨まで第一朗読は使徒言行録です。使徒言行録は聖霊を受けた使徒たちが復活したイエスこそ主であり救い主であることを宣べ伝えた記録です。

 今日の箇所は聖霊を受けたペトロが十一人と共に立ち上がり、声を張り上げて宣教を始める部分です。この宣教の中心メッセージは「あなたがたが、十字架につけて殺してしまったイエスを死の苦しみから解放して、復活させられた」ということです。

 第二朗読は使徒ペトロの手紙です。使徒言行録でペトロが語ったとおり、私たちの信仰内容は「キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じること」です。

 

 復活されたイエスとの出会いを、それぞれの福音記者たちは独特の仕方で伝えています。

 本日の福音は、イエスがエマオに向かう二人の弟子と共に歩む物語です。

 

 ルカが伝えるイエスとエマオに向かう二人の弟子の話は、私たちの主日のエウカリスティア(ミサ)の構造そのものです。

日曜日に教会に向かう私たちは、エマオに向かう弟子と同じように暗い顔をしていることもあるかもしれません。気がつかないうちにイエスが私たちと共に歩きご自分について聖書を説き明かします。その言葉に私たちの心は燃え、イエスが私たちと共に留まるように願い、イエスがパンを裂くことによって、イエスは私たちよりも私たちに近い方となられます。

 

 私たちのミサの言葉の典礼と感謝の典礼が、イエスと私たちの出会いと、まどいの時、イエスと共に、一つの場所に集まって親しく交わる場となりますように。

 

ひとこと

 アメリカとイスラエルのイランやレバノン、ガザに対する容赦のない攻撃は、中東だけでなく世界中を不安に陥れています。ミサの中で私たちは何度も平和を祈ります。

 イエスご自身の体を受けて、世界にキリストの平和が与えられるように祈りましょう。