ルカによる福音

 〔そのとき、〕9・1イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。2そして、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、3次のように言われた。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。4どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。5だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい。」6十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。

 

 乞食は、本来は「こつじき」と呼ばれ、僧侶が修行として家々を回り、生活に必要な食料などを恵んでもらうことを意味していました。

 イエスは十二人を宣教に派遣する時に、手ぶらで行くように命じました。自分の持っている物を頼りにするのではなく、イエスの言葉だけを頼りに十二人は宣教に向かいます。

 プロテスタントでは開拓伝道が行われます。開拓伝道(かいたくでんどう)とは、まだ教会のない地域や、キリスト教が十分に伝えられていない地域に赴き、ゼロから新しい教会を建てていくための伝道活動のことです。

 岐阜県の関で夫婦で開拓伝道をしていた牧師と出会いました。その生き方の潔さに感銘しました。

 聖ピオ(ペトレルチーナ)については女子パウロ会ホームページをごらんください。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint365.php?id=092302

ルカによる福音

 〔そのとき、〕8・19イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群衆のために近づくことができなかった。20そこでイエスに、「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」との知らせがあった。21するとイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお答えになった。

 

 マリアは天使のお告げを聞いて「お言葉どおり、この身に成りますように。」と応え、イエスの母となりました。エリザベトが言う通り、マリアは「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方」でした。

 イエスは「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」と言います。

 私たちが神の言葉を聞いて行うときイエスの兄弟となることができます。

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは〕9・9通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。10イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。11ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。12イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。13『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

 

 回心は「中心移動」や「根本的自己決断」と考えることができます。マタイはイエスの「わたしに従いなさい」という声を聞いて、それまで自分が大切だと思っていたことが色褪せ、この人にしたがって生きることこそ、自分の生きる中心であると思い、自分の生き方の根本的な方向を変えることができたのだと思います。

 イエスの「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」という言葉を、「わたしが来たのは、自らが正しいと思い込んでいる人を招くためではなく、自らの罪深さに苦しむ人を招くためである。」と読み替えることもできます。

 イエスに出会った瞬間、マタイは自分が生まれてきた意味、生きていく意味を見いだしたのです。

 聖マタイ使徒福音記者については女子パウロ会ホームページをごらんください。

https://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycle0/festa0921.php