まだこの時、無名の新人であったオードリー・ヘップバーン。1953年「ローマの休日」のプレミアに出席です。
Audrey at the benefit premiere for Roman Holiday, 1953.
アン王女がそのままプレミアに出席されたようですね。
彼女が大スターになる予感を早くから 抱いていたのが、相手役を演じたグレゴリー・ペックでした。撮影中 新人であったオードリー・ヘプバーンをサポートし続けました。
彼はオードリーを「気品と元気の不思議な取り合わせ」と表現しており、 『グレゴリー・ペック主演 新人オードリー・ヘプバーン出演』というスタジオ側が提案した宣伝のフレーズをグレゴリーは拒否し、「彼女の名前もタイトルの上に出した方がいい。オードリーはきっとアカデミー賞を獲る女優になるのだから」というグレゴリーの“予言”は的中することに。
オードリーは後年、グレゴリーを「現実的で実直な人。心から親切にしてくれました」と撮影中を振り返り、ペックの紳士的な態度がいかに素晴らしいサポートだったかを話しています。
オードリーにはこの新人時代から続いた友情があります。
ひとりはジバンシー。不思議とひきつけられたふたりはとても親密で、親愛でつながっており、互いをサポートしあいました。死を予期した彼女はジバンシーに「遺言調停人になってほしいとお願いをしたほどでした。
もうひとりはグレゴリー。最初の夫をメル・ファーラーと出会うきっかけを作ったともいわれるグレゴリーは彼女が亡くなった時、前夫のメル・ ファーラーとジバンシーらとともに棺を担ぎました。
また気に入らなければ無言で何度もテイク撮るというウィリアム・ワイラー監督も、オードリーに気を遣い、オードリーが演技しやすい環境を作り、優しく演技指導をしました。
オードリー・ヘップバーン ジバンシーとの親愛 Hubert de Givenchy→●
「90回撮りのワイラー」オードリーのためなら演技指導も手取り足取り。自らペックとなって実技指導。→●
最近更新が減っていてごめんなさい...。