マタイによる福音

 14・1そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き、2家来たちにこう言った。「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」3実はヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。4ヨハネが、「あの女と結婚することは律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。5ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。人々がヨハネを預言者と思っていたからである。6ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が、皆の前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。7それで彼は娘に、「願うものは何でもやろう」と誓って約束した。8すると、娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。9王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、10人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。11その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。12それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、イエスのところに行って報告した。

 

 洗礼者ヨハネはヘロディアの娘が踊った宴会の余興のほうびとして頸を切られました。人間の頭の重さはボウリングの球やスイカ一個分だと言われます。ヨハネの頭を盆に載せて娘が母親のところに持って行く場面は凄惨としか言いようがありません。

 ヘロデはその後自分が殺した洗礼者ヨハネの亡霊におびえていたのではないかと思います。

 聖アルフォンソ(リゴリ)については女子パウロ会ホームページをごらんください。

 https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=080101

 

マタイによる福音

 〔そのとき、〕イエスは13・54故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。55この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。56姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」57このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、58人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。

 

 「哲学は驚きから始まる」と言ったのはアリストテレスです。

 ギリシャ哲学における「驚き」とは、単に「わぁ、すごい!」と感嘆することではありません。日常の中で「当たり前」だと思っていたことが、実はまったく分かっていないと気づいた時に生じるおびえや戸惑いです。

 イエスの故郷の人々はイエスの言葉に驚きますが、そこからイエスの言葉の意味を探求するのではなく、自分たちが見知っているイエスがどこからそんな知識をしいれたのかいぶかしがります。

 「分かったつもり」からは発見も回心も生まれないのだと教えられます。

 

 ロヨラのイグナチオについては女子パウロ会ホームページをごらんください。

 https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint365.php?id=073101

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕13・47「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。48網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。49世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、50燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。51あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。52そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」53イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去った。

 

 イエスが「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」と言った時、弟子たちは、「分かりました」と答えました。

 イエスが群衆にたとえで話す理由を、「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。」と弟子たちに言っています。

 しかし、「聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。」のは群衆だけではなく、弟子たちも同じだと思います。

 わたしたちは「分かった?」と誰かから聞かれると、つい「分かった」と言いがちです。その「分かった」は相手の話の内容を理解したという意味ではなく「分からなかった」と答えた後のやり取りが面倒になるのを避けるため、また相手の機嫌を損ねないように忖度するためかもしれません。

 弟子たちがイエスの言葉の意味を理解したのは、イエスのために自分の命を捨てる時になってからだと思います。