ヨハネによる福音

 〔そのとき、〕11・19マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。20マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。21マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。22しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」23イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、24マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。25イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。26生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」27マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

 

 イエスとマルタ、マリア、ラザロは、最も親密で、最も人間味あふれる、無条件の愛で結ばれた友人でした。ヨハネ福音書はイエスと彼らの関係について、「イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。」と語ります。

 ラザロが死んだ後、マルタとイエスとのやり取りで、イエスが「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」と言うと、マルタは、「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」と答えます。

 親しい人との別れの時、そして自分自身の死に直面したときに、イエスに向かって、「主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」と信仰告白することができますように。

 

 教皇フランシスコは、毎年7月29日に祝われていた聖マルタの記念日を、2021年から聖マルタ・聖マリア・聖ラザロの三聖人記念日とするように定めました。

 制定の教令には、 ベタニアの家で、主イエスは、マルタ、マリア、ラザロたちの家族的精神と友情を体験された。それゆえに、ヨハネ福音書は、イエスが彼らを愛しておられたことを明らかに示している。マルタはイエスを寛大にもてなし、マリアはイエスの言葉に従順に耳を傾け、ラザロは死を屈服させたイエスの命によって墓から出た」と記されています。

マタイによる福音

 〔そのとき、〕13・36イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。37イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、38畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。39毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。40だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。41人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、42燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。43そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

 

 イエスは「種をまく人」のたとえ、「毒麦のたとえ」、「からし種」と「パン種」の話を群衆にしました。

 弟子たちの求めに応じてイエスは「毒麦のたとえ」を説き明かします。

 良い種を蒔く者は人の子、イエスです。毒麦の種をまいたのは悪魔です。収穫の時が来て刈り入れるのは天使たちです。天使たちは毒麦、つまり、つまずきとなるものすべてと訃報を行う者どもを集めて、燃えさかる炉で焼きます。その時良い種から育った実である正しい人々は、父である神の国で太陽のように輝きます。

 畑の中には良い麦と毒麦が一緒に生えています。良い麦と毒麦をより分けるのは天使です。

 麦自身が自分はよい麦、他の麦を毒麦だと決めつけることはできません。そのことをわきまえて生きる必要があります。

マタイによる福音

 〔そのとき、〕13・31イエスは、別のたとえを持ち出して、人々に言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、32どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」33また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」

34イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。35それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「わたしは口を開いてたとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる。」

 

 「わたしは口を開いてたとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる。」は詩編78編の2節からの引用です。

 「たとえ」はヘブライ語では「マシャール」です。日本語で「たとえ」と言えば、難しいことを分かり易く何かにたとえることだと思われますが、マシャールは、「なぞかけ」です。それは聞き手に決断を迫る力ある言葉です。

 天の国がからし種、パン種に似ているとイエスは謎かけをします。訊かれた人は、謎解きを迫られます。

 わたしたちはどのように答えるのでしょうか。