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29歳、山と酒と音楽の日々。

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ちょっと前、4月の頭に、タイ旅行行ってきました。

この時期のタイは真夏。一年で一番暑い時期、らしいす。よってオフシーズン。

今回は一人旅ではありませんでした。連れアリ。

バンコク、スワンナプーム空港に夜12時くらいに到着し、そのまま空港内で過ごし朝一のエアアジア機で北の都チェンマイへ。

今回の旅行の目的の一つは、このエアアジアに乗ること。

アジア最安(=世界最安?)と言われるマレーシアの爆安航空会社。タイの国内線にも多く進出しています。

空港使用料、荷物チャージ等全部合わせてバンコクからチェンマイが800バーツ2400円。ちなみにバンコクからチェンマイの距離は、東京から青森の先っぽと同じくらいあります。この値段に惹かれない人って、いるのでしょうか。安いぜエアアジア。

機内サービスは全くナシと言っていいくらい。毛布すら有料です。あと、座席が自由席の飛行機って初めて乗りました。早いもの勝ちって(笑)。もちろん人数は制限しているので吊革はありませんでしたが。

北の都チェンマイでは飯を楽しむ。

ナイトマーケットには思いつく限り全ての麺ものご飯ものの屋台が並んでます。カオカームー(豚足ご飯)ウマかったー。

ゲンゴロウの炒めたのもあります。この時はトライしませんでしたが、後で食べたらけっこうおいしかった。

自転車で30分くらいかけて行ったカオソイの名店は最高にウマかったなー。カオソイとは、平打ち中華麺をタイカレーのスープにいれたもの。

お寺は大きい所でなくて小さなところでも趣があってよろしい。

ゲストハウスの数の割には観光客と思しき人は少なく、安価で快適な部屋がいっぱいです。食べ物の値段も安く、いい場所だよチェンマイ。

2泊3日して、さらに北の町パイへ。

ここ数年で欧米人の間で一気に人気が出た小さな町、らしいです。

旅行者の少ない、自然が綺麗で静かな町に行ってみたいなー、なんてたまに思うのですが、そんな場所は旅行者を受け入れてくれません。

だから旅はいつでもそのバランス探し。

そういう意味でパイはすごくバランスの良い町。多少欧米人に荒らされまくった感はありますが。

350バーツのバンガローは目の前にパイ川という川が流れていて、テラスに寝転がってビール飲みながら川で遊ぶ子供らを眺めていました。何もしないということが立派に旅の目的となることを証明するひと時。

しかし、見ているうちについに耐えかね、今年30歳になる男も川に飛び込む。

象にも乗りました。

背中の籠に乗るんじゃなくて、直乗り。ぶっとい毛が自分の足と擦れて、ちょっと痛い。

川で鼻から水をザブザブかけられ、背中をゆすってドボンと落され、思う存分象と遊びました。

バイクでツーリングもしました。

ちょっとコケました。

あらためて見てみると、膝や肘にケガをしてる外人だらけです。

みんなコケてるのね。

ちなみにパイでは、飲酒もノーヘルも警察に止められません。逆に言うと、止めてくれません。

決しておすすめはしませんが、すべては自己責任ですので。

あっという間に一週間。

タイ北部、いい所だよ。

さて、次の目的地は南。南の島。

延べ26時間のバス移動。チェンマイ、バンコクと繋いで着いたのはラノーンという町。海沿いにあるミャンマーとの国境の町。

ここには一泊して両替して飯食うくらいしか用事は無い。

目的地は、ここから船で2時間の島、パヤム島。

地球の歩き方には島の名前すら載っていなくて、ネットで調べてもとにかく日本人の方からの情報が少なく、苦労しました。

何があるってわけでもない島です。人が少ないってだけです。あとはきれいな海と、ジャングル。

公共の電気、ガス、水道は無く、車すらありません。

バイクが通れる幅2メーターくらいの道が島内に3本くらい通ってて、あとは長ーいビーチ。

島で最高級なんじゃないの!?っていう海沿いの綺麗なコテージで過ごしました。一日900バーツ。

ボディーボードとか貸してたのでおもわずやってみたらけっこう楽しい。海に馴染み無く過ごしてきたので何度も溺れかけたが。

下手くそではた目には哀れな姿だったかもしれないが、3キロの浜辺で波遊びしてるのが3人くらいしかいないので思う存分没頭した。ボディーボード買っちゃおっかなー。

飽きたら浜辺のレストランでビール飲んで飯食ってオセロやって昼寝して…。こんな静かな海もあるもんなんだ。

このレストランのおばさんの料理がとても美味く、新鮮な食材で作るプーパッポンカリー(カニの赤カレー炒め)やチューチークンナム(エビの赤カレー炒め)はこの旅行のベストディナーでした。

シーカヤックで沖に漕ぎ出してみるものの、2回ほど連続で高波に垂直にひっくり返され意気消沈。夜、目を閉じても頭の中が揺れてた。

こんなに海で遊んだの生まれて初めてかもしれない。

あっというまの3泊4日が島で過ぎ、おもいっきり後ろ髪引かれながらバンコクへ。

電気もガスも無い島にテレビや新聞があるはずもなく、デモ隊衝突事件については一切知りませんでした。

そして地元市民も事件を全く無視するかのように水ぶっかけ祭りに没頭。

ソンクラン。

タイのお正月を祝う、水ぶっかけ祭り。町中で水鉄砲銃撃戦が繰り広げられ、商店やゲストハウスの前を通ればバケツで氷水ぶっかけられ、すれ違う人の顔に水溶き小麦粉みたいな白い泥を塗りあい、タイ国中をずぶ濡れにする恐怖のお祭り。

バンコクでとくに激しい場所がツーリストタウンのカオサンロード周辺。

というのを聞いて、きっと羽目を外した外人旅行者が地元のお祭りをエスカレートさせてるんだろなーって思ってました。

違ってました。

旅行者も楽しみます。一日くらいは。

タイ人は4日間ずっとぶっかけ合ってます。

ソンクランを避けるため朝早くカオサンから離れてショッピングモール街で一日過ごして、夜そろそろ祭りが落ち着いたころを狙ってゲストハウスに帰ってきたのに、タクシー降りて100メートルくらい歩くうちにバケツ3杯ほど頭からぶっかけられてしまいました。

まあそれでもわからんでもない、と言えるのはこの暑さ。

これまでの人生経験史上もっとも暑かったのは東京の真夏だったのですが、バンコクの真夏が軽く上回ってしまいました。

日差しも凄けりゃ湿度も凄い。不快指数250パーセントくらいでした。東京も同じなのですが、熱帯のコンクリートジャングル、やばいです。

あとバンコクは、これまで行ってきた場所の中では図抜けて物価が高い。宿も食い物も、お土産も。

そんなわけでバンコクに着いてからずーっと不機嫌だったわたくしの態度が、バンコク好きの連れの逆鱗に触れてしまう。そんなこんなでさらに機嫌がわるくなるわたくし。

バンコクでこの旅初めてのエアコンルームにしたことが最大の救いでした。

もうちょっと涼しい時期だったら良かったのかもしれないけどなー。とにかく真夏のバンコクは、キライ。

楽しい時間てのはほんとあっという間に過ぎます。

あれよあれよと言う間に成田。

さ、寒い。

また行こう、パヤム。バンコクは…最小限でいいや。

帰りのそのままの足で友達の結婚披露宴。

盟友とともに何年ぶりかにステージに立つ。いやー楽しかった。ありがとうじゅんちゃん。

バンドをきれいさっぱり辞めてしまった今の自分にとっては、ただひたすらに楽しい記憶。また何年か、もう誰も忘れちまった頃にまたやりたいね。

いっぱい遊んだら、働かなきゃならん。

また山の上で半年。

ずーっと遊ぶことばかり考えてる俺には、この半幽閉生活はちょうどいいのかも。

そして、働いたらまた遊びに行かなきゃいけない。

人生は、そういうバランスでできてる、と思います。

audiokick-dialy つれづれなるままに-kaosoi
冬山デビュー、厳冬期シーズンの営業を終え、下界に下りてきました。

なんといっても事故が多いですね、厳冬期。

普段散歩で歩いている一般登山道でも死亡事故が何件かありました。

「慣れてきたころに怪我するからな」と言われながらも、なんとか無事何もなく2700mの稜線でひと冬過ごせました。

それはひとえに、慣れてきたなと自分で思うときに周辺で起こる事故の数々。

それらによって気を引き締められました。

ベテランのオヤジさんが言っていた「時間と金と技術と体力の無い奴が冬山をやっちゃいけない」という言葉は、間違っていないと思います。

それらすべてを費やす価値が、冬山にはあります。

圧倒的に迫る自然の素晴らしさを味わえます。

でも、命を懸ける価値はないと思います。

そんなこんなを感じてました。

一年で体重が13キロも増えました。

トレーニング不足の軽量級プロレスラーみたいな体形になりました。

東京マラソン走ったのがなつかしいです。おめでとう、ヤマちゃん。

ものすごーく寒い所にいた反動で、ものすごーく暑い所に行きたくなってしまいました。タイに行ってきます。

灼熱と激辛料理ででちっとは痩せないかなー。
山小屋のお正月営業を終えて無事里に下りてきました。

予想はしていましたが、とにかく寒いす。

気温-25℃。それでも日本国内でそう珍しくはない温度。よくあるある。

でもそこに風速20mの風が吹くと、一気に世界が変わります。

台風の夜、お家の外が-25℃。

言い換えてみればそんな感じが、冬の八ヶ岳の稜線の日常でした。

とにかく景色がむちゃくちゃ綺麗でした。稜線も、樹林帯も。

冬山登ると夏に登りたくなくなるというのは、理解できます。

アイスクライミングも始めました。

八ヶ岳には天然も人工も近くてよいゲレンデが豊富です。

垂直の氷柱を登る世界は、ちょっとこれまでやってきた登山の範疇からは外れます。

ボルダリングに近い感覚ですが、こちらは道具を駆使します。

メット被ってハーネス締めて前爪一本のアイゼン付けて両手にアイスバイルを持つと、ついに一線越えちまったな…と感慨もひとしおです。

でもこれからアルパインクライミングという遊びの中で全ては繋がっていくのだろうけど。

厳しい自然は、人の遊び心をくすぐります。

生まれた場所のすぐ近くで、昔からこんなエクストリームな遊びがまことしやかに行われてたなんて。

俺が悪いんじゃない。生まれた場所が悪いんだ。

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いろいろあったが、ついに帰国の途につく日。

アジア圏全般的に言えることと思うが、やはりこのネパールも物価が安かった。そしてイーカゲン英語が通じる。世界有数の山岳風景。いい国だった。

乗り換えのバンコクに着くと、ムシ熱い空気に包まれる。なんだか嬉しい。今度は軽ーく1週間くらいのタイ旅行もいいかも。

対して大阪は関空。間違いなくカトマンズよりも寒い空気に、おもわずお土産のヤクのショールを羽織る。寒いぞ日本。

帰りについでに京都に行ってきた。やっぱり東寺はシビれるな。

こうして、旅はおしまい。

仕事が始まるまであと数日。また山での暮らしが始まる。こんどは雪の中です。
暇なので町をぶらぶらする。

ローカルバスに乗ってみたが、ルートや目的地が非常にわかりずらい。値段はすごく安いが、ネパール語がわからないとちょっと厳しい。軽トラの荷台に乗るようなタイプやハイエースタイプ等あるが、いずれも限界まで人を乗せるので乗り心地は良くない。ハイエースに24人で乗ったのは初めての経験。

食事は適当に何でも食べてみたが、チベット料理がおいしかった。あとインド料理。衛生状態はそんなに悪くないと思う。生水は敬遠したが。

みやげもの屋はほとんどが値段を書いていないので、交渉。向こうもおそらく相手によって値段を変えてる。アウトドア用品店には偽物がいっぱい売っていた。見た目でわかる偽物のわりには、けっこういい値段してた。

道の端やちょっとした広場など、町のあらゆる場所にチャー屋がいる。チャーとはネパールのミルクティーで、インドでいうチャイ。茶葉とスパイスと砂糖と牛乳を鍋で一緒に煮立て、網でこしてくれる。コップ1杯5から10RSくらい。イスに座ったりしゃがんだりしながらチャーを飲み、ボーっと通りを眺めるのが心地よかった。気に入った所に次の日行ってみるとその日はいなかったりするのが悲しい。

目的のない日々というのは、あっという間にすぎてゆく。気がつけば、3日経ってた。
朝、タクシーでバス停に向かう途中、運転手が道でローカルの親子連れを同乗させた。同じバス停まで行きたいということで。お金は取らなかった。ローカルにはにやさしい運転手だった。俺が普通に全額払った。

ポカラからカトマンズのバスは良い車体だった。強靭なエンジンにまかせて運転手は飛ばしまくった。だが町での客引きはおこたらなかった。

あとでわかったが、「グリーンライン」という値段が2倍くらいするバスが調子良いらしい。また今度ネパールに来たら間違いなくそれにしよう。

カトマンズに戻って最初に行かなければならない場所が、タイ航空のオフィス。未だバンコク空港は閉鎖中。予約していた3日までは閉鎖が決定していた。

予想通り、ロビーに黒山の人だかり。カウンターでキレまくる欧米人。巧みな英語でまくしたてればバンコクを経由しないフライトに変更できたかもしれない。または1000US$くらい払えば、普通に他の会社のチケットを買うこともできた。

どちらの選択肢も無い自分は、素直にカトマンズで3日間待つことにした。帰国便は6日に変更された。

またも地元ガイドの情報に頼る。タメルのど真ん中のエクセルシオール。あのガイド本にも地図に名前だけは載ってる。

ゲストハウスの客引きに「エクセルシオールかよ!金持ちだな!案内してやるよ」と連れられる。「高くてやめるだろうから俺のとこに来な、1パイサで泊めるよ」と言われるも、1パイサは100分の1ルピー。泊まりたくない。

案内されてちょっとびっくりした。ドアマンのいるホテルはこの旅初。

部屋は一番きれいだった。おまけにテレビ付き。ちょっと高そうだなーと思ってたら案の定1500RS。「トップシーズンなら3000RSです」と・・・。トップシーズンて、今じゃないのか?。

「4泊するからどーんと安くして」と頼むと、かなりお悩みの様子。重たそうに電卓をたたき、こちらに向ける。「850」。安くしすぎでしょ。

当然それ以上の値切りをすることは無く、即決。飛行機待ちの暇つぶしにこそ、良い宿を。

テレビでクリケットの試合をしばらく見ていたが、ルールがさっぱりわからん。50くらいあるチャンネルをパチパチ回してたら、海外向けのNHKが。久方ぶりに母国のニュースを得た。
バードウォッチングして朝飯食べてツーリストバスに乗る、という朝の行程を告げられる。

しかし、バードウォッチングのガイドが「珍しい鳥を見つけた」と言ってバードウォッチングが長引く。おかげで大急ぎで朝飯食べて出発。

バス停で3日ぶりに日本人に出会う。チトワンで会ったただ一人の日本人。この人も最初2泊3日の予定でチトワンに来たが、居心地が良くて1か月も居てしまったとのこと。わかるわその気持ち。ソウラハ、いい処です。

ここに留まってもよかったが、バスの予約をしていたので出発。いざ、ポカラへ。

チトワンからポカラへのツーリストバスはハズレ。バスはボロい、運転は荒い、空いていてかなり執拗な客引き。じっと我慢の5時間。

ポカラは「歩き方」に書いてあるとおりお土産屋だらけのツーリストタウン。でもカトマンズのタメルなんかと違って車は少ないしホコリも立ってない。でかい湖のほとりにあって、のんびり過ごせる町。

カトマンズからチトワンに行くバスの中で出会ったトレッキングガイドさんが教えてくれたニルバーナというありがたい名前の宿に向かう。部屋きれい。お湯出る。400RS。決まり。

トレッキングを除いた10泊の統計。現地ガイド達の情報はかなりあてになる。あのガイド本の情報はあまりあてにならない。値段の差は正直に現れる。

ポカラの町をブラブラしていると、サランコットへのバイクやタクシーでの客引きが目立つ。サランコットは町の北西にある展望台で、名峰アンナプルナを一望できる。なんといっても最高の時間は日の出で、「明日の朝どうだ?」という声をいくつもかけられる。日本語の上手な人に声をかけられたら、まず間違いなく客引き。

日の出のアンナプルナは見たかったので、交渉してみる。バイクの乗車代の他に、「ガイド料」というのを付け足してくる。おまけに「ガソリン代」なんてのを上乗せしようとする。結局、内訳の説明でやたら話が長い一人目は1000RSから値下げしてくれなかった。二人目は交渉時間1分で500RSにしてくれた。「じゃあ、明日の朝5:30にホテルに迎えにいくよ」と告げられ、別れる。

うっかり金を全額払ってしてしまった。やっちまったか・・・?

朝、まだ真っ暗な中ホテルの外へ。バイクのエンジン音は聞こえない。不覚だったか・・・と諦めかけた時、門の陰からニュっと小声で「オハヨーゴザイマス」。

サランコットまではバイクで20分くらい。暁の山道をバイクで駆けあがるとマチャプチャレがそのシルエットを現す。さらに後ろにアンナプルナが。ポカラから見るアンナプルナはデカくてかっこいい。

展望台から山を望む。

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朝日と雲が1秒ごとに山の表情を変えてゆく。至福のひととき。

運転手の名所めぐりへの誘いを断り、この日は一日ブラブラ。町を歩いたり湖畔を歩いたり、ボートを漕いでみたり。草サッカーの試合を丸々フルゲーム見てしまったり。

山に囲まれたフェワ湖の風景はとても綺麗。しかし透明度は最低。諏訪湖みたい。

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何もなく過ぎた1日。ポカラはそんな過ごし方が最高。
ところで前日トレッキングが終わってカトマンズから実家に電話した際、タイのデモでバンコクの空港が閉鎖されていることを知る。まあなんとかなるでしょ数日のうちに、とタカをくくりなんの対処もせずカトマンズを離れた。あとでちょっと困ることになる。

チトワンはカトマンズから南西に90キロほどの国立公園。インドとの国境に面し、標高は100mくらい。とても温かい場所。

所要時間は「地球のあるきかた」の通りツーリストバスで5時間。90キロで5時間・・・。

ツーリストバスってのは本来出発地から目的地をダイレクトで結ぶものだと思っていたが、バス停にこそ停まらないものの町を通るたびに客引きしまくる。どのバスもそれをやるから渋滞が起きる。それと路面の悪さにより、90キロが5時間かかる。乗り心地はバスの車体と運転手次第でだいぶ違う。運。

カトマンズからチトワン、チトワンからポカラ、ポカラからカトマンズとこの旅で3回ツーリストバスに乗ったが、思えばこのカトマンズからチトワンが一番マシだった。座席は満席で客引きも控え目(それでもひろった客を通路に乗せ、あくまで「控え目」。)、運転手はネパールの中では(あくまで「ネパールの中では」。)安全運転なほう。

日本人の感性からすると、ネパール人の車の運転はほんとうに荒い。危険。よくこんな運転で事故が起きないなーと思ってたら、道で横になった車にいくつも遭遇。やっぱりね。わが身にふりかからないことを祈る。一緒にバスに乗ってるネパール人も、よく祈りを捧げてた。

何にもないところでいきなり止まったらPタイム。おしっこ。乗客の確認をあまりせずに発車しているようなので、これで置いていかれた人は少なくないと思う。

小さな市場みたいなところで「ハーフアワー」と車掌の少年が叫んだら、昼飯休憩。食べた瞬間腹壊しそうなチョウメン(焼きそば)を食べたが、意外とうまかった。目の前で火を通してる、ということだけが心の支え。40RS。

カトマンズを出る時寒くて着ていた上着を脱いだころ、チトワン到着。泊まるのは国立公園の入り口の町、ソウラハのはずれ。

予約していたホテルのガイドさんが迎えに来てて、あとはポップコーンおじさんの言うとおり。「キレイなホテルに泊まってジャングル歩いてカヌーに乗って象にも乗る。2泊で6回飯が付いてツーリストバスのチケットも付ける」すごい。一つも嘘が無い。

実際、ここで泊まったホテルはこの旅で№1だった。

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各部屋ごとにボイラーがついているから蛇口をひねってすぐに熱いお湯が出る。日本では普通のことだけど、ネパールでは凄いこと。感動して泣きそうだった。ご飯もうまいし庭もきれいでボーっとするのに最高。

しかしポップコーンさんの言うとおりいろんなプログラムが用意されていて、あまりゆっくりは出来なかったのがちょっと残念。

ジャングル歩いたりカヌーに乗ったり象に乗ったりは、ずーっとカナディアン3人組とセット。気楽でいい人たちでよかった。食事のテーブルが最初別々に用意されてたのを「一緒に食べよう」と招いてくれてジーンときた。ありがとう。

しかし、その人たちが俺に話しかける言葉はなんとか理解できても、カナディアン同士の会話は1割くらいしか理解できずちょっと悲しかった。フランス語じゃなくて、英語だったのに。

でもこのソウラハの空気感はほんとに良くて、町なかのゲストハウスに泊まってノンビリするのも悪くなかったかなとも思う。でもポップコーンワシワシおやじに3日ぶりの仕事をあげただけでも、パッケージツアーにした後悔は無い。

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7:00、ダイニングに降りたがボスがいない。うーん、どうなってるの。

約束の7:30ギリギリになってボス現る。「さ、行こか。」

ロッジから空港は徒歩30秒。

「この列に並んで」と指示されるも、いつまでもチケットをくれない。空港内を忙しく歩き回り、一緒にいたブラジリアンに渡したのはなぜかイエティではなくアグニのチケット。二人で笑って「理解デキナーイ」。
計りにバックパック乗せた時点でやっとイエティのチケットを渡される。しかもボスじゃない人から。もうほんとに意味不明。

知らないうちにボスはいなくなっていた。

日付も行き先も無く、ただ「2」とスタンプされたチケット。

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とりあえずこいつがあればカトマンズまで帰れるので一安心。

ルクラ空港には時刻表が無く、カトマンズから飛行機が飛んできたらそれに乗りこむ。非常にわかりやすいシステム。

頼りがいのある機体。

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感覚的には500mくらいに見える滑走路から、決死のテイク・オフ。さよならエベレスト。

トリブバンに着いて、一緒のフライトだったオーストリアンにバス停の場所を聞いて歩いて向かう。

相変わらずすごいタクシーの客引き。全部無視してバス停にたどり着いたものの、バスの乗り方がわからない。結局タクシーに乗ることに。

「300、300」と言っていたので「空港で200って言ってるのがいた」というとあっさり「じゃあ200」だったが、けっこう歩いたから「150。空港から出てる。」と言ったが200から一歩も引かない。そのうち警察が来て車をどけろと言ってきた。このタクシー、歩道の上に停車していた。「どうすんの、早くしろ」「わかった。180。」この旅でもっとも長い交渉だった。

山を下りてとにかく暖かいところに行きたかったので、航空券を買ったポップコーンワシワシの会社に直行して「ポカラに行きたい。ツーリストバスのチケットお願い」と頼むと、「チトワンにいきなさい」と神の啓示のような熱い勧誘。「キレイなホテルに泊まってジャングル歩いてカヌーに乗って象にも乗る。2泊で6回飯が付いてツーリストバスのチケットも付ける。80US$。どう?」「もうちょっと安くならないの?」と聞くと、「これは無理」ときっぱり。「本当なら120US$だ。あなた私からルクラのフライトチケット買ってくれた、そしてまた戻ってきてくれた。だからこれはノービジネス。80US$。」と。オッケー、だまされた。

手続きをしながら、ポップコーンをワシワシ食べながらボソっと、「3日ぶりの仕事だ」と言ってた。聞き間違いでなければ。

予定外ではあるがチトワン旅行。楽しんでこよう。
トレッキング最後の日。飛行場のあるルクラまで3時間。

小学生か中学生か、学校の登校時間と重なり道中賑やか。パクディンあたりから歩いてるから、通学時間3時間くらいは普通なのだろう。

危うく道をそれて学校まで一緒に行ってしまうところだった。

学校に向かう子どもたちの横を、同じくらいの年齢の子供が大きな荷物を背負って歩いてる。家庭によって事情は色々。この国の状況を物語っていた。

ルクラに着いてイェティ・エアラインのオフィスへ。帰りはオープンチケットにしていたので予約を取らなければいけない。しかし、オフィスは閉まってる。

なんでも、フライトがヒマになる2時くらいにならないと受け付けてくれないらしい。優雅な国だ。

空港のすぐ上のロッジが「イエティの予約、やってます」という看板を掲げていたのでそこへ。「今日はもう飛べないよ」と言われたので次の日の予約を頼み、きょうはそのロッジにステイ。

とりあえず無事トレッキング終了。値段が高いのと寒かったのでずっと飲まなかったビールをやる。いまひとつ味が好きじゃないサンミゲールも、この時ばかりは喉に響いた。

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ロッジのボスがなかなか明日のフライトチケットをくれない。まあ、空港のすぐ上のこの場所にあって詐欺は無いだろと思っていたが、渡してある予約チケットが無期限のオープンチケットだけにちょっと心配。すると晩飯の時、「明日朝7時に降りて来い。7:30に一緒に空港に行こう」。一緒に・・・どういうことかわからないけど言われたとおりにするしかない。

この日同じロッジにはトレッキングで会った人たちが大集合。スペイン人ケイサー、フレンチ姉さん2人組、ネパール語の上手なオーストリアン、英語が俺と同等レベルのブラジリアン。

ヒッピースペイン人ケイサーがロッジのボスに、布団を貸してくれない宿が多いのはおかしい、と意見。ボスは「トレッカーは全員スリーピングバッグを持つべきだ」と。まあ確かに。「宿の布団は本来ガイドとポーターのために用意しているものだから、トレッカーは自分で持ってきて少しでも宿の負担を減らしてほしい」と。

宿の負担は別として、もし全ての宿で布団が一人一枚用意されていたとしても、このトレッキングを寝袋無しで歩くのは俺には無理。ケイサーも寝袋は持ってたけど、それでもやっぱり寒かったんだろう。でもガイドやポーターがダイニングの隅っで布団一枚で寝てるのを考えると、それを奪うことは考えられない。一人一枚布団が用意されていて、それで寒ければ二枚目が欲しくなるのは目に見えてる。

この時期のエベレストエリアトレッキングを考えている方がいましたら、寝袋は持って行ってください。モンベルなら0番はいりません。5番くらいで大丈夫ですので。3番があれば最高。自分が持っていったのはダウンのウォームアップシーツと3レイヤーのシュラフカバー。両方で600グラムくらい。ちょっと寒かった。寝袋暮らしもこれで最後・・・と思ったら部屋に布団置いてあった。ルクラは布団で十分。