何故後悔してしまうのか?

やり残したことがあったり、目的が達成されなかったり、タイミングを逃したり色々あると思う。

それで結果、諦めたり後悔したりする。

これは単純に覚悟がなかったからである。

それでは覚悟とは一体何か?

これは一見矛盾してるようにも思うかもしれないが、決心すると同時に今後起こりうる状況を在りのまま受け入れると言うものである。

要は、最悪『諦め』なければいけないと言うことだ。

だから、極端な話、覚悟を決めるとは


『決心』と『諦め』の決意表明となる。

覚悟とはそういうものだと思う。


これが出来ないから後悔し、執着する。

ただ、何もそれら全てが悪いわけでもなく、自分がどう受け入れるかによる。

自分がその状況をどう消化するか、又はどう切り替えるかによる。

しかし、場合によっては一生引きずることにもなる。

そうなってしまえば一番自分が辛いだけになってしまう。


そして、肝心なことを忘れてはいけない。


人生において、自分に起こった事実は自我が目覚めた瞬間からの、


『すべて自分の決定の下において起こった出来事なのだ。』


それなのに、人は不満を漏らす。

そのような光景を目にすると、如何に覚悟が無かったかが伺える。


だけど、そのような自分に何となく気づいているのである。

その証拠に惨めになってしまう。


もうそんな自分とはおさらばしよう。

結果はどうあれ、すべては良かれと思った結果に過ぎない。

だから、そこまでやりきった自分を褒め称えよう誇りに思おう。

自分の捉え方次第で全てがどうにでもなる。

OPEN MIND!!
何かが出来るようになりたいと思った時にどうすれば出来るようになったかを思い出す。

出来るようになるにはどうするか?

まず、それが出来るようになった自分をイメージする。

例えば、部活等で反復練習をする事があると思う。

この時に、どうその練習にあたっているかが重要になってくる。

出来るイメージを想像しながら練習にあたらなければ、それが出来ることはほとんどない。

逆に言えば、出来ないと思いながら練習した時にまず出来ないことが多いことになる。

これは練習中の出来ていない現実を見てしまっているからである。

出来ない現実がイメージになるのである。

出来なくても、出来るまでやれば出来るのである。

出来るまでやるかやらないかだ。




何かを実現・達成した者は誰もがみな、

根拠のない自信とイメージ

から始まっている。

私は小さい頃の自転車に乗る練習を思い出すことがある。

恐らく人生で初めての自己実現になるんだと思う。

あの経験と言うのは、紛れもなく乗れるようになりたいから乗れるまで練習したのだ。

乗れなくて良いなら最初から練習はしていない。

あの時の感動や喜び、その時に見えた世界観、練習に付き添ってくれた親の姿は今でも忘れない。

私は今でもこの先もあの感動を味わいたいと思っている。

あの経験や感動を皆さんも忘れてはいませんか?

大人になって現実が廃れたものだと感じるのであればその世界観はそれまでになる。

子供の頃の世界に対するイメージと、大人になってからの世界に対するイメージをを変えたのはおそらく自分自身なのです。

なぜなら、その証拠にこの世界には目的達成・自己実現をしている者が実際いると言うこと。

そう、

人はいつからでも遅くない。

思い立った時からでいいのだ。

自分の納得がいくまで挑戦し続ければいい。

やりたくない事を嫌々やるよりはいい。

やりたくないことを自分のやるべき事だと変に言い聞かせなくていい。


そして、その過程を楽しめばいい。

結果は気にしなくていい執着しなくていい。

結果は出すものじゃない。

付いてくるものだ。

OPEN MIND!!
前回の続きで、ブログで挙げたような人物には人と関わる際に色々な特徴が見られる。

極端に分けて、人との関わりが苦手なタイプとそうでないタイプが存在する。

双方通じて言えることなのだが、相手の興味を引こうとする特徴がある。



人付き合いが苦手タイプは、

関わる人が少ない分その少ない人達に対する期待のウェイトが重くのしかかる。

このタイプの自分に対する興味の引き方自体は、間接的且つちょうど相手に自分の願望・要求が伝わるか伝わらないかの微妙なニュアンスの回りくどい感じになってくる。

これで願望が伝わらないとイライラし不機嫌になってくる。

いわゆる、

『言わないでも分かってよ。』

と言うのが本心なのだ。

普段は引っ込み思案で遠慮がちなのだが、唯一甘えられる存在になってくるとなると極端に図々しくなるのだ。

このようなタイプの矛盾した思考規範は、『甘え』てはいけないと言う基準の元で実は成り立っている。

だから、あたかも偶然を装う様な感じだがあえて間接的な言い方で相手を自分の思い通りにさせようとするのだ。

これで直接的な願望・要求にならないから、相手が察してやってくれるものだから自分か甘えたことにならないでいる。

『勝手にやったんでしょ。』

や、

『頼んでなんかいないけど。』

と言う様な具合に、自分の都合の良い口実が出来るのである。

なので、こちらのタイプの方が実はとても冷めている

ただ、このようなセリフはほとんど口に出すことはない。

言うとなれば、追い込まれた時だけである。

ここで言う追い込まれた時というのは、

『やってあげたのに...。』

と、迫られた時である。

無論、そもそもそう言ってこない相手しか利用しないと言う前提もあるのでそのような冷たいセリフを吐くこともそうそう無い。

本人としても実際は、自分から離れられては困るので出来るだけ言いたくないのだ。

このタイプを一言で表すと、

『受動型で裏で優位に立つタイプ』

と、言える。

全然一言じゃないですね(○´∀`○)





もう一方の人付き合いを苦手としないタイプなのだが、

特徴は基本的には人付き合いを苦とせず、他人から認められたい願望が強く、又自己顕示欲も強い、見栄っ張り、浮き沈みが激しい等が挙げられる。

このタイプの興味の引き方は、分かりやすいのが特徴で自分の自慢話や武勇伝や見栄を武器に相手に語りかける傾向がある。

しかも、積極的且つ能動的である。

前者のタイプとは違って、自分を受け入れてくれるところには甘え倒そうという前提がある。

そして、相手の反応次第なところがあるが、自分にとっても分かりやすい判断基準になる。(相手を利用する時において)

要は、自分が崇拝者として君臨するために、自分の下に弟子的存在やファンを作り上げ様とする傾向がある。

そうなった時に、願望や要求は弟子的存在には命令として下す事が出来、

又、ファン的存在には、

『自分の願望・要求=ファンの願望・要求 』

と、すり替える事が出来る。

このタイプは自分が一番となるような都合の良いシステムを作り上げるのが目的である。

他の興味の引き方・駆け引きとしては、恩を着せて無理やり相手の優位な立場に在ろうとする。

いわゆる、

『やってやったのに。』



『おまえのために~。』

と、言うような 口実を作り上げるためにだ。

他のやり方としては、単純に餌で釣るやり方も存在する。

そして、
このタイプは相手の心を掴んだ事をいいことに、洗脳地味た自己価値観を植え付けようとする。

ただ、中々自分の魅力が伝わらないなかったり思い通りにならないとすぐ感情的になり周りから疎まれる。

このタイプは、分かりやすく周りから距離を置かれ嫌われている傾向がある。

一言で表すと、

『能動型で表で優位に立つタイプ』

と、言える。

こちらも全然一言じゃないですね(゚Д゚)



これら双方のタイプはなぜこのような行動を取らざるを得なくなったのかと言うと、

『愛されなかった。』

の一言につきます。

彼等、彼女等には愛されたいがためにこのような行動をとるようになったのです。



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