こんにちは、yumesightです(*^_^*)
私は、現代を読み解くキーワードは「非連続から連続へ」ではないかと考えています。
この言葉は、フランスの思想家バタイユに見ることができますが、
根源的な欲求が、様々な面に現れているのではないでしょうか。
以下、少し難しい文章ですが、引用したいと思います。
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私たちは非連続の存在であり、理解できない運命のなかで孤独に死んでゆく個体であるが、
しかし失われた連続性への郷愁をもっているのだ。
私たちは、偶然の個体性、死ぬべき個体性に釘づけにされているという、
私たち人間の置かれている立場に耐えられないのである。
この死ぬべき固体の持続に不安にみちた望みをいだくと同時に、私たちは、
すべてをふたたび存在に結びつける、最初の連続性への強迫観念をも有している。
(ジョルジュ・バタイユ「エロティシズム」渋澤龍彦訳)
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今年流行ったゲームソフトに、「モンハン」があります。
「モンスターハンター」の略ですが、電車の中でPSPをやっている人の多くが、
ゲームの中で狩人を操り、モンスターと戦っています。
ファミレスに足を運ぶと、高校生が4人集まって、みんなで額を寄せ合いながら、
PSPとにらめっこしています。
このゲーム、今までのゲームとひと味違うところは、
「一人の世界に没入する」のではなく、「友人と協力して、モンスターを倒す」
ということができる点です。
友達を誘って、みんなで協力して戦おうとしている姿は、
かつての公園で行われていた三角ベースや、草サッカーを思い出さずにはおれません。
さらに、「Mixi」「モバゲー」などのSNSが大変な人気を博しています。
これも、「つながり」を重視しているように思えてなりません。
ITが、新たなコミュニケーションの場を創造し、非連続から連続への体験を
求めている人々の需要を満たしたのではないでしょうか。
デジタルなものを通して、アナログな人間の感情、感動といった一つの
「体験」を共有する。
オーディオブックは、そんなつながりと体験に飢えた私たちの心を、
「声」というアナログなもので埋めていくもののように思うのです。
読書は、かつて「黙読」ではなく「音読」しかなされなかったと言われます。
記憶がおぼろげですが、文字が活用されたのは、西洋では神学の発展を
通してのことでした。
神学の研究をする学者が、羊皮紙に書き込まれた文章を、「音読」することによって
理解します。
つまり、文章は「カセットテープに記録されている音」であり、それを、私の発声器官という
「テープレコーダー」に入れることによって、音を「再生」していたわけです。
それが、文字文化が発達することにより「黙読」という手法が生まれ、
情報は「デジタル」なものへと移行していきました。
「デジタル」の基本は、点と棒の二進法であり、まさに「非連続」です。
オーディオブックは、その最先端のデジタルを用いた非連続性を通して、
感情の連続性を伝えることのできる、大変面白い媒体と思わずにはおれません。