2016年5月8日、亡きアナ・ニコル・スミスの娘 ダニエリン・ホープ・スミス9歳が父親のLarry Birkheadと 142nd Kentucky Derby at Churchill Downsに出席しました。
ラリーは Twitter で“Thanks Lesy Boutique for making Dannielynn’s awesome Derby dress and headband http://lesy.it/ #KyDerby,” とシェア。
2006年9月7日生まれ、同 9月10日、兄ダニエル20歳が見舞いにきたまま同病室で子で眠ったまま死亡(抗うつ薬とおよび鎮痛薬の内服による)。2007年2月母アンナ・ニコールが39歳で突然死(医療目的がないのに、鎮静剤や抗うつ薬など数千錠を処方過剰に薬物を投与されたことによるなど確定されておらず)。尋常でない量と組み合わせの規制薬を処方箋を出しカリフォルニア州司法当局から「アンナを死に追い込んだ」として訴追されている精神科医がは3人の薬剤師から警告と共に処方を断られていたにもかかわらず、その医師は偽名を使って薬を取得。アンナの元恋人で顧問弁護士の男性(挙式したが婚姻届は提出せず)も、詐欺取得した強力な薬をすりつぶし、火で炙って液状化させた上で注射器でアンナに打っていたと報じられています。
この処方箋は、最愛の息子をなくしたアンナを「精神的に安定させる」ことが目的とみられ、事実長男の死後5日後に出されたもので、同医師は04年4月から06年9月の間にもアンナに対して「正当な医療目的がない」にも拘らず、過剰な規制薬を与え、長女(ダニエリン)妊娠中も胎児への悪影響が報告されている麻薬性鎮痛剤、精神安定剤、睡眠薬、抗不安薬、抗てんかん薬を投与し続けたとされています。
アンナ・ニコール・スミスは17歳で1 度目の結婚をし、26歳だった94年に石油富豪で当時89歳だった男性ハワード・マーシャル氏と結婚。翌年、マーシャル氏は他界し、推定15億ドル という莫大な遺産をめぐって遺族との間で裁判沙汰に...。アンナの法的相続人ダニエル君はアンナより前に亡くなったため、アナ・ニコール・スミスの娘ダニエルリンちゃんの父親をめぐってはDNA鑑定を求める裁判沙汰に。
アンナはモンローへの強い憧れがあり、美しいブロンドと青い瞳の娘を持つことを熱望していたため、バークヘッド氏の外見に惚れていたという証言もあります。
結局2010年元夫で石油王の故ハワード・マーシャル氏の一族との遺産相続争いは米連邦裁判所が『マーシャル氏の全遺産は2006年に死亡した同氏の息子、ピアス・マーシャル氏のものであり、同氏の未亡人であるエレインさんへ遺産が渡る』という決定を下しました。
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