ヨハネによる福音

 6・16夕方になったので、弟子たちは湖畔へ下りて行った。17そして、舟に乗り、湖の向こう岸のカファルナウムに行こうとした。既に暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところには来ておられなかった。18強い風が吹いて、湖は荒れ始めた。19二十五ないし三十スタディオンばかり漕ぎ出したころ、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。20イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない。」21そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。

 

 イエスは強い風に今にも沈みそうな舟に乗っている弟子たちに、「わたしだ。恐れることはない。」と言われ、弟子たちがイエスを舟に迎え入れると、舟は目指す地に着きました。

 

 「わたしだ」という言葉は、弟子たちに自分だと気づかせる以上の意味があります。この言葉はギリシア語で「エゴ・エイミ」と言い、旧約聖書(出エジプト記3章14節)において、神がモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われた言葉のギリシア語訳であり、イエスはモーセに顕現した神と同一の存在であることを示しているのです。

 

 パンを食べて満腹した人々が、ご自分を地上の王にしようとするのを知り、イエスは山に退かれました。

 

 その後、嵐で沈みそうになる舟にしがみついている弟子たちに、ご自分が神であることをお示しになったのだと思います。

 

 イエスが共にいることで、舟は無事に目指す地に着きました。

 怒りと報復の連鎖に陥る世界に、主イエスが来て、治めてくださるよう祈ります。

ヨハネによる福音

 〔そのとき、〕6・1イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。2大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。3イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。4ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。5イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、6こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。7フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。8弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。9「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」10イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。11さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。12人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。13集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。14そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。15イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。

 

 今日から復活節第3週にかけてヨハネ福音書6章が継続朗読されます。この箇所はヨハネの聖体論と呼ばれています。

 

 冒頭はパンの増加のしるしです。この物語で鍵となるのは、「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」というアンデレの言葉です。この少年が自分の持っている食べ物をイエスに差し出すのを拒んだら、このパンと魚の増加は起こらなかったはずです。

 

 少年が持っているすべての食べ物をイエスに差し出し、イエスはそれらを取り、感謝の祈りを唱えて、分け与えられた時、奇跡がおきました。

 

 相田みつをは、「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」と言いました。

 

 わたしたちの世界では、一国の大統領が圧倒的な武力を背景にして、世界中の資源と富を独占しようとしています。この人のモットーは、「うばって、独り占めしたら、アメリカは再び偉大な国になる」ということではないかと思います。

ヨハネによる福音

 3・31上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地に属する者として語る。天から来られる方は、すべてのものの上におられる。32この方は、見たこと、聞いたことを証しされるが、だれもその証しを受け入れない。33その証しを受け入れる者は、神が真実であることを確認したことになる。34神がお遣わしになった方は、神の言葉を話される。神が〝霊〟を限りなくお与えになるからである。35御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた。36御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。

 

 3章31節から36節もヨハネ福音書の著者の独白です。

 

 イエスは、「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。」(5:24)と宣言されました。

 

 イエスとイエスをお遣わしになった方を信じ、共に生きることができますように。