【ルーマニア】マリア王妃 ティアラ(マリー・オブ・エディンバラ) | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

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ルーマニア・マリア王妃 ティアラ 写真

マリア王妃 ティアラ  


コーシュニクの形の歴史&王妃の歴史はこちらをどうぞ
【ルーマニア】マリア王妃 カルティエ製 Kokoshnik tiara ココーシュニクティアラ→


マリア王妃 ティアラ

Queen Marie of Romania


Princess Marie, “Mignon”, of Romania, later Queen of Yugoslavia. 1900s.
マリー・オブ・エディンバラ(

英国ジョージ(のち5世)は海軍軍人として、長年叔父エディンバラ公アルフレッドの指揮の下にいたマルタに駐在した際、叔父の長女マリー・オブ・エディンバラ(従妹)と恋に落ちて、結婚を申し込みましたが、祖母ヴィクトリア女王と双方の父は、この結婚を歓迎したものの、ドイツ嫌いのジョージの母アレクサンドラと、イギリス嫌いのマリーの母マリア・アレクサンドロヴナがこれに反対し、最終的に婚約は破棄。マリー・オブ・エディンバラはルーマニア王妃とマリアとなりました。




2015年3月、元ルーマニア王国ファミリーThe Romanian Royal Family は家族を写真をアップデートしました。

元ルーマニア王国ファミリー  
2016年8月1日、1947年に共産政権の圧力で王制から共和制へと移行し、廃位となったルーマニアのミハイ元国王(94)の妻で「最後の王妃」と呼ばれたアンヌ妃が夫妻の住むスイスで92歳で死去し、13日にブカレストで葬儀が営まれました。元国王は体調不良で参列できず、「とても悲しい」とコメント。


king Michael I of Romania (*1921)

king Michael I of Romania (1921)

ミハイ1世はルーマニア王太子カロルギリシャ国王コンスタンディノス1世の長女エレーニの長子として生まれる。1927年に祖父フェルディナンド1世が死去、父は王位継承権を1925年に放棄しており、愛人とともに国外逃亡してしまっていたため6歳の王孫ミハイが即位。3年後、父のカロルが突如帰国してミハイ1世を退位させ、代わって自身が国王カロル2世として即位した。退位したミハイは父の王太子と定められたが、カロル2世の親政は安定せず、カロルは1940年に元国防相のイオン・アントネスクの圧力によって退位に追い込まれて再び亡命、ミハイ1世が国王の座に返り咲くことに。アントネスクは国家指導者に就任してルーマニアの独裁権を握りました。


1941年6月、独ソ戦が始まると、アントネスク支配下のルーマニアも枢軸国側に立って参戦。1944年8月23日、ミハイ1世は自ら宮廷クーデターを起こしてアントネスクを追放、しかし親共産党政府の任命を強要されたため、以降政府の上奏する裁可文書への署名を拒否する「国王のストライキ」で対抗したが、ソ連に加えて米英も政府に従うことを要求したため、政府への非協力を中止。

1947年12月30日に、親共産党の陸軍部隊による包囲の中、銃口を突きつけられ退位文書に署名し、亡命に追い込まれ翌年の1948年にブルボン=パルマ家のアンヌ・アントワネットと結婚。(結婚のきっかけは1947年に、イギリス王女エリザベス(のちのエリザベス女王)とエディンバラ公フィリップとの結婚式でした。

1989年12月24 日に起きたルーマニア革命により、独裁大統領であったチャウシェスク夫妻は銃殺処刑されました。


Elisabeta Karina de Roumanie Medforth-Mills


アンヌ妃は1923年、パリ生まれ。王制廃止翌年の48年にミハイ元国王と結婚したため、王室に入った経験はなく、葬儀参列者(80)は「(共産独裁政権が崩壊した)約25年前にアンヌを王妃にしなかったのは極めて残念」と語りました。ルーマニア政府は13日を服喪の日に決めています。旧王室の人気は高いが、王制復活を支持する人は少ないのだとか。 


長女マルガレータを王位継承者とし「ルーマニア王太女(Principesa Moștenitoare a României)」を名乗らせるもマルガレータと夫ラドゥ・ドゥダには子供が無いため、次女エレナの長男ニコラス・メドフォース=ミルズ(Nicholas Medforth-Mills, 1985年 - )が次世代の後継者になると考えられていたが、ニコラスは2015年8月1日に価値観の相違からミハイ1世により王位継承順位から外され(王位継承者としての品位を保てぬ故と報道されていますが、旧王室サイトによると本人の同意のもとに行われており、何らかの行為に対するペナルティではないとされています)、その妹エリザベータ(Elisabeta Karina de Roumanie Medforth-Mills )が継承順位第3位となった。ただニコラスの継承権恢復もあり得るのだとか。


Nicholas Medforth-Mills
ミハイ1世と孫の王位継承者だったNicholas Medforth-Mills
Nicholas Medforth-Mills



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