ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕16・12「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。13しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。14その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。15父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

 

 「真理の霊」は、イエスが父である神のもとに去った後、弟子たちと共に留まるために送られます。真理の霊は、イエスが語った言葉を弟子たちに理解させ、イエスの言葉を想い起こさせます。

 「真理の霊」は、「パラクレートス」、助け主、慰め主、弁護者とも言われます。

 

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕16・5「今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。6むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。7しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。8その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。9罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、10義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、11また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。」

 

 告別説教の中で、トマスは「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」とイエスに訊いています。

 そのときイエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」と言いました。

 どうしてイエスは「今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。」と言うのでしょうか。

 イエスの「誰も尋ねない」という言葉は、「あなたたちは自分の寂しさばかりを見て、わたしが父のもとへ行くことの本当の喜びや意味を、なぜもっと深く聞こうとしないのか」と諭しているのかもしれません。

ヨハネによる福音14:15-21

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕

15 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。19 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。20 かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」

 

 第一朗読の使徒言行録は、イエスの復活と罪の赦しを宣べ伝える使徒たちの活動が記されています。サマリアの町を訪れたフィリポはステファノらと共に選ばれた七人の奉仕者の一人です。彼の宣教によってサマリアの人々が神のことばを受け入れたと聞いた使徒たちは、ペトロとヨハネをサマリアに遣わします。ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、聖霊がサマリアの人々に降ります。聖霊によって人と人との隔たりがなくなり、イエスの願い通り皆が一つになって神をたたえるようになります。

 

 第二朗読の使徒ペトロは、「終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。」(3:8-9)と戒めます。本日の朗読箇所はその続きの部分です。

 「神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよい。」というペトロの言葉に、弟子たちの覚悟が見えます。

 

 ヨハネ福音書では、ユダが外の闇に飲み込まれた後、イエスは残った弟子たちに言いおく言葉、告別のことばを語りだします。イエスが弟子たちとの別離を告げたことにより、弟子たちには動揺と不安が生じました。

 

 イエスは「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」(14:1)と弟子たちを勇気づけますが、弟子たちはイエスと自分たちを待ち受ける運命の予感におびえていたのかも知れません。それでイエスは父である神に願って「別の弁護者」を遣わすことと御自分の再来を告げ、弟子たちを励まします。「弁護者」は法律用語で、裁判の時の弁護人という意味です。弟子たちがイエスの名のために逮捕され、審問を受ける時、彼らは孤立無援なのではなく、彼らの側に弁護者がいるとイエスは約束します。

 

 イエスは、「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」(15節)と仰せになり、更に「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す」(21節)と弟子に仰せになりました。

 

 イエスの掟は、紙に書かれた十戒や律法のようなものではなく、イエスを信じて生きる人の生き方です。

この掟を守ることにより、イエスが父である神と共にとどまり、ひたすら父を信じて生きてきたように、弟子たちはイエスと共にとどまり、ひたすらイエスを信じて生きるようになります。

母親の胸に抱かれた幼子が、無条件に母親にすがるように、イエスをあてにしてすがるようにとイエスはおびえる弟子たちを励まします。

 

 告別説教の締めくくりにイエスは、「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(16:33)と仰せになります。

 

ひとこと

 私たちは交わりの儀の時、主の祈りの後に、世界に平和が与えられるよう祈り、さらに教会に平和が与えれるように祈り、平和のあいさつを交わし、平和の賛歌を歌います。そして閉祭の時には、「行きましょう、主の平和のうちに」という言葉でそれぞれの家庭や職場に遣わされます。

 

 私たちはキリストの平和のうちに、キリストの平和をもたらすために遣わされるのです。キリストの平和の使徒として役割を果たすことができますように。

 

 もう一度今日のイエスの告別説教の最後の言葉を心にとどめたいと思います。

 

「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」